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公共の場で上半身裸になって、抗議行動をする「FEMEN (フェメン)」というフランスのフェミニストのグループが気になっている。最近、乳がんについてのエッセイ漫画を翻訳しているところなので、もしかするとそのせいもあるかもしれない。

昔から知っていたグループなのだけど、先日ツイッターでたまたま見かけたパフォーマンスが思いのほかよくて、とても気になってしまった。

それは、2019年に入ってからフランスでの女性殺人(フェミサイド)が60人に達したことを受け、政府に対策を求めるための抗議行動だった。およそ60人のフェメンメンバーがパリ中心部のパレ・ロワイヤルにあるビュランというアーティストが制作した円柱の上に立ち、ピンクの煙がもくもくと出る発煙筒のようなものを振り回しながら叫んでいた。

スローガンは「パ・ジュヌ・ドゥ・プリュス!」(Pas une de plus)。つまり「これ以上ひとりも犠牲者を出さない」という意味だ。メンバーひとりひとりの胸には「ガエル、妊娠6か月、刺されて」「ジョゼット、銃弾で」「シャンタル、死ぬまで殴られて」といった具合に、犠牲者ひとりひとりの名前と殺害された方法がペイントされていた。

フェメンのリーダー、イナ・シェフチェンコがそのときの様子をツイートしている。

フェメンが女性の身体を道具として使うことに、私はつねづね釈然としない気持ちを持っている。「どうせ男はおっぱい見せれば注目するんだろ、愚か者どもめ」「女の声を聞く気がないなら嫌でも聞かせてやるよ」というコンセプトは威勢がよくて好きなのだけど、興味本位で胸だけ見られて、結局グループの主張は無視される可能性も排除できないと思うのだ。

でも、この日のパフォーマンスに関しては、見た目の完成度が高いせいか、つい感動してしまった。私には犠牲者の名前を直接体に書くことは「殺されたのはあなたではなく私だったかもしれない」というメッセージに思えたし、犠牲者ひとりひとりの名前を記録し、記憶にとどめ、犠牲者へ連帯する行為のように感じられた。

フェメンのマニフェストによれば、フェメンメンバーの裸の上半身はただの裸ではないのだそうだ。スローガンをペイントした胸は、もはや男の見る喜びに奉仕するためのただの性的なオブジェとしての胸ではない。胸に政治的なメッセージをペイントすることは、性的興味によるまなざしを許さず、女性が自分の身体を取り戻すことを可能にするのだという。

どうだろうか。世の中のフェティシズムを逆手にとった挑発的行動は、おもしろいのだけれど、やっぱり矛盾したコンセプトではないだろうか。だって、胸にしか興味がない人たちが相手だったら、ペイントしたスローガンは見てもらえずに、無効化されてしまうから。女の体を観賞して消費する男性のまなざしを、胸にペイントしたくらいではねかえすことができるとは私には思えない。そんな簡単ではないだろう。

それに、もしフェメンが主張するとおり、フェメンの胸が性的興味を引きつけない胸だとしたら、トップレスで抗議することで人々の関心を引くという戦略はそもそも破綻していないだろうか。フェメンがメディアや人々を惹きつけるのは、胸を露出しているからだし、胸を露出することがなぜ注目を集めるのかと言えば、胸がふだんは隠されている性的な身体のパーツだからだ。

マニフェストでは、フェメンのような健康な肉体はいやらしくない、というような趣旨のことも言っている。健康/不健康で体の価値を分ける考え方に私は賛同できないけれども、とにかく、そのためにパリの本部でフェメン・キャンプみたいなものまで実施して、健康な肉体作りに励んでいるらしい。

しかも、フェメンは世界同時革命ならぬ、世界同時フェメンを目指しているので、各国の支部(というのが12か国くらいにある)にも同じ方針の活動をするよう要請し、各国代表をフェメン・キャンプで研修させるフェメン・インターナショナル・キャンプみたいなことまでしている。今思い出したけれど、フェメンとして抗議行動をする際には決して笑顔を見せてはいけないので、そこで笑わない訓練もするらしい。笑ってはいけないフェメン・インターナショナル・キャンプみたいなことを大まじめにやっているようなのだ。

なんというか、こういうセンスってどうなのだろう。まじめなのはわかるのだけど、何もかもがすごくシンプルだ。だいたい、各国事情が違うのに同じ方針って。しかもその方針って何かと言うと、とにもかくにもトップレスでの抗議だし。

