ラブピースクラブはフェミニストが運営する日本初のラブグッズストアです。Since 1996

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LPCリバイバル企画 なつかしの映画座談会「グラインドハウス」2007年12月5日公開

北原みのり2023.04.09

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ラブピースクラブは1996年にフェミニストが経営するセックストイショップとしてスタートし、同時にコラムサイトを運営してきました。これまで多くの方に連載をしていただいたり、寄稿をしていただきました。たくさんの方の言葉によって、ラブピースクラブは歩き続けています。少し昔を振り返りたい気分で、27年分のラブピのフェミニズムをリバイバル紹介していきます。

今回ご紹介するのは、マンガ家の坂井恵理さん、パフォーマンスアーティストの高橋フミコさん、LPCの北原みのりによるタランティーノ作品「グラインドハウス」について語ったものです。初出は2007年です(16年前)。
今この映画を観たら、あの当時とは違う感想を持つかもしれませんが、当時は、思い切りこんな話ができる仲間の存在をありがたく思いながらしゃべりつくした記憶があります。
高橋フミコさんは、ラブピースクラブでの連載「半社会的おっぱい」がバジリコ出版から「ぽっかり穴のあいた胸で考えた」として出版されました。その後、2019年11月21日に永眠されました。坂井恵理さんは、みなさんご存知の通りずっと漫画家としてご活躍されています。近年では「ヒヤマケンタロウの妊娠」「シジュウカラ」がドラマ化され話題になりましたね!(ヒヤマケンタロウの妊娠もシジュウカラも、ぜひマンガ読んでくださいー! 面白いです!!)

北原みのり:今日は「グラインドハウス」について話をしてしていきたいと思います。いやー、面白かった。観ろ、と勧めてくれた恵理ちゃんに感謝です!

坂井恵理:東京と大阪では二本立ての「グラインドハウス」を特別上 映したのね。あたしは「グラインドハウス」も、それぞれ一作ずつになった映画も、両方観たの。初めて観た時、わっ面白い! これは話題になるっ! と思ったのに、全くもって女の子の間で盛り上がってない。なんでだろうって不思議だったから、みのりさんとフーサンに勧めた。でも・・・二人とも観るの・・・遅かったね。もう、公開が終わっているのに今さらこんな企画をやっちゃっていいんだろうかっていうのはあるんだけど・・・

北原:ごめんね・・・単なる女殺しの気持悪い映画だろ、と思っていたから、なかなか足が向かなかった。しかし・・・すごい映画でした。というわけで、今回は、「グラインドハウス」傑作! 女子は観るべし! という思いで、オタクの恵理ちゃん、映画好きのフーさん、そして私で今更だけど・・グラインドハウスを盛り上げたいと思います!

高橋フミコ:ほーい!

(注:タランティーノ監督作品「デスプルーフ」+ロドリゲス監督作品「プラネットテラー」=「グラインドハウス」 です。今回の座談会は主に、タランティーノ監督作品「デスプルーフ」について話していきます)

 

●え? 田中美津と坂井恵理以外、フェミニストからこの映画観たという報告ないんですけど?

高橋:わたし、えりちゃんに勧められても、なかなか観なかった。だって、えりちゃんわたしに、「スプラッターものは大丈夫?」て聞いたじゃない? 大丈夫じゃないもん。

北原:わたしも。でも・・・実際は、女を殺す男を女たちがボコボコにするスカッとする映画でした! スッキリだよっ! でも、この映画がこんなに面白いだなんて、恵理ちゃんと田中美津さん(*現鍼灸師であり、70年代ウーマンリブの先頭を走っていた人)以外、誰も教えてくれなかった(笑)。

坂井:でしょー。騒いでるのは男ばっかりで。

北原:男はどうして騒いでるの?

坂井:ブログなんか読むと、「デス・プルーフ」については、だいた い三つの騒ぎ方がある(笑)。一つは、“オレのB級映画の知 識”を披露するタイプ。

北原:まぁ、男らしぃっ!

坂井:二つ目は、「タランティーノのカメラワークが女のケツのアップばっかり」とか。で、一番多かったのが、三つ目。「女の子たちのダラダラした会話に眠くなった」・・・

北原高橋:あ~?

