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モテ実践録(15)内から輝きを放つようなそんな顔、自信が香り立つような、そんな顔が私もほしい。

2020.09.29

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先日、友人からいきなりメッセージが来た。女で頭が良いというのはダメなのかな、というような切り出しだった。彼女の場合は、近所でトラブルがあり、男性と議論する必要に駆られた際に、相手は彼女の言うことを本当の意味では聞かず、心のシャッターをおろしてしまったそうだ。つまり彼女は彼との対話や議論を望み、互いに納得できる解決を目指したのに、実際には「うるさい女」というレッテルを貼られて、面倒くさがられて終了してしまったという。
さらに彼女が連絡をしてきた理由は、その男性のことにとどまらなかった。もっと一般論として、知性のある女性は必要とされずにうとまれるということをも彼女は言いたがっていた。つまり、頭の良い女性はモテないのだ。確かに、長くつきあってきた弁の立つ女性から、若い、一見無知な相手に浮気して乗りかえる男性のことは周囲で何人も聞いてきたし、彼女が報告してきた議論の拒否とレッテル貼りのようなことも何度も目にしてきた。
私の場合は、仕事相手に(男性上司に確認をもらったうえで)進行の提案をしたところ「生意気な女だ!」とワナワナ声の説教電話が数時間かかってきたこともあるし、あらかじめ打ち合わせで同意をもらった仕事の進め方について「俺は実は嫌だったのに!」と一方的に怒られたうえに「もう仕事をしてやらないし、お前が関係している催しには出たくない」と怒鳴られ他の男性に根回しされ、イベント等から外されそうになったこともある。今ではもう本当に疲れてしまうので相手の男性によっては建設的な提案もせず、テキトーにやり過ごしてしまうことも多い(世に害ですね、すみません……)。周囲では女の「さしすせそ」(さすが、知らなかった、すごいですねー!……等々)みたいなものは今でも現役で、私もエネルギー節約と面倒感ゆえに一言「すごいですね」でやりとりを終わらせようとしてしまっていることも多い。

ところで私は一橋大学の出身なのだが、入学するときに親戚からは「これで、同窓生か東大出身の人としか結婚できないね」と言われた。つまり、いわゆる「高学歴」女性は自分よりも偏差値が高い大学出身の人としか結婚できないね、という意味だ(同じような意味合いで、今は「外国人と結婚したら?」と言われる)。
実際には一橋大学に入学すると、今度は「姫拾い」「イモ拾い」という言葉を何度も聞いた。ちなみに21世紀の出来事だ。つまり一橋大学の男子学生が、近隣にある津田塾女子大学の学生とつきあうのは「姫拾い」で、同窓生の女性とつきあうのは「イモ拾い」と言う(今はこんな言い方が滅びていることを祈る)。同窓生の男子生徒は、在学中は朝まで飲んだり互いの家を行き来するくらい仲が良い友達であっても、彼らは卒業して数年たつと顔つきも変わり、口を開ければ仕事や年収の自慢(他人からは面白くない話)、私に対しても仕事やずっとシングルであることを一方的に見下してきたり、収入の低さをバカにしたり(国税庁によると日本人の平均年収は男子545万円、女子293万円だ。構造的な問題であっても「努力不足だ」「要領が悪い」と言われる)、紹介した女友達にひどい扱いをしたりと、だんだんと「マッチョ」になってしまって話も合わないのでほぼ誰とも連絡を取っていない。(そうじゃない人もいるけど、上のような傾向は確かにある。)

就職をする直前に、10個上の高校の先輩から、就職して10年がたつとみんな顔が変わるよ、と教えてもらった。それは自分の過ごしてきた時間の結果なのだと。たとえ稼いでいるお金が比して少なくても、よい顔をしているほうがいいのだと先輩は言っていた。シャネルも同じようなことを言ったらしい(「20歳の顔は生まれつき、30歳の顔は自分の生き方、そして50歳の顔はあなたの価値。」)
私も大学を出てから10年ほどたつので、自分が今どういう顔をして、どんな雰囲気を身にまとっているのか、それは良いものであるのかをよく考える。自民党の政治家を見ていると、この人たちの過ごしてきた時間がよくないものであったのだろうという顔をしている。かわいそうに。御年86歳、チンパンジー研究で有名なジェーン・グドールのような顔になりたい。彼女はとても輝いている。

