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松本隆×ユーミン×松田聖子…、人生の折り返しを過ぎても、「旅立つこと」「生きること」は素晴らしい

高山真2015.10.26

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 体調が安定しなくてラブピースクラブさんにもご迷惑をおかけしています。推定4人の読者の皆様、もしコラムのアップを待っていてくださっていたのなら、前回すっ飛ばしてしまって本当にごめんなさいね。

 来年1月予定で、「高山真」としては8年ぶりくらいに新しい本も出るし、いろいろやらなきゃいけないことも多いから、トップギアとまではいかなくても、自分なりに普通のモードに戻せるよう、努力は続けていきます。

 さて、あたくしは過去の連載でも、松田聖子のファンであること作詞家・松本隆のファンであることを公言してきましたが、その2人がタッグを組んだ新曲が発表されました。『永遠のもっと果てまで』というタイトル。なんでも『PAN~ネバーランド、夢のはじまり~』という映画の日本語吹き替え版の主題歌になっているそう。しかも作曲は呉田軽穂。ユーミンよ! 松本隆×松任谷由実×松田聖子の組み合わせは、『時間の国のアリス』以来ね。一部のマスコミでは「『Rock’n Rouge』以来」と書いていたけれど、それは編曲の松任谷正隆を入れた場合の話ね。『時間の国のアリス』の編曲は、今は亡き大村雅朗氏だったから。オタクってのはこういうとこ細かいのよね。

 7月くらいのことだったかしら、「この組み合わせが再始動した」というニュースが流れたとき、妙齢のオカマたちの間ではそりゃ大騒ぎになったものです。この連載で以前にも書いた「聖子の声の衰え。頻繁に作るタメ問題」は、オカマたちのほぼ全員が共有している。そのうえで、ユーミンがどんなメロディをつくり、松本隆がどんな歌詞をつくるのか…。で、10月28日の発売が待ちきれなくて、先行ダウンロードで聴いてみました。

 結果…。泣いちゃった、あたくしったら。「夕陽を絞ったジンジャーエール」から「サヨナラに爪立てる」までのたった4行で、ボリス・ヴィアンやリチャード・バックを向こうに回せるマエストロ・松本隆が、サビでぶつける「生きてるって素晴らしい」という熱くて優しいド直球にやられてしまったのです。

 松本隆は、風に舞う色とりどりの石英の粒で、誰も見たことがない美しいサンドピクチャーを描き、しかもそこに感情まで込められる作家です。「生きてるって素晴らしい」とあえて直接的に書かないことで、「生きてるって素晴らしい」と言うことができる人。そのための百億の言葉と千億の感情を、自在に操れる人です。あたくし含め、「生きてるって素晴らしい」としか書けない凡百の書き手ではないのです。そんな松本が「こう書くしかなかった」、思いの深さに涙した、というか…。

 松田聖子は、ここ数年の中ではいちばんといっていいほど、リズム重視で歌っていました。タメもほぼなし。あたくしには音楽的な素養はないので多くを語れないのですが、ユーミンは、メロディと和音がぶつかるたびにすさまじいばかりのニュアンスを放出する曲を、何百曲も書いている。そういう曲を歌うのに、メロディがタイミングとずれていてはすべてが台無しになってしまう。そのことを聖子本人が意識していたのか、レコーディングに立ち会ったというユーミンと松本隆が注文をつけたのか。答えはわからないけれど、とにもかくにも聖子は踏みとどまったのです。

 そのうえで、あえて言いましょう。やっぱり聖子は衰えました。

 以前に書いた通り、松田聖子の最大の魅力は「あれだけのキャンディボイスが、あれだけの圧で出てくること」でした。具体的に、シングル曲を例に挙げて言うならば…。

『Rock’n Rouge』の「ちょっとブルーに目を伏せた」の「た」、
『秘密の花園』では「Moonlight Magic」の「Ma」や「誰も知らない秘密の花園」の「も」、
『ガラスの林檎』ならばサビの「ガラスの林檎たち」の「ガーッ」や、「愛しているのよ かすかなつぶやき」の「あ」、
『瞳はダイアモンド』だと「あー泣かないでメモリーズ」の「あー」や、「瞳はダイアモンド」の「(ひ)とみは」あたり。

