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「四十年より先へ」

茶屋ひろし2011.05.09

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時々、社長が大量に雑貨を買い付けてきて、「可愛いでしょう」と値段を告げて、店員の私たちがビデオ屋の店頭に並べます。その卸売り業者では、どうやら、全国から返品されてきたものを安く大量に買い取るらしく、時期を過ぎた「今年の手帳」や、ガマ口の財布など、デザインは五歳くらいの女の子が好きそうな動物のキャラクター系が多く、商品の中には、「可愛くないもの」もあります。
ある日やってきた、フェルトでできたカエルの顔をした、ぺらっとしたの、が来た時、なんだか力が抜けました。それは上下八センチほどのカエルの顔で、フェルトが二枚張り合わされて袋になっていて、裏にマジックテープがついてある、奇妙な商品でした。
小物入れかしら・・、と思いましたが、物が入りづらそうで使い勝手が悪そうです。しかもカエルの顔が可愛くない。この可愛くなさは、中国の遊園地に現れた、偽ドラえもんレベルです。
段々私は腹が立ってきました。「なんで、こんなどうでもいいものをつくるかな」「なんで、こういうものが流通するかな」 それは疑問つきの怒りです。職場のオーラちゃんに「いまさら?」と怒っていることを笑われました。
ビニール袋に張ってあるシールを読むと、中国製でした。この十年で人口が十三億に増えた国です。どんな仕事でも必要なのかもしれない、とひるみました。
震災以降の様々な報道のなか、いろいろな数字が目に付きます。東京の人口は千四百万人で、石原慎太郎に入れた人が二百六十万人、その中で八十万人住んでいる世田谷区の区長に、脱原発を掲げた保坂展人氏が選ばれました。
福島の小学校で、子どもが受ける年間放射線量が、上限二十ミリシーベルトにされたことで、内閣参与だった人が、それは間違っている、首相には何を言っても通じない、と泣きながら辞めました。大人でも年間一ミリシーベルトだった値です。通常の原発作業員でも二十ミリを超えることはありえない、同じ値でも子どもは大人の数倍の影響を受ける、そういう報道です。というか、議論ができない政治ってなんなの、と疑問が湧きました。
東京新聞では、原発列島のシリーズが始まり、全国各地の原発建設地に行き、その成り立ちから、地元の住民たちとの関係、原発の現在の状態、などを取材しています。「脱原発」なり、「反原発」を、マスメディアが主流に持ってくる感じは、これまでなかったような気がします。
たかだか四十年の原発の歴史に、何代も続いてきた土地の歴史を奪われてはならない、と言っていた地元の人がいました。
原発事故の恐ろしさは、漁業、農業、畜産と、その土地とともにあった生業と暮らしが、土地ごと奪われてしまうことでした。それこそ何十年も、その場所にはもう住めない。
そういう事業に加担することは、地域重視の私たちの仕事にあってはならない、と企業として明確に「脱原発」を打ち出したのが、城南信用金庫の代表でした。
大正の関東大震災のあと、大規模な都市復興計画をした、後藤新平(大臣?)という人のことも知りました。その時にできた小学校や公園は、今も幾つか残っていて、その中のある学校は今回の震災時に避難場所として使われて、震度五強の揺れにびくともしなかったそうです。
四、五十年の間の話ではなくて、それよりも先を見据えての街づくりだったのかな、と思いました。
翻って石原慎太郎などの政治家の発言や構想を聞いていると、その視点が決定的に欠けているんじゃないか、という気がします。
敗戦直後のころに子どもだった彼らは、戦後の経済急成長を体感していったのだと思われ、その働き盛りのころの感覚が今も抜けなくて、オリンピック誘致だの、原発推進など、この期に及んでもしがみついているのではないか、老人ではなくて、その先を生きてこなかった人たちなのか、と思います。「それが(その、ほんのいっときの)男だった」とでもいうようなジェンダーバイアスも強く感じます。
先ほどの、福島の小学生の放射線限度の値を、適当に決めてしまう感覚にもつながるような気がします。未来はいつも自分より若い人たちにあって、その若い人たちは自分の若いときを再現している過去ではない、ということなのだと思います。
津波で何もかもが破壊された港街で、がれきの撤去作業をしながら、漁師のおじさんが、「また津波が来てもかまわないから、ここに再建したい。高台に住んで海に出勤するなんて考えられない。生まれたときから海のそばで暮らしてきたんだもん。それに人がいないと、海を管理することができなくなってしまう」と、テレビで言っていました。
是か非かではなく、考えさせられます。あなたがそうしたい気持ちはわかるけど、あなたの子どもは? 孫は? ひ孫は? 津波が来て逃げることができればいいけれど、それでも、彼らが生まれ育った土地が失われる悲劇をまた繰り返すことになるのではないか、と思います。それは、子どもには選べない。
人が生きるためには(お金にはならない)仕事が必要だと思います。その仕事が(お金のためだけにあって)、自分を四十年生かすためだけのものだとしたら、つい、物が入らなさそうなカエルの小物入れもつくってしまうかもしれません。けれどそれは、ほんの一時のことなのだと思いたい、自分が死んだあとにまでつながる「仕事」もできればいいな、と思います。
現在の状況を、第二次世界大戦の戦時中や敗戦後に例えられていますが、共感する部分もありつつ、かすかに、いや、今は戦時中でも敗戦後でもない、とその例えを打ち消している自分がいます。それはきっと、当時から、もうそういうことのないようにと、死んだ人たちがしてきてくれた「仕事」をいくつか知っているから、という気がするのです。

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茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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