ラブピースクラブはフェミニストが運営する日本初のラブグッズストアです。Since 1996

「殺したい、暴力と感傷」

茶屋ひろし2010.03.18

Loading...

職場のオーラちゃんが目撃したことです。仕事を終えたオーラちゃんが夜中に家路についていると、向こうから家族連れが歩いて来たそうです。若い夫婦とその後ろに中年の夫婦、五歳くらいの女の子が中年夫婦の女性に抱かれています。五人がオーラちゃんに近づいてきたそのとき、突然、若い男性がその妻だと思われる女性の後頭部を片手で勢いよく殴りました。その衝撃で彼女は手をつくこともなく前に倒れました。「本当にまっすぐそのまま倒れてうつ伏したの」。男はそのまま他のメンバーを置いてスタスタと歩いて去っていきました。オーラちゃんは驚いて立ち止まり、「大丈夫ですか?」と駆け寄ったのはちょうどタクシーから降りてきたばかりで通りすがりの中年女性で、女の子を抱いた中年夫婦は黙って倒れた彼女を見て立っているだけだったそうです。女の子も中年夫婦もみんな無表情だった、とオーラちゃんは言いました。駆け寄ってきた女性に抱き起こされた彼女の額は切れて血が出ていたそうです。オーラちゃんは我に返って通報しようとしましたが、すぐそばにパトカーが止まったので、やめて、すれ違ったそうです。
翌日に職場でその話を聞いた私は、「うわー嫌だ、DVだ」と、もうその言葉しか出てこないといった感じになりました。
その中年夫婦が若い夫婦のどちらの両親なのかはわかりませんが、どっちと思っても悲劇で、その若い男の暴力が日常化されて誰もそれに逆らわない世界になっていることは明らかで、そこから逃げられないか、と張り倒された彼女を思いました。ある日その男が彼女に殺されても不思議じゃない気がしました。逃げるか殺すか、できれば逃げて離れて生活を変えていく方を思いますが、生理的には、殺したいね、と思いました。
今、禅宗の僧侶に本を書いてもらっている、という編集者の知人と飲んでいたときに、彼女は、その著者から「座禅のときは頭を空っぽにしなくてもいい」というようなことを言われて驚いた、と話しました。極端に言えば座禅の最中に「人を殺したいと思っていてもいい」のだそうです、じっさい殺すかどうかではなくて、そういう欲望があることを感じて、それをみつめることによって、善人でいなければいけないという束縛から解放されることが重要だそうです。又聞きで酔っていたので、ちょっと都合よく書き換えているかもしれませんが、もっと都合よく解釈すると、それは善悪の彼岸に立つということかもしれません。
そうよね、あのひとを殺したいと思うことってあるもんね、と共感しました。そういえば、いつか殺してやる、と言われたこともありました。過去に三人います。そのうちの一人は最近で、スタッフのポチに言われました。私はポチの敵(「エヴァンゲリオン」でいうところの「使徒」だそうです)で、処刑はマシンガンで全身を穴だらけにする方法をとるとのことです。冗談でしょう、と聞くと、本気です! と冗談を言います(ほんとか)。
「エヴァ」にはあまり興味がありませんが、私は私で、このニ、三年はハリウッド映画(アクション)ばかり見ています。オーラちゃんには「茶屋ちゃんは、とにかく人がいっぱい死んで、女が殺す側だと、もっといいんでしょう」と皮肉を言われます。はいそうです、とうなずきます。
けれど、最近のCGは良く出来すぎていて、なにが起こっているのか画面についていけないときもあります。ただ、同じくらい人が死んで、同じくらい街が破壊されていても、面白かった、と感じる映画と、つまらなかったわ、と思う映画があるから不思議です。
「アバター」を見て、3Dは楽しかったけれど疲れた、と言ったら、オーラちゃんは、あんまり人が死ななかったからでしょう、と言いましたが、そういうことではありませんでした。アカデミー賞を逃して視覚効果賞を受賞したという結果にうなずきました。あれだけの異世界をつくりあげることに成功しているのにストーリーがお粗末で、それは古典的なジェンダーイメージが一切壊れることなく、とすればこういう物語になるしかない、というつまらなさでした。ゲイバーのマスターが、「せめて、あのマッチョ軍曹をシガーニー・ウィバーがやれば面白かったのにね」と放った一言にウケました。たしかに木の養分(?)になってしまうには勿体ない人です。「エイリアン」シリーズでのシガーニー・ウィバーが演じたリプリーの変遷は、女たちがアメリカ社会に要求してきたロールモデルの歴史だと、誰かが本に書いていたことを思い出しました。私は「アバター」のキャメロン監督が撮った「2」も好きです。あの頃はもっと丁寧に話をつくっていたような気がします。今回は3Dに金をかけすぎたのでしょうか。
「人を殺したいと思っていてもいい」し、ハリウッドのアクションものを見ていてもいいとは思いますが、そればかりだとさすがに人としてどうかという気持ちにもなって、たまにはそれ以外の映画も見ます。先月はさきほどのマスターから、「愛を読む人」という映画を、「見てみて、それで感想を聞かせてちょうだい」と紹介されました。薦められているわけではなさそうです。「マスターはどうだったの?」と聞くと、「それを言っちゃうとアレだから」と笑います。駄目だったんだな、と思いましたが、そういうタイトルの映画も久しく見ていないので見てみました。
よく出来た話で退屈はしませんでしたが、男のセンチメンタリズムにすべて回収されて終わる世界でした。女が死んで男が感傷に浸って終わりです。原作は「朗読者」という小説で、世界で500万部のベストセラーだそうです。書評家の豊崎由実さんは、「プレイものとして読めばいい」と説いていました。最初は熟女プレイで監禁プレイになり最後は放置プレイだそうです。ストーリーを説明しないままで恐縮ですが、確かに主人公の男性の好きな「プレイ」の連続でそれが次々と成功していったわ、と共感しました。それにしてもどんな「愛」を読んでいたのかしら、と首をかしげる映画でした。
その翌週に、前から見てみたいと思っていた西川美和脚本・監督の「ゆれる」を見ました。見終わって、これはあのマスターに薦めなければいけない、と確信しました。見終わっていたときには酔っていたので、買ってプレゼントしようとまで思いました。朝起きて、とりあえずレンタルで見ていただいたらいいか、と酔いが醒めました。
「愛を読む人」と同じく、女が死んで男たち(というか、兄弟)が生き残る話ですが、壊れてゆく兄弟の描き方が私にはリアルで、そうだよ、強く関わった人が不条理に(と、兄弟は思っている)いなくなったら頭おかしくなるよ、感傷に浸って本を朗読したりなんかしないわ(それはそれで頭のおかしい感じもしますが)、と善悪ではなくそう思ったからでした。
オーラちゃんの見た、女を張り倒して平気でスタスタと歩いていく暴力と、女を閉じ込めて死なせてしまう感傷を、殺したいわ、と心から思います。

Loading...

茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

RANKING人気記事

Follow me!

  • Twitter
  • Facebook
  • instagram

TOP