 それぞれの曲のいちばんの盛り上がり(最高に高いキー近辺)の音が、探り探りではなく、一瞬にしてパーンと弾けるように出てくる。それが聖子の真骨頂でした。いちばん高いキーを、最初から「出力100」(聖子にとっての「出力100」は、ほかのポップス歌手たちの「出力250」のレベルです)の状態で爆発させることで、生まれるものは、何か。メジャー系(長調)の曲であれば「多幸感」、マイナー系(短調)の曲であれば「切実さ」になります。そのふたつを生み出す能力の突出っぷりにおいて、聖子は他の追随を許さない歌手だったのです。ちなみに、聖子の全盛期(80年代中期)以降、マイナー系の曲調で「切実さ」を担当歌手たちに徹底させていたのは言うまでもなく小室哲哉であり、ここ数年でその「切実さ」をもっとも強く放出していたのは、松たか子が歌った『Let It Go』だと思います。

『永遠のもっと果てまで』には、その切実さは、ありませんでした。タメてしまいそうになるところを必死で押し戻し、「永遠(とわ)の海の果てに立ち」の「ち」や「生きてるって素晴らしい」の「い」を、70の出力で当てにいってから出力80~90へと上げていく…、そんな聖子の格闘ぶりのほうを強く感じました。しかし、それがなんだと言うのでしょう。

 聖子の衰えばかりを言うのはフェアではありません。あたくしだって年をとります。冷静に、客観的に見れば、人生の折り返しはとうの昔に曲がっている年齢です。で、ある程度年齢を重ねたからこそ言えるのですが、日本には、年齢を重ねた人間に対するアンセムが非常に少ないのです。

「演歌があるだろう」って?
「惚れたはれたの情念で、オトコをとり殺すまでイクのがオンナってもんだろう」(天城越え)とか、「未練をずっと引きずるのが意地らしいオンナのあり方」(北の宿から)とか、「ダンナとずっと連れ添う可愛い妻でいるのが幸せ」(二輪草orだんな様)とか…。まあ、あたくしがこれらの曲の中でカラオケで歌うのは『天城越え』くらいのものですが、それだって多少ギャグの響きを入れないと成立しないくらいに、40代の人間にとっちゃ世界観がアナクロすぎるわけですよ。

 松本隆は、今回の『永遠のもっと果てまで』で、曲の主人公の年齢を明確には設定していません。歌おうと思ったら20代の歌手でも歌える曲に仕上げています。しかしこの曲の世界観は、人生の残り時間のほうが少なくなった人間、そういう人間のほうがはるかに強く感じ取れると確信しています。60代の松本隆とユーミンがつくり、同じく60代の松任谷正隆が仕上げた曲。美空ひばりが亡くなった年齢をすでに超えた53歳の松田聖子が、必死の思いで全精力を振り絞り、「孤独を受け止め、新しい世界に帆を上げ、生きてるって素晴らしいと叫ぼう」と歌う姿勢に、40代のあたくしは確かに動かされました。多大なる勇気を与えてくれたことは疑いようのない事実なのです。

以前、SMAPの木村拓哉のことを書いたとき、「松田聖子は1994年の段階で、『新曲がチャートのトップテンに入らないこと』が『取るに足らない小さなこと』と扱われる、ヴィンテージアイドルになった」と書きましたが、あたくしにとっては、「松田聖子は2015年に、『声の衰えがあっても、真正面から曲と取り組む限り、愛される』という、新たなヴィンテージシーズンに突入した」と書き加えたいと思います。聖子以前、過去にそういう受け止め方をした歌手は、あたくしにとってはひとりだけ。壮絶な黒人差別をひとときでも忘れるためにアルコールやドラッグにおぼれ、のびやかな声をすべて失って、ボロボロになったのどと肺を振り絞って、アルバム『レディ・イン・サテン』で、「恋はおかしくて悲しくて、静かだけど騒々しくて、愚かしくて狂っていて、でも美しい」と歌った、ビリー・ホリデイだけです。

 あたくしは、自分のことを「80年代大好きな懐古主義者」だと認めています。でも、今を生きる大人には、今の時代に生まれた歌がもっともっと必要なのです。

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