北原:あのダラダラした会話が、面白いんじゃん! 

坂井:それにタランティーノの映画ってもともと男もダラダラ話すしねえ。ところで、「グラインドハウス映画入門(洋泉社)」ってムック が出ているんだけど、その中で中野貴雄って人は「女の話は長い上にオチがなくてつまらないから轢き殺せ」と、言っている。

高橋:それ感想?

坂井:この映画をひとことで言うとそうらしいよ。

北原:同じ映画を観たとは思えない・・・。

坂井:同じく、この本の中で、別の映画評論家の男たちが、「デス・プルーフ」のラストについて「タランティーノはドMだから」とか言ってる。

北原:女たちが、殺人者をボコボコにするシーンね。蹴ったり、殴ったり、とにかく延々と女たちが暴力をふるい続ける。

坂井:そのシーンをね、映画評論家たちは、「あのラストはタランティーノの願望なんだよ」って、上から目線で語りたがる。

北原:? 女の復讐を認めたくないのかな。

坂井:ネットの感想なんかでは、純粋にあのラストに不快感を示している男も何人かいたよ。「カート・ラッセルかわいそう」とか。

北原:なんで?

坂井:あと、「タランティーノは女性にも優しいから」みたいな言い方もあったな。

北原:すごいね、それ。女があっけなく殺される前半は男に優しくて、女が男に復讐する後半は女に優しい映画? 「バランスを取った」ってこと?

高橋:わはは。優しいんだあの映画、すごい話になってきました。

 

●「男の視点から描けないなら、ダメ脚本家だよ」・・・あ、これタランティーノの言葉です!

坂井:ただ、「デス・プルーフ」のラスト、劇場で女性から拍手が起きたって書いている人も多くて。それはうれしかった。

北原:私も拍手したよ。私だけだったけどね。

坂井:女の子どうしの会話、面白かったよね。

北原:女子どうし、“どーでもいいこと”を喋り続ける。それが、とてもリアリティのある会話なんだよね。・・・あそこで眠くなるなんてこと・・・、

高橋:全然。全然なんないよ! だって、その子の持ってる恋愛観とか人生観が会話に出てる。女の子たちのキャラクターがもう会話ですべてわかる感じに、なっているよ!

坂井:車オタクの子がいれば、逆に女の子っぽいのが好きって子がいたり、そういうバラツキも、「そうそう!」って、リアリティがあった。

北原:セックスのことも、楽しそうに話してたね。女の子だけでドライブする時の、開放的な楽しさが会話に出ているよね。あのシーンで、眠ってたんだったら、この映画の意味、分からないだろうね、きっと。

高橋:・・・男には・・・聞こえないのかな?

北原:え? 女の会話が・・・?!

高橋:・・・・・・

北原:ギャー!!! コワーイ!!

坂井:パンフレットの中でタランティーノがさ、「男の視点からしか描けないなら、ダメ脚本家だよ」みたいなことを言っていたよ。

北原:・・・この国・・・ダメ脚本家ばっかりなんですけど。

坂井:女が悪と戦う映画やアニメは日本にもいっぱいあるんだけどね。でも、リアリティのある女は、描かれていない。特にアニメの中の女は、絶対に下品には描かれない。「ナウシカ」に出てくる敵役のクシャナとかさ、確かに格好いいけど、エロトークとか絶対しそうにないじゃない?

北原:エロティックではあるけど、傷を負っている・・・みたいな痛々しさがあるよね。処女、もしくは傷を負った非処女、そしていきなり母ちゃん・・・。女には三種類しかいないようだね、この国じゃ。

 

●日本の男たちの言葉が頭に入ってこないんですけど・・・同じ映画、観てます?

坂井:もう一つ! 同じ本の中でこんなのも見つけました! 木野雅之って人が「レイプ・リベンジムービーのトランスな世界」っていう文章を書いてるんだけど、この人の言う「フェミニズム」というのが、わたしにはさっぱり意味がわかんない。

北原:ん? 

