東京で自分らしく生きること そして韓流 第三回「紅白そして」
2019.04.20
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初めて好きになった芸能人はキャンディーズだった。当時はるかに人気があったピンクレディーの露出の多い衣装は、子ども心に体操着みたいで想像の余地がなく思えた。それがお色気とは理解できなかった戸籍男の子にしてセクマイの子どもには、キャンディーズの可愛い衣装がお伽の国の妖精に見えた。他の子どもと違う生きづらさを空想の世界で埋めていた。TVの向こう側が華やかな魔法の世界に思えた。
今でこそネットに溢れる情報で芸能事務所・メディア・代理店に辟易して久しいが、子ども時代にかかった魔法は暫くは解けなかった、いや薄々おかしいと気づいてからも信じていたかったのかもしれない(サンタクロースは中2まで信じていた)。最初の結婚の年に紅白に出て来た松田聖子の天使のウィンクに夢のような気分がした。3度の結婚報道後にやっと何が現実で何が幻想かを漸く受け入れた。
現在自分の中で、過去最高の紅白は2011年だ。KARAが可愛らしく、少女時代のGenieのクセになるEDMビートと仲宗根梨乃による振付が舞台に映えて、そして東方神起のWhy? (Keep Your Head Down)になった。米国でマイケル・ジャクソン等で見慣れていた、明らかにダンスチームスタイルによる創作だった。二つのダンスグループに別れて大きくステージを展開・構成して、何度押さえつけられてもその度起き上がる様を、舞台一杯に表現していく訴求力に圧倒された。
過去には5人で活動していたハモって踊れたコーラスグループが一時の法的なトラブルを経た後、再びグループ名を背負った2人が更にハードに更に研ぎ澄まされて進化した姿で立ち現れていた。末っ子チャンミンは少し頰がこけてギリシャ彫像のような肉体で、リーダー ユノは高音・高声量の相方の声域に合わせて自分まで声域・声量共に増量して。剃刀のように同機した激しいダンスムーヴを繰り広げたステージは、不死鳥さながらの堂々たるKPOPの帝王の姿だった。
人生には予期せぬ災害や死が訪れる。3.11では死者が出た草月会館からほど近い逓信病院の最上階で帰宅困難となり、日付変わって杉並に戻って程なく釜石の近親者の他界を知らされた年。皆それぞれのタイミングで何度か自暴自棄になった。それでも生き残った者は何度でも人生をやり直せる、そう彼らのパフォーマンスで再確認させられた気がした。隣国からのエールが極上のアートの形で届いた年末だった。
その夜、会場の渋谷NHKホール外で排外主義差別デモが行われていたのを知ったのは年が明けてからだった。時を同じくして、第二次韓流ブームとも呼ばれた潮流も衰退して行った。韓流コンテンツを掲げた報道局やスポンサーが電凸され、レイシスト達が新大久保ドン・キホーテの職安通りまでやって来て街を荒らして行った。茶番だったのは、狼藉三昧働いた後ヘイター達がその足で、普通に客として嬉しそうに焼肉店で料理を食べていたこと。安価なカルビは消費する同じ口で、人間をキムチ・ニンニクと罵倒する。植民地主義とはこのことかと思い知った。
気になったのは新大久保のダンスの先生のことだった。このコラムの初回でふれたEテレ「テレビでハングル講座」で、コウケンテツ氏が体験した新大久保のダンススタジオに自分も行って会員になっていたのだ。ピ(RAIN)や2PMの振付けやPVを手掛けたダンスチームの先生が、除隊後独立されて日本にも進出してオープンした教室だった。本国では練習生やアーティストしか教えた事がなくて、でもミュージックビデオと同じダンスをやってみたい1中年ファン用のクラスも日本で初めて受け持ってくれて、「レッスンしたい気持ちにプロも素人もないと思う」と励ましてくれた恩人だ。
師匠は日本語が不自由だった。自分の英語と、時折助けてくれた韓国学校の生徒さんで練習中のコミュニケーションを図った。バレンタインには先生にお礼にカヴァのロゼを贈ったりした。彼にはレイシストの醜態を見せたくなかった。生徒皆でブロックしたかった。だが次第にスタジオの生徒数は減って行った。韓流応援生活で訪れた初めての試練だった。「最大の悲劇は、悪人の圧政や残酷さではなく、善人の沈黙である」「結局、我々は敵の言葉ではなく友人の沈黙を覚えているものなのだ」と言ったキング師の言葉通りだった。
蜘蛛の子を散らすように引いて行ったブームの担い手は、「KPOPやドラマは好きだけど、政治は難しいからわからない」と言う日本人達だったのだろうか。だったら自分はその側には立てない。宮廷料理店・大使館初め次々と商店が閉店して行っても、チキン好きな仲間を誘っては共に新大久保に通い続けた。朝鮮学校無償化除外差別について学び、反差別の連帯のために路上に立ち続けた。同級生達からのイジメに涙を流した子ども時代は遠い昔となり、いつの間にか政治も人権も譲らない面の皮の厚い中年男になっていた。
時は移り、現在では当時からは想像できなかった現象が起きている。日本のダンス好きの男子高校生たちはBTSや髙田健太・ダニエル等に憧れて、ダンスチーム加入を目標に韓国行きを目指している。ブームは去り、草の根で堅実な血と汗と涙と努力の韓日フュージョンが定着したのだ。一足先に夢をかなえたミナ・サナ・モモのいるTWICE日本ドームツアーは、1分でチケット20万席分が完売した。諦めない。何度でも立ち上がる。それが新大久保の街が教えてくれた人生のレッスンだ。