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「路地を歩く自由」

茶屋ひろし2011.02.05

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いつものように、布団で目覚めてから出勤までのわずかな時間に、炬燵に入ってテレ ビをつけたら、八歳の女の子が学校帰りに何者かに刃物で切りつけられた、という ニュースが耳に入ってきました。容疑者の男が逮捕されたということですが、容疑を否認しているということで、まだよくわからないので、犯人については保留にしておきますが、それにしても、ここのところ頻繁に流れる、幼児虐待(虐殺)や通り魔の事件に接するたびに、接したくなかったわ、と一日の始まりに気持ちが重くなります。
友達と三人で帰っていて、その二人と別れて、人気のない路地に入ったところを狙われた、ということでした。幼い子どもと暮らしている人たちは敏感になっているだろう、と思います。できるだけ集団下校をさせて、防犯ブザーを身につけさせて、できれば街角にカメラを設置して欲しいと望むかもしれません。私には子どもがいませんが、いたら、同じように管理の強化を求めてしまいそうです。
でも、子どもには、一人で路地を歩く楽しさもあるように思います。その自由を奪うなんて許せない、と強く思いますが、すでに奪われている社会で、すでに中年の私もそういう社会に関わってきたんだわ、と責任の一端はあるように思えて、強く言えなくなってしまう部分も出てきますが、それでも、八歳の女の子を襲ってはいけない、と言わなくてはいけない、と思います。
とつぜん刃物で切りつけられた女の子の、その状況を思うと、苦しくなります。願わくは、そのときの記憶がすっぽりと抜け落ちてほしい、と思います。それでも、そんな単純な話では終わらないだろう、と想像を絶します。
なんとも煮詰まったような気持ちで出勤して、お店を開ける前にコンビニで東京新聞を買いました。一面の真ん中に、2008年の秋葉原殺傷事件の犯人に死刑判決が出たというニュースがありました。新聞を開くと、極刑を求めていたという遺族の方の話も載っていました。もし、死刑ではなくて無期懲役だったら、家族を失った遺族にとって、犯人が生き続けていることは、耐え難い日々を強いられることになるのかもしれません。
でも・・、と思います。いまや、「死刑にしてくれ」と、見知らぬ人たちを殺した後、その犯人が言うような状況です。「死刑になるために」人を殺した若い人もいたように記憶しています。犯罪に何かを委ねているように見えます。何か・・、人生かしら、人生において自分で責任をとらなくてはいけない何か、かしら・・、よくわかりません。
秋葉原の事件の時に、私は、この事件を、男の既得権益を手放さない男の話として、 この場をお借りして書かせていただきました。
ここを乱暴にまとめてしまうのは良くないと思いつつ、彼がネットで書き込んだという「女にモテない」「職場で嫌がらせを受けた」「給料が安い」から、犯行に及んだとするならば、本当はもっと『俺は』大事にされるべきなのに、という「男の既得権」が、犯罪行為を底上げしていたんじゃないか、というようなことを書きました。
事件は、いくつかの要素があるタイミングで集って起こることだとは思うので、それもそのなかの一つの要素だったのではないか、という意味で、今も引き続き、その疑いは消えていせんが、先日、映画『Sex and the City 2』をDVDで見ながら、主人公キャリーのビッグに対する要求に共感できなくて、なんだろうこの人、と思っていたら、これはパートナーに対する要求というより、小さい女の子が父親にわがままを言って困らせている、というようなことではないかしら、と思いあたって、たしかに、昔から「男」が幼い子どもや女を殺す事件は後を絶たないけれど、ジェンダー要素以外にも、その「男」が男であると同時に、幼い子どものような状態でもあった、というような要素もあるように思えてきました。
法律に自分を殺してもらうために他人を殺す、ということだとしたら、あまりに自分を丸投げにしすぎているような気がします。けれど「彼」にしてみたら、家と学校を出たら社会に放り出されて、もう誰も何も示唆してくれない、という筋書きになるのかもしれません。
ここから少し妄想を入れていくと、現実には、もう誰も何も言ってくれないわけではなくて、言ってもらえたとしても、その肯定的な言葉は肌に合わず、否定的な言葉に身動きがとれなくなって、かといって賞状をもらえるほどえらくなく(「あたいの夏休み」)、最終的に死刑(全否定)にされることで自分の人生への示唆を他者に望む・・ということになるのかしら・・、裏返せばそれは、まだ自分を保護して育ててくれる人を求めているということかもしれません。
そのために他人を殺害するという方法は、逆にその望みを叶える可能性を狭めてしまう、ということになると思いますが、そういう形であったとしても、「人」を必要としていることは事実だと思うのです。
いくつかの要素が絡んで起こるのが、こうした凶悪犯罪だとするならば、それを知った側も、いくつかの要素で捉えていかないと、こうしたことを緩和していくことにはつながっていかないような気がします。それは、犯罪を起こした側の要素以外の、受け取り側としてのいくつかの要素で、「してはいけない」「許せない」「死刑だ」に並べていくような形での言説が必要なように思います。
殺人をニュ-スで知ったときに、身内に起こったことでもない限り、その行為を糾弾することは容易いけれど、それを知った自分にもその可能性があったかもしれない、と認識しながら発言することは難しいな、と思います。
路地を歩く子どもを襲った「男」が、自分の承認を求めているような幼い状態であったとするなら、「そんな『大人みたいな幼児』は死ねばいい」と排斥する側もまた、同じ状態であるだけだろう、と思うからです。
昨年末に東京都で、「マンガ規制条例」なるものが可決されました。「過激な性表現から子どもたちを遠ざける」ことを目的とした、別名、「東京都青少年健全育成条例」というもので、なんて暴力的で無責任なネーミングだろう(内容も、でした) と、八歳の女の子が刺されたと聞いたときと同じくらい、重い気持ちになりました。
<追記>
諸事情により、このエッセーが、週に一度から月に一度に変わります。諸事情は、私が小説を書きたい、ということで、本名の「面屋洋(おもやひろし)」で、別枠で書かせていただくことによるものです。毎週読んでくださっていた方には申し訳ありませんが、ご了承ください。今後ともよろしくお願いします。    茶屋ひろし

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茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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