坂井:この文章によると、「レイプ・リベンジムービー」ってジャンルの映画が70年代のアメリカで流行ったんだって。
物語の前半は、女がレイプされる場面がエロとして見せ場になっていて、後半は、彼女の両親とかが、犯人に復讐するみたいな話。それがね、70年代後半になると、レイプシーンをあっさり見せて、女達が復讐するようなシーンに重点をおいたような映画ができるようになったんだって。

北原:えー、見たーい。

坂井:女性たちの復讐描写が、もう凄まじく。

北原:えー、楽しそう。

坂井:で、そういう時代背景を紹介した後に、この文章。
「レイプ・リベンジムービーが闊歩した時期がフェミニズム台頭の時代、つまり70年代と符合するのは偶然ではない。女性とはかくあるべし、対する男性とはかくあるべしといったフェミニズムや昨今のジェンダーなる二元論的な性差思考を完膚なきまでに粉砕したのがレイプ・リベンジムービーなのである」

ーーーー(しばらく、全員無言)ーーーーーー

高橋:フェフェ、フェミニズムを「女らしさと男らしさの二元論だ」って言ってんだよね、これ。

北原:やっぱり・・・そう?

高橋:だっひょっひょ!

ーーーーー(またしばらく、全員無言)ーーーーー

北原:これ、文章がおかしい。

坂井:この人、なんかまあ、映画はいっぱい見てるんだろうけど・・・。で、同じ文章の中で、「ザ・レイプハンター」という映画について、こんなことを書いているの。
「主人公のリンダが、ラストで、レイピストをスコップで何度も何度も突き刺すラストはフェミニストたちの怒りを一気に解放したかのようだ。つまり本作は女性がもっとも忌み嫌うレイプシーンを意図的にトーンダウンさせ、リベンジばかりを強調した、まさにフェミニスト讃歌の作品なのである。」
って文章の後に (そんなわけはない) ってカッコで書いてあるんだけど・・・。

北原:フェミニズムを意識するあまり狂っていく男っているよね。

高橋:ぬわっははは! 

北原:この人、フェミニストに個人的な恨みがあるんじゃない? 私怨を感じるよ。

坂井:この本は、実にツッコミどころ満載なの。

北原:「映画」について語る前に、映画について語る男たちについて語りたくなるね。

坂井: そうなの。あとね、この本の中の対談で、「ロドリゲスとかタランティーノとか、オタク監督は、どうも女の裸から逃げる傾向にある。ちゃんと裸見せろよ」みたいなことを言ってる男がいたの。

高橋:逃げてるんじゃないよ、見せる必要がないんじゃないの?

坂井:うん。で、あたしは、その男の言葉で逆に気が付かされた。だからあたし、タランティーノの映画好きなんだって。「キル・ビル」も、主人公のザ・ブライドは、入院してる間にレイプされてるっていう設定だけど、そのシーンはまったく見せてないよね。だからあたし安心して見てられたんだなって。「パルプフィクション」では男がレイプされるシーンを描いてんのに…。

北原:タランティーノは女の裸を「使わない」んだね。

高橋:あー、わかるわかる。虐待とかレイプとか出てこない映画でも、女の裸のポスターとか、隅にぴょっとか出すようなさ、なんかそういうの、それだけですごくいやだったりするよね。ストーリーに関係なく女の裸を出したり、またはストーリーに関係あるからと言って、執拗に女の裸を出したり。

坂井:そう。それに、これまでも戦う女の映画っていっぱいあったけど、例えば、敵は、分かりやすい悪者や、宇宙人や未来人だった。そして敵と戦う女は、全うな女じゃなければいけなかった。やりたい放題やるような女って、必ず途中で犯罪を起こして、最後破滅に導かれるみたいなオチになっていたじゃない? 「こいつは死んでもしょうがないな」みたいな。それが、「デス・プルーフ」では、全然そうじゃない。エロトークをする下品な女の子たちが、快楽殺人犯に復讐するっていうのが、すごく良かった。

北原:そういう「観たこともない」感じが、映画オタクの男たちを狂わせたのかしら?

