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嵐の櫻井翔が「ダサさ」から発展させる、素敵な「センス」

高山真2014.11.07

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 過去に出した自分の本で、あたくしは「ブスとかババアとか、そうしたネガティブなワードや概念を、視点を変えたり開き直ったりすることで、自分自身を奮い立たせたり楽しくするためのポジティブな『何か』に変える」ことを、自分なりに書いたつもりです。


 

「ブス」「ババア」のほかには「デブ」とか「オカマ」とか、要するに先天的あるいは肉体的な特徴だったり、30年40年と生きている限り誰に対しても訪れる特徴とかで、アホに何か言われても、その言葉に「まあ、揺るぎのない事実よね」と冷笑しつつ、その言葉で遊びまくって、自分自身や友人知人の「輪」の中でいいようにネタにさせてもらっているあたくし。ええ、ちょっとやそっとで、このクソオカマの心を折れるなんて思ってもらっちゃ困りますよ。

 

が、そんなタンカを切ったそばから自白してしまうと、人間は当然ながら完璧ではないわけで、どうしてもハンドリングできない概念もあります。

 

古くからの読者(推定4人)であれば、あたくしがけっこうなファッションヴィクティムであることもお読みになっているはずなので、容易に想像がつくでしょう。あたくしがハンドリングできないのは、「ブス」とか「デブ」とか「ババア」とか「クソオカマ」ではなく「ダサい」というワードです。

 

「後天的なセンスで獲得できる・できない」ものに対しては、ちょっと穏やかではいられなくなるわけ。「あたくしの、この30年以上にわたるお洋服や立居振舞との格闘はなんだったのか」なんて気持ちをどうしても捨て去ることができないのです。で、あたくしの実感としては、同じ弱みを持つゲイはけっこういるんじゃないか、と。

 

 人は往々にして、自分ができないことを軽々とやってのける人間をリスペクトしたり憧れの気持ちを持つもの。そういう意味であたくしが衝撃を受けているアイドルが、嵐の櫻井翔なのです。

 

 嵐ファンのオンナ友達に聞くと、櫻井翔の私服が残念なことはファンたちの間やネットなどでもけっこう話題になっていたそうね。あたくしがそれを知ったのは、有吉弘行とやっている『櫻井有吉アブナイ夜会』(TBS系)でのこと。ハワイでおこなった嵐ライブの後、ホテルでくつろぐ櫻井翔に密着、という回でした。

 

去年のツアーTシャツを部屋着として着ているまではまだよかった。しかし、クローゼットの中にあったメッシュのタンクトップを「これ1枚で着る」と言い切り、明らかにオーバーサイズの「寝巻き用」(本人談)トランクスをハーフパンツの上からあてて見せ(つまりこれは、ツアーTシャツよりも自分で買ったもの2点のほうがダサいということです)、買い物の際にドル札を入れたしわくちゃの茶封筒を、2つ折りの財布(!)にしまい込むという荒業を繰り出し、極めつけは、いまや田舎のおじいちゃんしか使わなさそうセカンドバッグを愛用。断っておきますが、「クラッチバッグ」ではなく「セカンドバッグ」です。

 

そういった諸々は、どれも「ダサい」からもう一段進んで「大変ほほえましい」といったセンスなのですが、それ以上にうならされたのは、もうひとりの司会者の有吉にはもちろんのこと、ゲストで来ていたフットボールアワー後藤(『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)で「私服のセンスがない芸人」として殿堂入り的なポジションにいる壊滅的なセンスの持ち主)にすら「ダサい」「ダサい」言われ続けているのに、櫻井翔が蚊に刺されたほどのダメージも受けていない点でした。

 

「せめて私服でツアーTシャツはやめとこう」と言われても「いい生地でできてるんですよ」と笑い返し、2つ折りの財布をネタにされれば「あれは高校の時からのお気に入りなんですよ。革ですからね」とドヤ顔をかまし、「セカンドバッグ、あれはないですよね」と言われて「あれなんて中学の時から使ってる!」と熱弁。「あの感じは大阪のトミーズさんと一緒」「(アイドルではなく)師匠のセカンドバッグ」とまで言われて、ようやく手で顔を覆うに至るという展開を見せてくれたわ。そうね、異常なまでの打たれ強さと言っていいでしょう。アイドルが芸人に「ダサい」と言われること自体、けっこう画期的だしね。

 

 で、「(飲みに)行く店もダサいの? アイドルやったら、指紋認証みたいな店とかにしないと行かれへんでしょ」と言われたら「いえいえ、普通に行ってますよ。(一般人にまぎれても)わかんないですよ。だってあの感じですもん」と切り返して、きっちり笑いをとっていたわ。

 

 それからしばらく経ってからの『嵐にしやがれ』(日本テレビ系)では、「『パーティーピーポーの目をくぎ付けにするファッション』というお題でセルフチョイスのコーデを見せる」という企画にほかのメンバー&冨永愛とチャレンジ。裏地のボアの色味が大変に微妙なアウターに、七色のスパンコールが輝くキャップ、そして小脇にスケボーを抱えるという、2年や3年では到達できない「面白コーデ」を自信満々に披露していたりね。

 

 で、ここが何より重要なのですが、先述の嵐ファンのオンナ友達いわく、「私も含め、ファンの多くは翔ちゃんのダサさ自体を愛でている」とのこと。そうした「輪」が、すでにきちんとできているあたりも、なんかシンパシーを感じてしまうわけね。

 

これが「オンナの子アイドルがダサい」ということだったら、オトコのファンは「そのダサさ自体を愛でる」という感じにはなりにくい。「このダサさは、オトコに目覚めてない」といった「ダサさの後ろにあるストーリー」をわざわざ作って喜ぶ、という形になるのではないかしら。実際、それに近い意見をAKBファンのオトコの知人(ノンケ30代後半)が言っていたからね。

 

 既存のワードや価値観に、新しい一面を加える。あたくし自身、あるカテゴリーでやってきたことではあるので、自画自賛のように聞こえたらイヤなのですが、これは「最初の一歩」を踏み出すまでが難しい。そして、これは断言できることですが、マージナルというかマイノリティにいる人間より、王道とかマジョリティにいる人間のほうが、高いハードルを感じるものです。それを現在日本の王道中の王道を走るアイドルが、女子たちを巻き込んでやっていることを、あたくしは評価したい。オンナの子たちを苦しめる、昔ながらの「○○であるべき」「××でなくちゃダメ」というワードや概念を軽くするためのオトコの子たち。それってなかなか素敵なことではないかと思ったりするのです。

 

 嵐については、ほかのメンバーもかなり面白味を感じているあたくしなので、いずれ書いてみたいわね……。

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