声を上げている人々に対して、深い思想的背景がないことを責めることはできないのかもしれないけれど、それにしてもストレートすぎるというか。そもそも、グループ名になっている「フェメン」という単語は、ラテン語のfemenから来ているのだそうだけど、この単語は女性を表すfemmeなどとはまったく関係がなく、「腿」という意味なのだという。選んだ理由は「語呂がいいから」。「女性」という概念を無化しているとか異化しているとか、なにかこれは理屈がつくのだろうか。

フェメンの言語センスといえば、「セックス」と「エクストレミスト(過激派)」を組み合わせた造語で、自分たちのことを「セクストレミスト」と自称しているのだけど、これもよく考えるとまったく意味がわからない。そればかりか、フェメンの主張(いやらしくない、性的じゃない胸云々)と相容れないような気もするのだけど、どうなのだろう。

フランスには、ちょっと知的な雰囲気のある運動としては、たとえば「ラ・バルブ(ひげ)」というグループがある。女性が排除されている場所やイベントにつけひげと男装で乱入し、主催者を誉め殺しにするマニフェストを読み上げて、最後にみんなで記念写真を撮るという活動をしている。政治家の討論会に乱入して排除されたこともある。こうした運動が存在する国で、フェメンのように裸をさらすことにどれほどの意味があるのだろうと考え込んでしまう。

ラ・バルブが討論会に乱入し、排除されたところ。

もともとフェメンは2008年にウクライナで結成されたグループだ。当時も今もウクライナはヨーロッパからの買春ツアーの目的地になっていて、グループ設立の目的はそのことへの抗議だった。ロシアの影響の強いウクライナでは自由が制限されていて、当初はとにかく声をあげ、目立ち、メディアに取り上げられることが大事で、あのような抗議方法になったのかもしれない。ベラルーシでメンバーが投獄されたこともあったし、アンチのグループからの殺害予告も出ていて、命がけの活動をしていたことは間違いない。こうした脅迫が原因でメンバーはフランスに亡命している。

とはいえ、調べれば調べるほど、フェミニストからフェメンに対する批判が目についてしまう。フェメンには、裸で抗議行動をするメンバーの美しい外見が、かえって女性を抑圧する美の規範を強化しているのではないかという批判がある。60人で抗議をするとなると、さすがにザ・東欧美女みたいな人たちだけではないが、それでもメディアに露出するメンバーは若くて健康的で美しい人が中心だと言われる。また、リーダーのシェフチェンコは、「フェメンは本ばかり読んでる年とったフェミニストとは違う」など、本当にフェミニストなのだろうかと首をかしげたくなるような発言もする。

派手なパフォーマンスでメディアに取り上げられることはあっても、何か具体的な要求を出して実現に向けて地道な行動をするタイプの活動ではないので、成果を上げていないという批判もある。成果なんて、そんなに簡単にあがるものではないだろうと思うけれど、言いたいことはなんとなくわかる。メディアで目立って世論を喚起することに特化した活動は、手段と目的を混同しているように見えるのだろう。

だけど、やっぱり実際にパフォーマンスを見ると、激しさや捨て身の潔さに私は心ひかれてしまう。あまりにも何度も世の中で理不尽が繰り返されるのを見ていると、もうどうなってもいいから裸になって、叫びだしたくなるような小さな衝動が私の中にも芽生えてくるのを感じることがあるからだ。

あるいは、こんなにフェメンのことが気になるのは、私自身のナルシシズムみたいなものも関係しているのかもしれない。私は、自分の顔や体が世界で一番美しいとは思わないけど、でも自分に属しているという意味においてそれなりに愛している。外見的な部分を褒められると、「いや、そんなことない」という気持ちと「言われた通りのよい見た目だったらよいな」という気持ちがだいたい4:6くらいで混じりあう感じだ。

私は、この程度のナルシシズムは平均から多少強めあたりではないかとにらんでいるけど、どうだろう。こういう私だから、若く美しく健康な体を誇示するフェメンのメンバーたちがうっすらと発している女のナルシシズムに、虫が光に吸い寄せられるように惹きつけられてしまったのかもしれない。

結論も何もないけれど、以上が今年の6月と7月に私がずっと考えていたことだ。今は、もしかしたら乳房への関心という方面からのアプローチが有効なんじゃないかと思い初めていて、乳房関係の文献を読み始めた。今後もフェメンについては考えていきたい。

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