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わたしがおばさんになったら、ジェンダーバイアスをぶち壊す♪②

行田トモ2021.11.22

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<出だしその①>
ラブピコラムの読者の皆さま、こんにちは。今月もまたお目にかかれて嬉しいです。行田です。いかがお過ごしでしょうか。金木犀の香りがし始めたと思ったら、秋が走り去って冬が来てしまいそうな気配ですね。この香りを楽しめる時間が年々短くなっているなぁと思っていたら、もうフィギュア・スケートのシーズンが到来してしまいました。”光陰マジで矢!”とわたしの好きなBL作家さんである羽生山へび子先生が表現されていましたが、本当に、季節の移ろいはあっという間ですね。

<出だしその②>
クラマックスシリーズになんか出るんじゃなかった。筆者をはじめ多くの阪神ファンはそう思いつつ今日のデイゲーム開始を待っているのではないだろうか。大学駅伝で時間を潰しつつ、昨日のスタメンについてあれこれ思う。いくらペナントレースでいい順位でも、ここで巨人に負けたら一年が台無しだ。それならいっそクライマックスシリーズに出ないほうがマシだ。これだから秋は憂鬱だ。そういえば今年も結局選手名鑑を買わないままだった。

さて、皆さま、今度こそ本当にこんにちは。行田トモです。いかがでしょうか、出だしその①と②。どちらが行田のそのものでしょうか?
答えは両方です。わたしは金木犀の香りをこよなく愛し、秋を好み、フィギュア・スケートが好きです。それと同時に阪神ファンでもあります。『六甲おろし』を3番まで歌え、学生時代には1人で試合を見に行ったこともあり、今日のクライマックスシリーズ(既に阪神は背水の陣)に不安を抱いています。
②に違和感を抱いた方、それが何とか捻り出した文章の拙さからくるものではないことを祈ります。
「男性っぽい文章だな」、と思っていただけたのなら、わたしの企みは成功したことになります。②はできるだけ「ステレオタイプの男性」っぽく書いてみました。
ね、馬鹿馬鹿しいでしょう? です、ます、口調を使わず、野球のことで頭がいっぱい。行田が想像しうる精一杯の「男っぽい文章」はこの程度です。そして、そこが問題なのです。

先月に続き、愛しの甥っ子がどうすればジェンダーバイアスから自由になれるか考えようとしたのですが、残念ながらわたしは女性に向けてのバイアスしかかけられたことがないので(それでお腹いっぱい迷惑ですが)、「男らしさ」の呪縛がどのようなものかわからないのです。
そこである男性の人生を追体験してみようと思いました。ステレオタイプの「男らしさ」への嫌悪感を内包しつつも、そこに囚われてしまう自分に苦しみながら育った男性です。

彼の名前はロバート・ウェッブ。『男らしさはつらいよ』(原題”HOW NOT TO BE A BOY”, 夏目大訳,双葉社,2021)で自身の幼少期からコメディアンとして歩み始めるまで、いかに彼が「男らしさ」から逃れようとし、それに失敗しながら生きてきたかを語っています。酒飲みで暴力的な父親を恐れ、「そうはなるまい」と思いながらも、当時のイギリスメディア(世界的にもそうだったでしょうが)には現在理想とされる優しい父親像はどこにもなく、マッチョな男性たちをロールモデルにするしかなかったことなど、ウェッブ氏の気づきにはハッとさせられるものが多いのです。例えば子どもの頃の遊び一つとってもそうです。
なぜ「スノーマン」なのか?「スノー・ウーマン」ではいけないのか?
考えてみたこともありませんでした。また、

“僕たちは、男性や女性を驚くほど強固なステレオタイプに類型化して見ている”

と語り例を挙げた上で、

“もし、人種や宗教について同じようなことをしたら、とてもまともな人間とはみなされないような見方だということはわかるだろう。なぜ男や女になら許されるのか。”