 

●出ました!辛淑玉さんの明言〜「暴力はやる方も傷ついている」なんて、すっげー嘘だから!〜

北原:女の描き方が良かったのはもちろんなんだけど、私は男の描き方がすごくリアリティあったことにも驚いた。凶悪な殺人犯が、実は愚かな幼稚な馬鹿な男である、ってことをきちんと描いていたじゃない? 犯人は女の子たちを殺しながら、彼女たちにこう言う。「かまって欲しかったんだよ」って。リアリティがあるよね。快楽殺人犯の実態なんて「ママー、助けてー、僕、女の子、殺しちゃったけど、でも、本当はただ遊びたかっただけなんでちゅー、バブー」みたいな男じゃないか。そういう意味で、快楽殺人犯をヒーローにしないタランティーノはエライ! ある意味、フェミ映画。

高橋:でも、フェミニストで誰か騒いでる人はいなかったんだよね?

坂井:逆にフェミニズムにこだわらない女の人の方が、「強い女サイコー!」とか、「109で広告打ったらもっとヒットしたのに」とかブログで書いてたりしてて。あれ? フェミ業界、誰もこれ見てない? みたいな。

北原:もしこういう映画を受け入れる女がいっぱいいるフェミ業界だったら、日本のフェミ状況って、もうちょっと明るいんじゃないの? 

坂井:でも、どうなの? わたしよく、フェミ業界のことわからないんだけど。暴力的なことはOKなの?

北原:どういうこと? 暴力的なことって

坂井:あの、暴力で復讐してたら平和は訪れないとか・・・フェミニズムは言ってない?

高橋:はい。

北原:やられたらやり返せじゃないの? だけど、実際にはやり返すすべがない、力が足りないって、泣き寝入りを強いられてきた女たちは、この映画が気持ちよくて拍手するんでしょ。この映画の中で、「復讐しようよ!」って決めた時の、女の子たちのあの輝いた顔が、とても嬉しかった。みんな本当は泣くほど怖かったのに、きちんと「許さないよっ!」って堂々と怒ることができる。キラキラしてたよね。女が集まれば、男の一人くらい、なんとかボコボコにできるよっていうメッセージだよ。

高橋:あー、そうーそうー!

北原:復讐を誰も躊躇しない感じが素晴らしい!!

坂井:気持ち良かったよね、あれ。

北原:でも、自分たちに日常を振り返って、どう感じた? 私は、夢のような世界だと思った。きちんと怒って、一丸となって復讐をする。仲間がいれば強い。自分も車の中にいて、よっしゃーっ! っていう思いになった。

高橋:なった、なった。

北原:躊躇なく体が動いて、自分よりも体力のある男に殴りかかっていける勇ましさ。なんて女気溢れる、捨て身の格好良さ!暴力肯定しているのかって、怒られそうだけど。

坂井:映画とか物語ってみんなの願望を描くようなところがあるか ら。そういう意味で、フィクションの中で暴力振るうのは全然アリだと 思うの。でも、あまりにも暴力ふるってるのが男ばかりってのが気に入 らないんだよね。

北原:それってもう、フィクションじゃないしね。私は、フィクションじゃなくて現実にこういうことがあったらいいな、って思った。この映画、日常的なレベルでいうと、痴漢じゃん。命の危険はないけれど、男の身勝手なファンタジーの中に、女のカラダが使われる。だけど、痴漢にあった時に、未だに声が出なかったり、身動きできない女の人、けっこういるよね。そういう時に、とっさにカラダが動いて、声が出て、そういう「怒り」がカラダに反射できるように女はつくられてないもん。

高橋:女が犯罪者になったら、「女なのに」って感じの報道のされ方するじゃない? それが例えどんな犯罪でも。暴力的なことだったらなおさら。女は暴力ふるうな、という一線があるよね。男はさ、「暴力して当然、当然なんだから自重しろ」。暴力に対する一線が、男の場合は胸元くらいにあって、女は頭の上の上の方にある感じ。男の暴力に対する一線は、「この腕を出すかどうかはあなたの意志です。出したんだから罰せられますよ」っていう。女はなんか、手も出ないっていう、そんな感じがする。

