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「オカマというより灰汁」

茶屋ひろし2010.04.09

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五歳くらいの男の子がビデオ屋の外で、「ここ、入っていい?」と誰かに聞いている声がしました。夜の八時くらいです。ビデオ屋に入ってみたいようです。その誰かが「そこは入らなくていいよ」と答えると、その男の子は「なんでー? オカマがいっぱいいるからー?」と甘えた声で言いました。
その「オカマ」という言葉にドキッとして、なんだかいたたまれなくなりました。
外の様子を見てみると、答えていた誰かは隣のウリ専の兄ちゃんで、その子どもはウリ専に来ていた客の子みたいですが、よくわかりません。男の子は親らしき男性につれられて、「バイバイ」と隣の兄ちゃんに手を振って行ってしまいました。
「オカマ言うなー」というひとり言がようやく出たのはそのあとでした。
それにしても、なぜドキッとしたのでしょうか。「ゲイというよりオカマ」なんてプロフィールに書いている私です。自称は良くて他称は嫌、という自分勝手のせいかしらと思いつつ、ここ最近接していた人たちの話を考えていたからかもしれない、と思いました。
それは、「オカマ」という言葉を放送禁止用語にしたほうが良い、という大きな話から、小さい頃から「オカマ」と言われて嫌な思いをしてきたので私は使いたくない、という身近な話までで、「オカマ」という言葉の使用と拒絶反応について、あらためて考えさせられていたからです。
前者には、たしかにテレビで使わなくなれば言葉として衰退していくかもしれない、と思い、後者には、経験からくる生理的な嫌悪と拒絶を感じました。
言葉自体をなくしてしまえば差別はなくなるか、ということに関しては、そういうことでもないだろう、という現実感と、そういう方向に向かうかもしれない、という期待の両方を持ってしまいます。当事者は使ってもいい、という言い方もありますが、当事者って誰だ、括れない、ということもあるので、私は使う、使わない、という言い方しかできないかも、と思いながら、世代を二つ三つ遡れば、「オカマ」よりも「ゲイ」と言われる方が嫌だった、という人もいたようで、今はこの言葉が侮蔑的に使われているから使わないようにするというのは、案外イタチごっこに終わるだけのような気もします。
職場のオーラちゃんは、「言葉の問題じゃなくて、使われ方でしょう」と言います。侮蔑的な意味で使われているだけだったら駄目、そうじゃない要素も入っていたら使うのもいいんじゃないか、というスタンスです。
でもそれを誰が判断するのか、個人的にはもちろん本人の自由だと思いますが、メディアでの表現となるとなにかしらの尺度が必要になるんじゃないか、と思いますが、あまりに難しくて、私にはどうすればいいのかわかりません。ともあれ使用に注意は必要だと思います。
そういえば私は小さい頃から、「オカマ」と言われていじめられたことはなかったことを思いました。「オカマ」と言われて初めて抵抗して、はね返すためにそれを自称するようになったのは、木屋町で働き出した、二十代も半ばを過ぎてからです。
いじめられていたことはあります。中学一年生のときでした。集団によるものではなく個人からの攻撃でした。当時は毎日、死にたい、と思っていましたが、生きていて時間がたつ、ということはすごいことで、このときのいじめに関して、捉え方が刻々と変化してきました。ほとんど恨みも残っていません。
小さい頃から「オカマ」と言われ続けた人と話していたときに、自分の中一のことを思い出しました。最近では、私をいじめていた男子、松本君はどういう状況だったのか、ということを、思い出すと考えます。
ちなみに、いじめかたは、一日に何回も背中を蹴る、体当たりをして突き飛ばす、座ろうとしている椅子を蹴る、階段から突き落とす、といった即暴力でした(よく生きていたものだわ・・)。
松本君は中柄で、私は吹けば飛ぶような小柄でした。松本君は一番喧嘩が強いクラスではなくて、その下っ端の存在でした。それでも腕力は私の何倍もあるようでした。
私の何かが気に入らなかったのは確かでした。
その経緯を想像してみると、お互いに違う小学校からやってきて一緒の教室になって、私は当時からすでに、知ったかぶりの上から目線の怖いものしらずでしたが、松本君は喧嘩が強い人に気に入られることによって生きる術を得ているような人だったのではなかったか、と思います。そんな松本君にとって私の存在は、めっちゃ喧嘩弱そうな奴がなんか偉そうにしていて、しかも周囲はそれを許している、というふうに目に映ったのかもしれない、と思うのです。
俺が制裁をくわえてやる、といったところまでじゃなかったかもしれませんが、自分が舐めている辛酸を味わせてやる、とまで思っていたかどうかわかりませんが、とにかく気に食わないので蹴ってみたら、無抵抗で怯えたので、暴力が加速して日常化してしまったのかもしれません。
最後は、私を振り回して投げたところ、顔面から床に突っ込んだ私の前歯が欠けて、いじめが表面化して親と教師が出てきて強制終了となりましたが、最後の方は彼も、なぜ蹴り続けているのかわからないくらい疲れていたような気もします。
翌年にはクラスを引き離されましたが、私は前年度のショックでフラフラしたままそのあとを過ごして、中学に入るまで周囲の空気を読むことによって生きてきた松本君は、私に執着しすぎたせいで周囲から浮いてしまい、そのあと孤立していったように思います。フラフラしながらも、ざまあみろ、とは思っていましたが。
それにしても、あの時松本君に叩きのめされたと思っていた、変なプライドの高さ、というか癖は、今でも見事に変わっていなくて、「オカマ」という言葉を得て、それを言い表されたような気にもなっています。
前に、「周囲に否定され続けてきたゲイは、大人になってもあなたのように意地悪なことを言ってしまうようになるのよ」と、悪酔いをゲイバーのママにたしなめられたときは、そうかもしれない、と思いましたが、否定されたこともあるけれど肯定されたこともたくさんあるわ、と思いなおして、今では、違うか、昔から変わらない私の質だわ、と思っています。
大人になるまで「オカマ」という言葉を言われたことがないことは私家版七不思議のひとつですが、中一の松本君にとって私の存在は、「オカマ」という言葉を思いつく暇もないくらい、すぐにこの世から取り除かなければいけない「灰汁(あく)」のようなものだったのかもしれません。

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茶屋ひろし

茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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