と疑問を投げかけます。
まさにその通りです。こうした価値観を身につけた彼は、容赦無く、と言えるほど、過去の自分がいかに無知で、愚かな振る舞いをしてしまっていたかを赤裸々に綴っています。例えば、ガールフレンドができたらできるだけ無関心を装うのが「男らしさ」であったり、童貞であることがとてつもなく恥ずかしいことで、いかにそこから抜け出すかで頭がいっぱいだったり、というようなことです。もちろんそこには根深い問題が存在します。上述のように、ステレオタイプではない男性のロールモデルがどこにもいなかったこと、彼の生きる世界は「男らしさ」「女らしさ」に満ち満ちていたこと。そこで育つと誰もがその色に染まってしまっても仕方ないと思わざるを得ません。だからこそ、彼が半生を振り返った後に得たものの見方は貴重で、説得力があります。
「男らしさ」の美学によって男性にもたらされる苦しみについて述べた上で、彼はこう持論を述べます。

“男性のそうした辛さは、まったくフェミニズムのせいではない(中略)男性だって家父長制に苦しめられているのだが、それを作ったのも、もちろんフェミニストではない。フェミニストが憎んでいるのは、古い考え方の中にある「男たるもの」「女の子たるもの」という概念だ。家父長制はもともと男性の便宜のために作られたにもかかわらず、今や男性の多くにも、その他すべての人々にも大きなダメージを与えている。「男らしさ」を強調し、フェミニストを敵視する男性たちは、自分が作り出した怪物に殴られながら「俺は大丈夫だ、大丈夫なんだよ!」と絶叫しているフランケンシュタイン博士のようなものではないだろうか。”(p.344)

脳内スタンディングオベーションでした。舞台に立つ彼の足元に花束を投げたい気持ちです。
そして彼は家庭を持った後、「トリック」という言葉を使うようになります。彼らの造語で、「ジェンダーに関する無意味でくだらない常識や習慣」のことだそうです。それを用いてフェミニズムについて踏み込みます。

“フェミニズムは、女と男を闘わせる思想ではない。男が女とともに「トリック」と闘うための思想だ。”(p.435-436)

いよいよ掌が痛いですが、彼への拍手がやめられません。「そう、そうなの! ほんとそれ!」と駆け寄って握手をしたくなります。彼はさらに次の世代に想いを馳せます。

“僕はその子たちが、古く狭い考えに縛られず、もっと広い視野で男というものを考えられるようになってほしいと思うのだ。男も泣いて構わないし、心配なこと怖いことがあればそれを人に話していい。そうしたければ女の子と遊べばいいし、女の子と同じような格好をしてもいい。ピンクが好きなら好きでいいし、そうすることが好きなら母親と出かけていい。全員がサッカー好きでなくても構わない。興味がなければ堂々とそう言えばいい。

男の子たちも、まだ小さいうちはそれがちゃんとわかっている。ジェンダーに関するルールは、子供たちが自分で作るわけではない。大人が教えるのだ。”(p.462)

づけばわたしも舞台に上がっていました。そう、次の世代にステレオタイプの呪いを残さないためには、我々大人がこの問題に向き合わなくてはならないのです。わたしも、当事者なのです。
ウェッブ氏は7歳の時点で以下のような認識を既に身につけてしまっていました。

“七歳の時点の僕に「男らしさ」の定義を問うたなら、以下の二つの条件が返事になるだろう。条件①は「同性愛を嫌うこと」、そして条件②は「絶対に女を見下すこと」である。”(p.69)

衝撃的ですが、残念なことに、事実だと思います。こうした歪んだ認識は、現在も社会に蔓延っています。
では、わたしたちにできることはなんでしょうか? それは、前回のコラムでご紹介した絵本のように、ステレオタイプの「女らしさ」「男らしさ」の中に身を置かなくてもいいと教えること、世の中は各個人、それぞれの在り方があって、本来はその多様さが認められなければならないのだと伝えることです。

そして、「性」についても正しい知識を、できるだけ早いうちから教えてあげることも必要です。

いくつかおすすめの本をご紹介しますね。
『スウェーデンの保育園に待機児童はいない 移住して分かった子育てに優しい社会の暮らし』(久山葉子著, 東京創元社, 2019)
スウェーデンは就学前の保育の方針、国のポリシーとして以下の5点を挙げているそうです。

“就学前学校は、子供ひとりひとりがこれらの能力を発達させることに努めなければならない。
・寛容さ、敬意、連帯感、責任感
・他人の状況に配慮したり、共感したりできる能力。そして、他人を助けたいという気持ち
・日常に存在する生き方への課題や道徳的ジレンマに気づき、自分で考え、意見を持つ能力
・性別、民族、宗教等の信仰、性的指向、障害にかかわらず、人間には全員同じ価値があるということへの理解
・生きるものすべてへの敬意と、自分の周囲の環境に対する配慮”(p130)