北原:この前、女祭りのとき辛淑玉さん言ってたじゃん。「『暴力はやるほうも傷つく』って言うけど、嘘です。暴力は気持いいんです」って。暴力を振るう方って、感情を放出するから気持ちいい。その気持良さを、どのくらい自覚しているかってことなんだよね。善悪じゃないよ、気持ちいいからついつい振るってしまうんだ、という自分の愚かさを自覚しろってことだよね。

高橋:そうだね。

北原:私、この映画を観て、女が暴力振るうのが嬉しかったのはさ、主人公のゾーイが、ものすごくイキイキと健康的に笑いながら男に殴りかかっていったところ。気持ちいい! って全身で表現してた。正義でもなく、使命でもなく、義務でもなく、ただただ、自分を殺そうとした男に、夢中で飛びかかっていく様。あれはスゴイ。笑いながら、男に掴みかかっていけるような女に、私は、なりたい(笑)。

坂井:DV男とどう違うの?

高橋:DV男は笑いながらは、暴力、ふるわないんじゃない?

北原:DV男の暴力は、女への支配だから。真剣だよね。「オレのことわかれーっ」「オレの言うことを聞けぇ」だからね。私の暴力は、「ははっはははーっ!」って笑いながら、前向きに、分かってくれとかは言わず、真剣さも足りず、ただふざっけんなー、へっへへへー、という軽い気持ちよ。もちろん正当防衛だしぃ。

高橋:はははーっ!恐くない?でもそれ。

北原:こん棒持って。笑いながら暴力男にかかってくって感じ。おりゃー!

高橋:ゾーイが草むらにとばされちゃった時、みんなが心配してたら「大丈夫!」って草むらからポッて出てきてさ、「ハーハー、すごかったね」って言いながら、あんとき、目が狂っててさ、ウオー!かっこいいなーって。

北原:目がイってたよね。笑いながら殴りかかっていく女なんて、観たことないよ。女の怒りがものすごく肯定されている。立派です!

 

●パッチギ!・・・フェミに語らせます?

高橋 関係ないけど、あたし「パッチギ!」みたんですよ。「パッチギ ラブ・アンド・ピース」

北原:どうだった?

高橋:チョー!つまんなかったんだけど。

坂井:あたし「パッチギ!」最初のしか見てない。つまんなかったか ら。

高橋:うん。それに輪をかけてつまんない。なんか、もう、時代遅れだよ。あんな映画、今つくって、ほんとに。見る人の感性よっぽど先に進んでるのにって感じがした。

北原:どういうこと?

高橋:映画の冒頭、日本人と朝鮮の学校の人たちもいっしょに電車のところで暴力をやり合うシーンからはじまるわけ。男達が戦っていて、まあ、仲良く喧嘩してるっていうか、それが、あの監督の言いたいことなんでしょ。「民族を超えて、熱い血潮の、熱い心のぶつかり合いは、どんな民族の男であっても、熱い心を持っているっていうことは同じなのさ」みたいなさ。そういうところから入ってくる感じで。見た?

北原:どうしてわたしが。あんな映画の二作目が作られることが、私には分からない。どうせ京都から東京に移っただけでしょ?

高橋:そうそうそうそう。それでさ、水着きてる女達がきゃーきゃーきゃーきゃー騒いでるシーンとかも、無意味に長いの。無意味にアップなの。もうさ、そんなのだらけだよ映画中が全部。無くてもいいところに、ただの趣味。そういうところからして、間違ってるわけ。一つの映画を組み立てて行く中に、自分のそういう価値観とか、ただの趣味みたいなものをペロペロペロペロ出してるのってさ、それだけで作品が低下、劣化しちゃうっていうか、ぬるいじゃん。そういうところを許してる自分みたいなのが、もー、なんて言うのかな、幼いっていうの?

北原:たぶん、みんなが許しちゃってるんだろうね。

高橋:なんかね、やっぱり、日本男児っての? は、想像力がなくなるように育てられてんのかなって思った。他者に対する想像力を持たないように育てられるんだなって。

北原:どういうところでそう思った?

