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医療の暴力とジェンダー Vol.2 私たちが強いられてきたこと

安積遊歩2020.09.17

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9月28日は国際セーフアボーションデーだ。

10代の時私は、妊娠や出産は自分の人生に全くあり得ないことだろうし、まして中絶は手術を何度もしていたから絶対にしないと思っていた。それが20代で障害者運動、30代で女性運動、40代で出産と子育てを体験した。そうしたなかで、この社会に向き合い、たくさんの人の話を聞いて思索と活動を深め、様々な変化をつくり、生き抜いてきた。セーフアボーションデイに寄せて、それらを振り返ってみる。

日本では、中絶は堕胎罪によって禁止されている。明治初期に作られた刑法212〜216条によって、中絶した女性と医師に禁固刑や罰金刑が課せられる(おかしなことに男性は全く罪に問われない)。しかし1948年、旧優生保護法が成立し、中絶は経済条項によって、合法となった。
にもかかわらず、堕胎罪は今もあるので、多くの人々にとって、「中絶=女性の罪」という意識が心の深いところに染みこんでいる。昭和の後半期には、多くの女性たちは中絶することを後ろめたく感じながらも、そこに追い込まれ続けてきた。
その当時は出産よりも中絶件数の方が多く、中絶の後ろめたさから逃れるように「水子供養」も流行った。
戦後、民主主義が言われながら、中絶の背景には男女の対等なコミュニケーションの欠落がある。中絶する人の圧倒的多数が30代40代女性の既婚者で、2人目、3人目の子が中絶されてきた。
日本の中絶技術は中絶が合法化されて以来、ほとんど変化のない搔爬術が使われている。これは、女性も胎児も圧倒的に傷付けられる非常に遅れた方法である。しかし世界的に見て、中絶が合法ではない国もまだまだ多い。だからフェミニズムも、中絶の合法化を叫ばなければならない国がいくつもいくつもある。

中絶禁止を訴える人々は、胎児の生命権を主張する。そのことに対して私はまったく異論がない。異論はないが、障害を持つ私の立場から見ると、あまりにも激しい優生思想が中絶される前の胎児と女性に襲いかかっているのだ。

障害を持つ男性たちは、中絶を行うこと自体が差別なのだと決めつけ、私たち障害を持つ女性たちの声を聞かない時期がずいぶん続いた。
私たち障害を持つ女性たちはその言い合いのなか、旧優生保護法の不妊手術の強制、障害を持つ人たちへの凄まじい差別をとにかく止めようと努力してきた。

私は自分が子どもを産んだら、易骨折性の特徴が50%の確率で子どもに遺伝することを10代の頃にはすでに知っていた。それは、私の体を医学モデルとしてしか見ていない人々、つまり医者たちから重々しい口調で告げられたのだった。もっとも、その医者の眼差しには、私が妊娠するわけはないだろうという軽い揶揄も浮かんでいたが。

旧優生保護法は、遺伝的な障害を持つ人の妊娠と出産を、社会にとって害であるという優生思想により強制不妊手術を強いてくる法律でもあった。この国は堕胎罪によって、女性が産むか産まないかを自分で決めることを禁じ、さらに優生保護法によって、障害を持つ人たちの子どもを産む権利を根こそぎ侵害し続けてきたのである。

私は長い間、旧優生保護法の優生思想部分の撤廃を求めて活動し、「人口と開発世界会議」にも参加した。そこで2000人の聴衆と20カ国のジャーナリストに向かって、その法律の差別性を訴えた。そうした努力が実って、1996年には旧優生保護法が改訂され、同年、私は同じ障害を持つ娘を産んだ。
それまで私の仲間たちが体験した妊娠と出産はあまりにも悲惨だった。障害を持つ女性が妊娠したら、ほとんどの場合、喜ばれて出産に至るということはなく、ときには強制中絶を強いらてきた。

仲間が強いられてきた、いくつかの悲惨な例を書いてみよう。私と同じ障害を持っている女性が、パートナーも障害を持っていたにもかかわらず、3人の子を次々中絶せざるを得なかった話。私は自分が妊娠してからその話を聞き、彼女の4番目の子は出生前診断により障害がないとされ中絶を免れ、無事生まれることができた。4 人目の子が今元気で育っていることを聞き、それはそれで喜ぶことにしたが、彼女の気持ちを思うと切なさが今でもこみ上げてくる。

また遺伝カウンセラーのもとに相談に行ったカップルでさえ、「同じような体で生まれてくる子どもがかわいそうでしょう、中絶したほうがいい」と言われもう少しでそこに追い込まれそうだった。障害を持つ女性の中絶は、経済的なことや周りからの理解の問題以前に、その体で妊娠したことが悪いという優生思想によって追い込まれる。自分の体で生きてて良いのだという確信をまったく持たされずに育つことと、周りからの凄まじい優生思想の眼差しは私たちを混乱のどん底にたたきこむのだ。

中絶はまずどんな体を持ってしても苦しく辛いものだ。選択的中絶をしたからといって、男性中心主義社会の優生思想が跋扈するこのなかで、その決断を責めてはならない。同じようにあまりの苦しみのなかで中絶に追い込まれている女性に必要なのは、その苦しみへのサポートと助けであって、彼女自身を1ミリでも責められてはならない。もちろん中絶される胎児の命はいったいどうなるのかという声もよくわかる。そのことについては、次回にまた書いていこうと思う。

※安積遊歩さんも参加する国際セーフアボーションデーのオンラインイベントが9月27日に行われます。
YouTubeでの配信です。近日中にURLなどアナウンスしていきます。

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安積遊歩(あさか・ゆうほ)

1956年2月福島市生まれ
20代から障害者運動の最前線にいて、1996年、旧優生保護法から母体保護法への改訂に尽力。同年、骨の脆い体の遺伝的特徴を持つ娘を出産。
2011年の原発爆発により、娘・友人とともにニュージーランドに避難。
2014年から札幌市在住。現在、子供・障害・女性への様々な暴力の廃絶に取り組んでいる。

この連載では、女性が優生思想をどれほど内面化しているかを明らかにし、そこから自由になることの可能性を追求していきたい。 男と女の間には深くて暗い川があるという歌があった。しかし実のところ、女と女の間にも障害のある無しに始まり年齢、容姿、経済、結婚している・していない、子供を持っている・持っていないなど、悲しい分断が凄まじい。 それを様々な観点から見ていき、そこにある深い溝に、少しでも橋をかけていきたいと思う。

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