久山氏によると、この方針は、

あらゆる年齢の教育現場で”

重要視されているそうです。どうでしょうか。大人でもこのポリシーの通りに生きられている人は少ないのではないでしょうか。しかし、なんと素晴らしいのでしょう。同性愛についても保育園の段階で教え、また、子供服売り場は男女の区別なくディスプレイがなされているそうです。日本全体とはいかなくとも、大人がこのスウェーデンの方針をしっかり守って子どもに接していれば、彼らは、他者と同時に自分自身もかけがえのない存在だと気づけるのではないでしょうか。他者への思いやりだけではなく、自尊心も養ってくれるものの見方だと感じました。

②『これからの男の子たちへ 「男らしさ」から自由になるためのレッスン』(太田啓子著, 大月書店, 2020)
弁護士で、2人の男の子を育てるシングルマザーである著者が、子育ての中で日々感じるジェンダーバイアスを丁寧に取り上げ、それにどう向かい合っていくかを記しています。付箋が20枚を超えたので抜粋はしませんが、いわゆる「男の子ってこうだよね」と言われることに「いや、ちょっと待った!」と疑問を投げかけ、性暴力やそれを取り巻くメディアの在り方に言及し、最後には「これからの男の子たち」へ、既存の「男らしさ」にとらわれないでいい、とメッセージを伝えています。特に”「特権」を持つ側としての責任を行動で果たすこと”、”社会は変えられると知ってほしい”というメッセージには胸を打たれました。後者は女の子にも宛てたメッセージです。

③『おうち性教育はじめます 一番やさしい!防犯・SEX・命の伝え方』(フクチマミ, 村瀬幸浩著, KADOKAWA, 2020)
この本を読んで「性教育は命の教育だ!」と目からウロコでした。口、胸、性器、おしりからなる”プライベートパーツ”の大切さ、自分の体の大切さを教えること、それが他者の体を大切にすることにもつながるのです。太田氏の本でも取り上げられていた、どうやって子どもを性暴力の「加害者」にならないように育てるか、という課題。それはやはり、他者への思いやりが基盤となるのではないでしょうか。そう確信させてくれる一冊でした。子育て中のパパ、ママ、いえ、全ての大人に読んでほしい性教育の本です。

ご紹介した本を改めて読んだり頷いたりしているうちに、あっという間にクライマックスシリーズも終わりましたね(遠い目)駆け足になってしまいましたが、『行田は「男らしさ」について本気出して考えてみた』な今月のコラムでした。
まず感じたことは「男らしさ」ってまぁ生きにくい。
弱音を吐けない、同調圧力がある、一家を支えなければならないetc……いらんよ、そんなもんは。生きてるだけで精一杯だよ、と言いたいです。

げんなりした一方で大切なことにも気づけました。
「女らしさ」「男らしさ」のジェンダーバイアスから逃れることは、自分を大切にしてあげることに他ならないということです。
自分を大切にし、他者を思いやる心が備わっていれば、自ずとジェンダーバイアスからは自由になれるのではないかと思います。
行田には大好きな曲があります。ミュージカル、『ラ・カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち』のテーマソング、”I AM WHAT I AM”です。「わたしはわたし」、つまりそういうことなのです。人間誰ひとりとして同じ人はいません。だからこそ、それぞれの違いを尊重しあって生きていくべきですし、それが許される社会であるべきなのです。
わたしから甥っ子に伝えてあげられること、それは、「あなたはかけがえのない存在なんだよ。他の人もみーんな、そうなんだよ」ということです。
この言葉に説得力を持たせるには、わたし自身も大切にして、”I AM WHAT I AM”な生き方をしなければいけないなぁ、と考えた秋の日でした。今月もお付き合いいただきありがとうございました。行田トモでした。

 

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行田トモ

行田トモ(ゆきた・とも)

エッセイスト・翻訳家
福岡県在住。立教大学文学部文学科文芸・思想専修卒。読んで書いて翻訳するフェミニスト。自身のセクシュアリティと、セクハラにあった経験からジェンダーやファミニズムについて考える日々が始まり今に至る。強めのガールズK-POPと韓国文学、北欧ミステリを愛でつつ、うつ病と共生中。30代でやりたいことは語学と水泳。

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