高橋:「グラインドハウス」のパンフレットの対談にこういうこと言っている男たちがいるの。これこれ・・・(パンフを広げる) 
「あの女の子たちの会話は、本当に意味がないんだってこと(笑)」
「適当にしゃべらせておいてそれを延々と撮影していて編集でつまんでいる感じですよね。でもあの意味の無いしゃべりがとても低予算っぽいんですよ…」
意味って何ってかんじだけど。

北原:なんでわざわざ太字になってんの?

高橋:はは、あたしの目につきやすいようにかな。でも、同じパンフの中で、タランティーノは、さっきえりちゃんが言ったようなこと、ちゃんと書いてるんだよ。女が描けない脚本家はダメな脚本家だって。

北原:タランティーノは、男を観るような視線で、女も同じように観ている。女を神聖化しない。変に堕落させたりもしない。だからタランティーノはこの会話が書けるんだよね。女を観てもいなくせに、自分達が書けると思ってる男たちが、ずうずうしいよね。なんか改めて日本男児への怒りが湧くね。

高橋:わくわく。

 

●プラネット・テラーで興奮! レイプ犯のチンコ腐らせてみましょう!

北原:ところで、もう一本の映画「プラネット・テラー」(ロバート・ロドリゲス監督)も、面白かったなぁー。

坂井:主役のチェリーを演じたローズ・マッゴーワンのインタビューがあるんだけど、こんなこと言ってるの。
「当初『プラネット・テラー』の主人公は男性という設定だったの。でも、カンヌでロバート・ロドリゲスに会ったときに、『男性の演じるパートが女性のために書き換えられたことって決してないのよね。女性がアクション・ヒーローになってはいけないっていう理由はないわよ』って不平をぶちまけたの。それを聞いてロバートは考えを改めてくれたみたいで、女性が主人公を演じることになったというわけ。」

北原:すごい。ローズさん。「デス・プルーフ」と合わせてみると、正にこれ「女讃歌」映画だわ。一本目の「プラネット・テラー」で「強い女であれ」というメッセージを受ける。二本目の「デス・プルーフ」では、「その男は殺していい」という(笑)。

坂井:「プラネット・テラー」、見てて楽だった。

北原:しかも強くて機敏な女が残るしね。ヒーローっぽい男がことごとく間抜けな死に方をしていく。

高橋:あははは、ヒーローが!

北原:「プラネット・テラー」で一番、興奮したのは、レズビアンの関係。全編通して、レズビアン色が匂う映画だったね。さらに言うこと聞かないバカ息子が、あっけなく死ぬのも意味深い。娘だったら殺さないだろうね、ロバート・ロドリゲス監督は。

坂井:最後、チェリー(主人公の名)が産む子供は女の子だもんね。

北原:あー、そうだ!

坂井:レイプ犯として登場するタランティーノをコテンパンにやっつけるとこも気持ち良かった。(※タランティーノが登場する。チンコが薬で腐り、落ちていく気持ち悪いシーンを演じた)

高橋:あれ、すっごかったね! あれ、男は考えないでしょうね、普通。

坂井:玉を切って集めるのが趣味の科学者とか。あんな設定、考えただけで、股が痛くなりそう。

北原:どっちかっていうとあたし、「プラネット・テラー」のほうが好き。

坂井:気持ち悪い映像が多いから、スプラッター嫌いな人にはちょっとお勧めできないんだけど。

高橋:でも、そのスプラッターと女殺しっていうのは単純にくっついてるじゃん。

坂井:うん、今まではね。必ず、女が殺される場面が見どころだった。でも、この映画は違う。

北原:うん、おもしろかった。・・・・で、なんかわかんなかったことあるかな、あの映画で。

坂井:わかんないことだらけじゃない?

北原高橋:はっはっはっはっは。

高橋:この映画さ、女の人がエロだけじゃなくて、全て、持ってる能力をすごい発揮してんじゃん。肉体的な能力とかさ。そういうのが気持ちいいなと思う。

坂井:「無駄な能力はいつか役に立つ」(※映画の中の名ぜりふです)

高橋:そう!

