ウチの店では毎週一回、「社会科学書」と呼んでいる共産党系の出版社から出た書籍の売り上げ冊数をベスト10にして、赤旗編集部にFAXで送信しています。
ほかに、党本部のお膝元書店と名古屋の書店が参加していて、その結果が日曜日の書評ページの片隅に掲載されます。
ちなみに業界ではそういう本屋を「民主書店」と言います。
共産党系の出版社には、党中央委員会出版局はもちろんのこと、新日本出版社、機関紙出版センター、大月書店、かもがわ出版、合同出版、自治体研究社などがあります。
その中で、主に政治問題を扱った書籍をベストに入れるわけですが、だいたい首位に来るのは元委員長の不破哲三の新刊です。
たまに岩波新書の売れ筋を書いて送ってみたりもします。
そもそもの成り立ちが、共産党関係の出版物の販促書店で、私が子供のころは30坪くらいの店内の半分くらいを占めていたと思います。
母親が店員として働いていた50年前は、メーデーがあるたびに客が押し寄せるものだから、店に入りきらなくて、店外に長い行列が出来たそうです。
父親が40代で社長になってからは、一般書店にしようと拡張していきました。
コミック、雑誌、ビデオレンタル(これは失敗した)、と様々なものを取り入れてきて、今の形となりました。
そんなもんだから、昔から来てくれている共産党支持のお客さんにとっては、自分たちの欲しい本が減ったという印象があるようで、5年前にこの店に就職してからも、結構な数の苦情を聞きました。
それでも共産党支持者以外のお客さんにも来てほしい、という思いから、非難の声を意識しながらも、棚づくりに思案してきました。
それは、もうそんなに共産党系の出版物が売れなくなっていたことと、このお客さんたちは、赤旗で紹介された本しか買わない、ということに気づいたからです。
共産党支持のお客さんたちの高齢化が進み、実際に足を運ぶ人が年々少なくなり、定期で発送していた常連さんたちも、この数年で、施設に入ったからもういらない、とか、本が読めなくなってきたから、とか、お亡くなりになってしまったりして、急速にその数が減っています。後に続く、本を買ってくれる若い世代もいません。
不破さんの本や資本論が、何度も繰り返して売れるのは、彼らにとって教典のような役割を果たしているからで、引いては党支援が目的となっています。
普通の本の買われ方とは違います。ウチでは取り扱っていませんが、創価学会関連の本も似たようなことかと思われます。
赤旗は、特に共産党関係の本だけを紹介しているわけではなく、一般書からサイエンス、ノンフィクションまで、結構幅広い。版元にもこだわっていません。
なので、共産党関係の本の横に、同じテーマの本や興味を持たれそうな本を並べては様子を見るのですが、彼らは見向きもしません。たまに、その本が赤旗に紹介されると、途端に売り切れます。そして、置いてないのかと問い合わせがくるわけです。
「ずっと横に平積みにしていましたが」と思いますが、言っても詮無いことです。
ずっと一般書店をやりたかった社長は、共産党の本が前面にあると一般のお客さんがぎょっとするから、全部店の奥へ持っていけ、と言っていて、縦長の店やで、高齢者に負担をかけるようなことをよう言うわ、と言い返していました。じっさい店頭では、ここまで来るだけで疲れたから、とレジで「あれちょうだい」と店員に取ってきてもらうお客さんも増えています。
20年前までは、入り口付近に、共産党の月刊誌である『前衛』や『経済』(今でも50冊は売れます)に、不破さんの新刊が山積みされていたのに、今じゃコミックと雑誌なので、もうどこにあるのかすらわからない人もいます。
先日も入ってきたおじいちゃんが「ここ、ほんとに○○さん?」と当店の名前を訊いてきました。
他のお客さんがどう思っているのかわかりませんが、共産党の本が置いていようが大して気にしていない感じです。
それに改装を重ねるたびに、共産党のお客さんに怒られながら、私はどんどんその色を薄めていきました。
潮目が変わったと感じたのは、SEALDSが登場した時でした。
あるフェアをきっかけにツイッターのフォロワー数もぐんと増えて、それはあきらかにシールズ効果でした。そして共産党の野党共闘への流れ。
政治や社会問題に関心があって、でもどこかの政党を支持しているわけでもない人たちに向けて、こんな本もありますよ、こんな本が出ましたよ、と紹介していきたい。そこに共産党のお客さんも巻き込みたい。
先日、74歳の父親が社長室(といってもたいした部屋ではないですが)で、
「ひろし、お父さんは、世界は広いということがわかった。というより、世界はもともと広かったんだな。内田樹やアーレントの本を読むようになってわかった。民主書店ということで、ずっと視野狭窄に陥っていたようだ」と嬉しそうに言いました。
赤旗で紹介された本しか買わないお客さんに、私の仕事が理解された気になりました。