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医療の暴力とジェンダーVol.3 中絶と胎児

安積遊歩2020.10.08

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胎児には意志がないと言う人がいる。意思があるという人もいる。胎児に意志が生まれるのは、妊娠後期。だから22週までの中絶は合法なのだと言う考えがあり、それで日本は中絶が合法とされている。

そして男性は、一生に一度も胎児に意志があるかどうかなど考えたこともない人がほとんどだ。それに対して中絶を体験した女性たちは、程度の差はあれ、みなそれを考えて、罪の意識や、後悔や喪失の感覚に悩んでいる。それは理屈ではなく命の必然として感じるものだろう。だからといって、いつまでもそれらの感情に苛まされ続けなければならないということでもまったくない。中絶を体験した女性の多くは、それぞれにそこから出ようとして頑張り、日々の暮らしに帰っていく。胎児がお腹にいた日々を時々思い出しながらも、それ以降にも繰り返しある月経血の赤色に命の喜びとしんどさを感じながら生きていく。

私たちは属性を括る言葉に、ときに差別を感じるにもかかわらず、胎児についてはそれを宿す宿主、つまり母親にのみ責めを着せて、自分たちは、特に男たちは無傷でいる。その象徴としてまだ堕胎罪が日本にはある。日本の女性解放がなかなか進まない理由の1つに、その法律の存在があるに違いない。差別は個人的な思いと考えている人が多いが、よく見ていくと、法律がその後ろにあることが多い。

中絶の問題は、極めて、優れて個人的なことである。中絶をするということはまず男と女、そして胎児の三者の命が三つ巴の決断であるはずだ。しかし実際には、言葉がないとされる胎児と、一瞬しかかかわった覚えがないと言う男性の命がそれぞれに重大な局面をつくっているわけだから、男性が無関心であってはならない。にもかかわらず、現実の場面では、男性は徹底的に部外者役を強いられる。あるいは、「僕は妊娠できないですからねぇ」と喜んでその立ち位置にい続ける。

男性社会の横暴を見せない感じさせないようにするために、中絶の場面は、胎児の非人間化を徹底的に図る。あるいは、男性社会の横暴こそが、正義であり日常であるという家父長制の常識は、胎児の意思を尊重するあまり女性の苦しみに気づこうともしない。

中絶の問題はそれぞれの命の問題でありながら、ここまで男性の当事者性を問わず男性が無関心であることが許されていること自体、女性と胎児に対する圧倒的な暴力だと思う。セックスをしたカップルが避妊に失敗した場合、女性と胎児にのみ責任をきせるのではなく、男性がその後の人生において本当に子供が欲しいのかどうかを考え、永久避妊を選択することもこの暴力に対する責任の取り方であり、将来的には義務とさえすべきであると思う。

私は、胎児は極めて意志を持った存在であると考えている。その理由は、言葉のない重い障がいを持った人についても生きているというその一点で、命は大切なものであると知っているからである。人間というのはその自分以外の命の意志を聞き、それを応援する力のある存在なのである。そうでなければ、生後数年のあの無力さに意味がなくなってしまう。おっぱいを自ら探り当てることもせず、ただただ愛されるに値する存在であると確信して産まれる人間という生き物、そして死に向かう時にも生きようとする剥き出しの意志を持って、介助システムを作り上げてきた。ただ、胎児の意志が地上に誕生した赤ちゃんの意志と違うのは、胎児は極めて女性の意志を尊重しているという点である。

中絶という決断をする時、私は自分の身体が障がいを持っている点からも、胎児とそれを宿している女性の意志は完全に五分五分で、女性の選択が胎児を死に追いやるのではないと、心から知っている。

胎児の意志は生きることを願う。しかし、女性の側にそれを応援できない状況があり中絶を決断するとき、その胎児の意志は女性の意思と明確に重なっていると私には思える。選択的中絶を選ぶ時でさえ、胎児は自分の宿主である母親を責めているとは全く思えない。それは私が障害を持っているからなのか、私の中では確信ですらある。

それでもなぜ中絶が女性たちに必要なのか、それは胎児がこの社会全体に対して問題提起を行っていると私には思えるのだ。中絶を選ばされる女性たちそれはひとえに世界からの応援がないと言う、孤独と孤立の状況を見せつけてくれる。中絶と重い障害を持つ人たちが生きるための介助の問題は、この社会がどれだけ孤立した人々の声をきちんと聞き、その命をどれだけ大切にできるかをよくよく考え、見せてくれていると思うのだ。そして医療はそれらの問題に深く関わりながら、命の有り様を、経済に置き換えるという、優生思想に大きく支配されている。このことがこの問題をさらにわかりづらくしている。次回はその観点から書いていこう。

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安積遊歩

安積遊歩(あさか・ゆうほ)

1956年2月福島市生まれ
20代から障害者運動の最前線にいて、1996年、旧優生保護法から母体保護法への改訂に尽力。同年、骨の脆い体の遺伝的特徴を持つ娘を出産。
2011年の原発爆発により、娘・友人とともにニュージーランドに避難。
2014年から札幌市在住。現在、子供・障害・女性への様々な暴力の廃絶に取り組んでいる。

この連載では、女性が優生思想をどれほど内面化しているかを明らかにし、そこから自由になることの可能性を追求していきたい。 男と女の間には深くて暗い川があるという歌があった。しかし実のところ、女と女の間にも障害のある無しに始まり年齢、容姿、経済、結婚している・していない、子供を持っている・持っていないなど、悲しい分断が凄まじい。 それを様々な観点から見ていき、そこにある深い溝に、少しでも橋をかけていきたいと思う。

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