 

●乳がんになってみえてきたフェミニズム、なぜ私たちはフェミニストになったのか。

北原:この間ビョン・ヨンジュ監督にインタビューをしたの。「ナヌムの家」撮った人として有名だけど、今はドキュメンタリーではなく、劇作を撮っているのね。
私がインタビューしたのは「蜜愛」という映画について。夫に不倫された女性が鬱病になっちゃって、家族で田舎に引っ越す。そこで妻が田舎で出会った近所の医者と不倫をしていくわけ。その医者の男ってのが、「この夏の間だけゲームしないか」みたいな、エロエロの男なわけよ。「先に愛してるって言った方が負けだ」とか言って。

坂井高橋:わっはっはは。

北原:それでさ、すごいズブズブなセックスをしてて、お互いに好きになっちゃうの。結局、最後にその医者は事故で死んじゃって、女は「わたしは一人で生きていく」・・・と。まぁ、平たく言えば男からの自立の話なの。

高橋坂井:ふーん。

北原:でもね、実はその映画には原作小説があるの。韓国の江國香織と呼ばれている小説家が書いたんだって。で、その江國香織は、医者の不倫相手を理想の男として描いていて、離婚してその男と共に生きる物語りを書いていたのよ。それを、ビョン・ヨンジュン監督は勝手に殺しちゃうわけ、男を。

高橋:その江國香織からは怒られなかったの?

北原:いやがられたらしいよ。でも監督には、男を殺す必要があったの。「主人公が自立するために、男は必要なかった」とかおっしゃってたよ。するとね、ぼやけたエロティック不倫小説が、女の自立の話になっていくわけ。ああ、物語りの解釈で、ここまで違う物語りをつくることができるんだって、感動した。

高橋:なるほどね。

北原:何を言いたいかというとね。とにかく面白い女の映画監督、もっともっと増えてほしいってことなのよ。リアリティのある女を、もっともっと表現していってほしいのよ。「こんな女、いねーよ」みたいな、男の幻想の塊のような女なんて、もう、観たくない。女気のある女が表現していってくれ!

坂井:わたしも頑張ってマンガ描いていく。

北原:そうだよね! フェミフェミ、眉をしかめているだけじゃダメなのよ。ところで、フーさんはさ、10年くらい前、初めて会った時とか、フェミニストじゃなかったよね?

高橋:うー、はは? 何を言ってました、わたくし?

北原:「あんまり男とか女とか意識しない」「あんまり差別されたことないとかさ、女ということで苦しんだという記憶は、考えてみるとあんまりない」とか。フェミの敵みたいなこと言ってたよ。

高橋:ほー。男と思ってたからじゃない?

北原:男と思ってた?

高橋:ふはは、そう。女グループの方にいますけど、男のつもりで、なんか、女の集団の中の男として、「よしオレに任せとけ」みたいな、そんなようなつもりでいたんじゃない?

北原:やっぱ、乳がんになって、女だってこと自覚した?

高橋:ほんとそうだよ。それで、服とかもさ、好きなのを買ったりすると、美の追求っていうんですか? それは楽しいなっと。だけど、押し付けられた、「女は美しくあらねば」みたいなの凄くいやで反発してたけど、なんかちょっと、垢擦りとかしてみたり、マッサージしてみてもさ、気持ちいいじゃん。

北原:気持ちいいね。

高橋:その気持ちよさは、いいじゃん。「美」という言葉しか与えられてないから、「美しく」とか、全部「美」つけてやってるけど、でもやっぱり、気持ちいいからやってんじゃないかなって思うんだよ。

北原:「快」だよね。

高橋:「美」っていうアプローチしか主に許されてないのが、窮屈だったんだ。ま、そこんとこは、もうちょっと言葉数が増えていったらいいと思うんだけど。「美、美、美、美、美」って言ってる割には、みんな動機は様々なんじゃないかなって、最近は、そう思ってる。

北原:で、フーサンはどうなっていくの?

