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「軟骨のような働きについて」

茶屋ひろし2010.09.10

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扁桃腺が長引いているおかげで耳鼻科に通う日々が続いています。待合室で座るたびに、目の前の壁に貼られた、館ひろしのポスターと対面します。半紙に筆で書かれた禁煙の二文字を持って、ニヤっとしています。
備え付けの関連冊子を手に取ると、表紙に大きく「ニコチン依存症」と書かれていました。禁煙治療を促すポスターとパンフレットです。

そうか、喫煙はもう「病気」になってしまったのね、と時の流れを感じました。とうぜん保険もきくそうです。来月から煙草は値上がりします。

薬を飲んでいるからと、自主的に飲酒を十日ほどやめていました。喉は痛いけど、そろそろ飲んでもいいかしら、と医者に尋ねると、「お酒より煙草を控えた方がいいですね」と言われました。飲んでいいのか、と喜ぶ反面、煙草をやめるのはむずかしいな、と唸りました。

そういえば、お酒も飲みすぎる状態が続くと「アルコール依存症」で、けれど煙草は吸っているだけですでに「ニコチン依存症」で、どちらかというと、私はアルコールよりニコチンのほうが重症なのかもしれません。
出勤前に時々寄る、職場の近くの「ヴェローチェ」は分煙されていますが、他のチェーン店とは異なり、喫煙スペースが幅をきかせていて、しかも窓際を占めています。

今時珍しい、と思いながら窓際のカウンターに座ります。コーヒーと煙草で一服しながら、もはや有り難い気持ちです。
ここ数年で、公共施設での禁煙や、路上喫煙の禁止、禁煙治療の体制が、あれよあれよと整えられていった気がします。
そこらじゅうに灰皿があって、そこらじゅうで煙草を吹かしていた人がいた時代に、「喫煙」って、なんの役割をはたしていたんだろう、なんてことを思ってしまいました。

なにか、政治的な事柄の間に挟まれて、軟骨のような働きをしていたんじゃないか、と自分でもよくわからないことを思いました。官民と庶民の間、とか、金持ちと貧乏人の間にあった、というか、昔によく聞いたような言い方をすると、「偉いひと」もそうでない人もみんな吸っていたような(もちろん吸わない人もたくさんいたと思いますが、比喩として)、役割というか存在だったんじゃないか、と想像しました。その間を取り持つツールとして「喫煙」があったんじゃないか、みたいな・・。

社会悪が、たいてい「偉い人」のことで「煙草」ではなかった時代があって、だんだんその「偉い人」が象徴としてもいなくなってきて、「煙草」がクローズアップされてきたのかしら・・、と「ヴェローチェ」でとりとめがなくなってきます。

八月に入って、まもなく終戦記念日ということで、あるチャンネルでは、倉本聡脚本の「帰国」(帰の字は、難しい字でした)という戦争ドラマを放映する、ビートたけしに長渕剛が日本兵の霊の役として出る、と宣伝をしていて、嫌な感じだわ、と思っていたのですが、後日、そのドラマを少し見てしまいました。

夜の靖国神社で、現代人の石坂浩二が霊のビートたけしに、「オマエはいままで一度も殴られたことはないのか」と言われて、「はい」と答えて、殴られていました。二、三発、ビートたけしに頬を殴られた後、「ありがとうございます」と石坂浩二はお礼を言いました。

そう、こういうの。と、「ヴェローチェ」からつながりました。この「暴力」が、「病気」になる以前の「喫煙」と重なりました。こういう「暴力」は、殴られて初めて人の痛みがわかる、殴られたことのないやつにはわからない、というふうに、ある種の男たちに必要とされてきたのだと思いますが、「喫煙」と同様に、一昔前までは咎を受けなかった「暴力」も、いろいろと「病気」に指定されてきているご時世です。

「戦争と平和」の間には、こういう「暴力」が軟骨として機能しているのかもしれません(戦争がなければ平和という状態もない、という意味で使っています)。

しっかりしてよ、倉本聡、と思ってしまいました。
長渕剛に触れてみると、ドラマの話ではありませんが、職場で有線を流していたら新曲が聞こえてきました。沖縄と戦後をテーマにした歌のようです。サビで、「俺たち 島んちゅうは~」と盛り上がり始めました。ちょっと待ってよ、いつから沖縄代表になったのよ、あなた、あつかましい、と驚きました。
倉本聡のドラマや長渕剛の歌に表現されるこうした「暴力」が、平然と、なぜか大切なものとして、提示されてしまう世の中がよくわかりません。戦争を省みて、死者を悼み、そうならないビジョンを描くというより、むしろ当時に戻って戦意高揚しているんじゃないか、と疑います。

けれど、それと同じ論理で、その「暴力」を批判するのなら、私も「喫煙」をやめる方向に向かうのが「真っ当」なのかもしれません。たしかに喫煙行為に、まともな主張も未来へのビジョンもありません・・、困ったことです。
今年の夏は、セクシャルマイノリティーのデモ行進である「東京プライドパレード」が開催されました。
参加は出来ませんでしたが、改めて「パレード」が社会運動だと思うとき、セクシャルマイノリティーの存在を、(ジェンダーとしての)男と女の「間」にあるものではなくて、そのどちらにもいる(あるいは、どちらにもいない)、ということを顕在化させることが重要なのだ、と思います。

トランスジェンダーが、「性同一性障害」という「病気」になることによって、案外、良心的にメディアに受容されていった過程は、誰もがコラーゲンを求めるような、日本っぽい流れ、ということだったのかもしれません。

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茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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