少し前に、私は知人の経営する書店に行き、おしゃべりしていた。その前に私は、冒頭とは別の友人に日本のフェミニスト (ただし存命者を除く)についての勉強会に誘ってもらい、初回の顔合わせ(パンケーキを食べながら、ものすごく楽しかった)でたくさんの魅力的な明治~昭和期の女性論者の存在を知った。しかしその場で、ともかく自分の知識がゼロに等しいことをも実感し、学ぶ必要性を強く感じたので、書店経営の知人との会話の中で、次の読書会の課題となった人について、何かよい本がないかを尋ねてみたのだ。
「〇〇という本ならそこの棚にあるよ、探してみな」と言われて探していると、後ろから知らない男性(40代くらい)が現れて戦前と戦後のフェミニストの違いについて突然にレクチャーをしてくれた。話自体は勉強にならないわけではなかったものの、私はそのうちに不安になってきてしまった。つまり、第三者から見て、私が「無知なる女性が、年上の男性にレクチャーを受けている」という象徴になっていはしないか、ということに対する不安だった。それでは社会に悪い影響を与えてしまっていることになる。ともかく目の前のこの人(知らない)は延々と講釈を垂れているし、私は「へえー、知らなかった」を連呼するうなずき人形に化している。本当であれば、「別に私はあなたに今ここで講釈を求めてはいません」と言い切ってしまえばよかったが、自称フェミニストの男性ほど目の前の女性が自分の意図通りにならなかったときの手のひら返しがひどいことは何度も実体験で味わってきたので、(その人は実際は良い人であるかもしれないけれども、知らない人なので)面倒なトラブルは避けたかった。それで、なんとかその場はやり過ごしたものの、結局知人が言っていた本は探せなかった。無知を演じてしまった(確かに私は無知なのだけれど、無知なる女性像を体現してしまったことに対して)痛みがついて回った。しかも、その場に居合わせた別の友人からは「男性から声をかけられていたじゃん、モテてるね!」のように言われたが、そんなこと全然なかった。

ところでその日私が探していた本は、山川菊栄のものだったのだが、後日開かれた読書会のために『おんな二代の記』を(別の書店で買い求めて)読んでみた。

そして、明治5年に始まる山川菊栄と母の親子二代の記録に興奮が冷めやらなかった。彼女が感じて淡々とつづっていること、つまり、社会運動の中における男性の、女性に対する横柄な態度や、伊藤野枝と論争がしたくて家に行っても彼女はお茶出し役に徹していた姿、結婚によってその人の学問が生かされない顛末、さらに、結核にかかっていた自身の体験から生まれた「根のついた」思想である、家事の効率化や保育園の必要性について、彼女の平易な文章で読むごとに、「これって現在に書かれたものみたい」と何度も思わされた。
 今は金子文子を読んでいる。彼女たちのように、自分の言葉を持ちたいと思う。自分の言葉を持てたら、そのときは良い生きざまを感じさせるような顔になっているだろうか。自信が持てるようになるのだろうか。

コロナ禍を経て、「私、誰かと生きていかなくても平気かもしれない」というようなことに気がついて以来、私は、それまでの最重要課題となっていた「モテたい」「結婚したい」という気持ちがスーッと消え、同時に人生の意味を見失ってしまい、狂ったように無心で自転車を乗り回し(満員の通勤電車が嫌なので自転車通勤になりました)、映画館を訪れまくることで日々を過ごしていた。映画は座っていればそのまま終わるので、読書をする気力がないときにもひとりで映画館へと行った。コロナによる映画館の閉鎖がトラウマのようになって、行ける間に行こうという焦りのようなものが芽生えていたのも確かだ。
そのうちに、おそらく仕事のストレスで負担がかかっていたのか、お弁当を食べている最中に突然に歯が割れ、検査などもしたけれど根本までヒビが入っていたので手の施しようがなく、人生で初めて歯を抜いた。ちょうど前歯と奥歯との中間の歯だったので、前から見ればさほど目立たないが、歯茎の穴がふさがるまでの間は仮歯などもない。小学生のとき以来はじめて、歯と歯の間でむき出しになった歯茎に舌で触れる。気になってしまう。私は歯並びが良く、これまで虫歯もほとんどなかったため、この抜歯は相当にショックであった。そして「ひとりでも平気」とかなんとか言いながら、正直なところ「歯もないし、モテない」というような方面でも落ち込んでいた。
しかし、抜いてみれば、それまで痛くいて痛くてご飯が食べられず、痛みを我慢して食べようとしても歯茎がうんで変な味がしていたあの頃に比べたら、楽で仕方がない。もっと早くに抜けばよかった。別に歯が1本なくてもすぐに死ぬわけでもないし(ただしかみ合わせがずれていくので、とりあえずはマウスピースをして寝ているのだが)、私自身の価値が変わるわけではない。
自分でも「なぜ落ち込んでいるのか」を分析しようとした結果、いくつかの仮説が浮かんだ。その一つとしては、たまたま自分が生まれついた歯並びの良さを、私は自分の「生まれが良い」というようなことの根拠として考え込もうとしていたらしかった。実際には私は地方公務員の親のもとで生まれ、とびぬけて裕福でもないが苦労もないままに育ってきた。ただし、3代前は農家であるし、大きな資産もないし、恵まれてはいるけれど決して育ちが良い人間ではない。
 今、「育ちが良い人〜」というようなタイトルの書籍が売れていると聞く。確かに、自分が「育ちの良いほう」と思われたい。しかし、私は海外でも仕事をして、その都度、特にヨーロッパの出版業界の人々の「階級」は自分とは違うと思わされてきた。それは、自分の努力ではどうにもならないもので、ブルデューが「身体的ヘクシス」と呼ぶものでもあろうと思う。彼らが清潔感のあり、個性のある服を上品に着こなして、自信満々に書籍についてさまざまな古典の知識を織り交ぜ、時には詩の一節などを引用しながらプレゼンをする傍らで、どことなく汚らしさのある私は、ユニクロの服なんかを着て、ビクビクしながらとりあえず口角を上げてその話を聞いてきた。彼らのしぐさは、おそらく彼らの育ってきた環境や教養に裏付けられたものだ。私は彼らの身の振り方に憧れながらも、それを自分は得ることができないということも理解していた。
それとは別の、歯が抜けて落ち込む理由としては、天然のものこそが良いというような考えの刷り込みが私の中で強固に根付いているからだろうとも思われる。昔、髪の毛を染めたことを友達に指摘されて、「私はバージンヘアなのに、アンタは染めるんだね」と言われたことを呪いのように覚えている。バージンヘアって……なんだ、それ! しかし、私はそのとき「加工するってダメなのかな」と本気で落ち込んだ。さらにその後、私は就職活動がうまくいかなかったときに両耳にピアスをあけて、数年前には、耳の軟骨にもピアスの穴をあけたのだけれど、親には「せっかくの身体を」のようなことを言われて、そのときには少し落ち込んだ。
去年、9月末から約1カ月間ベルリンに滞在したが、街中に、私の好きな漫画家のアイシャ・フランツが描いたポスターが貼られていた。それは、国際セーフ・アボーション・デーに合わせたポスターで、中央に子宮の絵が、上のほうに黒い囲みで「スティグマ」「ファシズム」「家父長制」「宗教」と書かれていて、中央には「中絶はヘルスケア」、下のほうには「中絶は普通のこと」とも書いてある。