高橋:え?・・・そうだな。赤組に付くっていう意味で、フェミって言ったりする。そういう言葉を使う時がある。けど、「こういうのがフェミニズムでしょ」って言われると、そう決めつけられるのはすごい嫌な感じがする。「あたしのフェミは違う」みたいなさ、「あたしのフェミは生きている、生き物である」みたいな。「昨日と今日は違うのだ」みたいな。

北原:それでいいのだ。

高橋:逃げ道かもしんないけど、でもそういうふうに、いつも自分が思ってることがフェミニズム。オレ中心、みたいな。

北原:気付きの連続だからね、フェミって。

高橋:「オレがフェミだから」みたいな。そういうふうに思っているかな、たぶん。

北原:えりちゃんはこの10年、何か変わったりした?

坂井:うーん。あたしはフェミっつーかオタクだったんだけど、どっちかっていうと、童貞のオタクに近いって自分のことを思っていて、

北原:どういうこと?

坂井:かわいい女の子が出てくるマンガやアニメが好きだったし、で、今でもボーイズラブって面白いとは思うけど、そんなにハマらないの。やっぱり、女の子が物語の中心にいて欲しいっていうのがどっかにあって、それがわたしのフェミ、みたいな感じ? 
最近、ボーイズラブってフェミニズムの視点からいろいろ語られてるじゃない? 「男と女の関係にしちゃうと、あまりにも生々しいから、男と男にしちゃえばレイプもありだし、カップルの関係性とかも安心して見ていられる」みたいな。でも、あたしはやっぱり、女の人が物語の中にいて、それでどう動くのかが見たいってところがあるんだよね。

北原:物語って、人を再生させるくらいの影響力があると思う。自分が投影できたり、共感できたり、またはリアリティがあるからこそ反発したくなるような、そんな女の主人公をたくさんみたいと思うよ。。。。。ということで、今回は、このくらいかな。ねぇ、またみんなで集まって、映画の話しない?

坂井:いいね。その前に、「グラインドハウス」これからも公開するから、みんなで行こうよ! 12月22日、シネセゾン渋谷でオールナイト公開! 会場、女子で埋め尽くして、拍手したい!

北原:いいね! じゃぁ、みなさん、22日夜、渋谷で会おう! 大騒ぎしながら、女の復讐劇、楽しみましょう!

 

・・・・・ということで、この後、女三人は夜の街に・・・・。座談会は3時間ほど、ラブピースクラブで行いました。坂井恵理さんが入念に下調べをしてきて下さったおかげで、「デスプルーフ」(byタランティーノ)についての「男たちの感想」を知ることができました。なーんと、同じ映画を観ても、女の復讐劇に対する立ち位置って、やっぱり違うのか・・・・坂井さんの情報に驚くばかりでした。
「デスプルーフ」そして、「プラネットテラー」、女気ある皆さんが観たらどう感じるのか? ぜひぜひ聞きたいなー、と思います。座談会のご感想、また映画のご感想もぜひお寄せくださいね!
ちなみに、私はこの映画をパートナーと観に行ったのですが、彼女の感想はこういうものでした。
「どんな結末であれ、女が殺される映画なんて観たくない。アート好きな人のための、『私は分かってるわよ』みたいなことを言いたいだけの映画じゃないの!?」
彼女からしてみれば、私も、「わかってる、オレ」なB級映画オタクと同じようです(笑)。
ほんと、同じ映画を観ても、こんなにも違う感想・視線。これからも映画についてのスペシャル企画、続けたいなぁ・・・と、改めて感じています。(北原みのり)

テープおこし:高橋フミコ
編集:坂井恵理&北原みのり

 


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北原みのり

北原みのり

ラブピースクラブ代表
1996年、日本で初めてフェミニストが経営する女性向けのプレジャートイショップ「ラブピースクラブ」を始める。2021年シスターフッド出版社アジュマブックス設立。
著書に「はちみつバイブレーション」(河出書房新社1998年)・「男はときどきいればいい」(祥伝社1999年)・「フェミの嫌われ方」(新水社)・「メロスのようには走らない」(KKベストセラーズ)・「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)・「毒婦」(朝日新聞出版)・佐藤優氏との対談「性と国家」(河出書房新社)・香山リカ氏との対談「フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか」(イーストプレス社)など。

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