東ドイツでは理由を問わず中絶が合法であったが、西ドイツでは長い間禁止されていた。22週までの中絶が合法(新218条)となった今でも、日本の堕胎罪のようなものは残っていて(218条)、中絶ができる病院の広告なども違法になっている(219a条)。さらに、中絶をするためには産婦人科医の他にもカウンセリングを受ける必要があり、施術まで3日間を確保しなければならない。
そんなアイシャが最近、新しい本(イラスト担当)を出したのでさっそくドイツから取り寄せた。タイトルはズバリ「処女膜なんて存在しない(Das Jungfern häutchen gibt es nicht)」。

 


冒頭、2018年に発表されたWHOの声明が紹介されている。処女とそうじゃない女性の間に、医学的な違いを証明した学術論文は存在しない。しかし世界には、処女かどうかという違いで生命を絶たれる女性はたくさんいる。
少し話は飛ぶけれども、先に挙げた本の中で、山川菊栄は家庭の事情で自分が16歳で戸主となった経験から、「こういういきさつの裏に、私は法律とか裁判とかいうのもが、表面はえらそうに見えて、その実どんなに見せかけの、ごまかし的なもので、紙細工のように自由になるものであるか、戸主制度というものがどんなに愚劣な空虚な形式にすぎず、しかも一つまちがえればどんなに人間の自由を束縛する危険性を持っているか、そしてそれらすべての底に、いかに力強く経済問題が動いているかを、痛感せずにはいられませんでした」と書いている(岩波文庫、pp.185-6)。経済を牛耳っている男性の側から生じた価値観によって、自分たちの身体について自分たち自身の感じ方ができないという点について、アイシャの本も同じことを言っているように思われた。
最近でも、胸のところが大きく開いた服を着た女性が、パリのオルセー美術館で入場を拒まれた。すぐに、オルセー美術館にたくさんある裸婦像と胸のあいた女性を並べて描いた風刺画が発表されて、

 

トップレスの抗議行動で有名な「フェメン」はオルセー美術館で「私たちの胸はわいせつではない」という抗議行動をした。確かに自分の身体の一部であるものを、男性的な価値観を通して卑猥だと思ったり、あるいは魅力がないと感じたりするのはおかしなことだと思えてくる。

歯がなくなっても死ぬわけじゃない、むしろ根本までうんで悪くなった歯を放置していると命に関わると実感した私は、自分の中に巣くった「変な考え」や恐れから自由にならなければと強く思った。
怖いのは歯がないことよりも、内側から腐っていくことだ。頭が良くて、知らない男性の講釈に「そういうの、求めてないんで」と言えて、生まれが良くなくて、処女じゃなくて、歯が抜けていても、自分の真摯な生き方を体現するようなすてきな顔を手に入れることはできる。内から輝きを放つようなそんな顔、自信が香り立つような、そんな顔が私もほしい。

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(沼ZINE主宰)

沼ZINE主宰。https://numazine.themedia.jp

大学4年生の夏、内定が出ず定員割れの交換留学に申し込む。翌年、全く話せない状態でドイツへ向かい、毎日サービスデーのバーを回る「居酒屋ドイツ語」と呼ばれる勉強法で語学を習得。帰国後、大学院を経て都内の出版社に勤務しながらドイツ語翻訳を行う。2018年、友人とウェブマガジン「沼ZINE」を開始。趣味は映画・演劇・美術鑑賞、へっぽこ旅。

翻訳したドイツ語コミック「マッドジャーマンズ 」が第22回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品、第4回日本翻訳大賞二次選考対象作品に。

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