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ラブピ読者の皆さまこんにちは。行田です。GWもあっという間に過ぎましたね。今年の福岡は3年ぶりのどんたくの開催で随分とにぎわったようです。そんなニュースをテレビで眺めつつ、わたしは例年通り自主的stay home。だって本(とかネトフリとかアマプラとか)さえあれば世界中どこでも行った気分になれるもんねー、とページをめくっていました。今月はそうして出会った一冊をご紹介します。その本がこちら。

『私は自分のパイを求めるだけであって、人類を救いにきたわけじゃない』(キム・ジナ著/ すんみ、小山内園子訳/祥伝社/2021)


です。著者のキム・ジナさんは韓国・大邱で生まれ育ち、ソウルの大学に進みます。と、紹介するのは簡単ですが、実はこれ、超保守的・ガッツリ家父長制な大邱では異例のことだったそうです。そもそも、両親+女の子2人という家族構成がめずらしく、ジナさんの父親は「娘娘(タルタル)パパ」と呼ばれていたとか。あまりにもぶしつけですよね。

男の子にはお金をかけて、女の子にはさまざまなことを我慢させる(そもそも野望を抱かせない)という、ドラマや小説で見るような差別がまだまだ残っていたのです。
しかし、教育熱心だったジナさんの両親は、彼女とお姉さんを「女の子」ではなく「子ども」として育てます。
「あんたが息子だったら」
「女の子なんだからおとなしく」
「かわいい娘になっていいところにお嫁に行かなきゃ」といった言葉を、この姉妹は聞かずに育つことができたそうです。

レアケースの中で育ち、ソウルの大学に行きたいという野望を抱いたジナさんは、「私はなんでこんなに女らしくないんだろう?」と悩み続けることになります。彼女の欲求は、女友だちから共感を得られず女性嫌悪が増幅する、男性との恋愛がギクシャクして自己嫌悪に陥るなど負のループを生んでしまいました。「私は精神的に男じゃないか」という疑問まで抱いてしまったそうです。

ジナさんは大人になって初めて、ネットにあふれる「男きょうだいとのあいだで受けた差別の経験談」に触れ、まわりの女友だちから共感を得られなかった理由や、自分は家庭内の女性差別を受けていなかったことを知ります。

念願かなってソウルの大学を卒業したジナさんは、広告代理店に勤めた後に独立。フェミニズムに目覚め、フェムバタイジング(feminismとadvertisingをかけ合わせた造語)の先駆者となります。また、”外に飛び出した自分ひとりの部屋”をコンセプトにソウル屈指のフェミニズム空間「ウルフソーシャルクラブ」を運営しています。

そんなジナさんですが、著書の中ではフェミニストである自身を多く語っているわけではありません。むしろ、女性蔑視を内包してしまっていた過去を正直に、反省しながら振り返っているのです。
たとえば、

“政治的に正しく、全てのマイノリティと表現の自由を支持しつつ、男女の性別を超えて公正な判断を下す[イケてる私]に酔っていた時期がある”(p.6)

という一文。ギャフン。行田、ギャフンです。「耳が痛い〜」と叫びつつ、何度もハッとさせられながら、彼女の真っすぐな言葉を受け止めたいと読み進めました。

ジナさんは「チョイスから解放されよう」という章で、「男に欲望されたい欲」と「男に勝ちたい欲」の衝突に苦しみつつも、男性に好まれるルックスになろうとしたことを語ったうえで、

“「男に欲望される」ことは権力ではない。女に課されたミッション、女だけがさせられるルックス競走であり、男に権力を差し出す行為だ。”(p.94-95)

と断言します。そして、

“私たちはチョイスから解放されなければならない。解放された瞬間に本当の力が生まれるのだ。他人ではなく自分に、力を回そう”(p.95)

と呼びかけてくれます。
以前のコラムでお伝えした、無意識のうちにルッキズムを内包してしまっているというわたしの問題を解くヒントがここにありました。わたしが「キレイでいなければ」と自分自身にかけていたプレッシャーの正体は、「男性主体」のルッキズムでした。わたしも「チョイスされる女でなければ」と思ってしまっていたのです。

そもそも、世の中にあふれる「キレイ」や「かわいい」の基準は、誰が決めたものなのでしょうか。それらは本当に、女性が望んでいるものなのでしょうか。女性を自由にするのでしょうか。逆に女性を「チョイスされる側」に閉じ込めてはいないでしょうか。
ジナさんはルックスの良い男性と付き合い、経済的にリードすることで、「自分が男をチョイスしたい欲望」を満たそうとしますが、ミラーリングは失敗に終わり、彼女はこう気づきます。

“自分の力を振りかざせる弱くてかわいい存在を選んだにもかかわらず、その存在にさえ、私は欲望されたいという欲望を捨てきれずに権力を差し出した。骨の髄までしみ込んだ性的対象化や男性崇拝から抜け出さないかぎり、女性は自分の主人にはなれない。好きでやるダイエット?好きでやる推し活?自分が選んだこと、自分の欲望と思い込んでいるすべてを疑うことが第一段階だ。それなくしては家父長制からの独立に成功できない”(p.112-113)

あらゆる国でフェミニストが直面している壁を言いあらわしているのではないでしょうか。フェミニズムを知るための第一歩は、自分の中にあるさまざまな差別意識と向き合うことだと教えてくれるエピソードでした。
ところで、Woolf Social ClubのInstagramをのぞくと、おいしそうなパイの写真とともにこんな言葉がつぶやかれていました。

“You deserve your pie. Don’t let anyone take it from you ”

「あなたはそのパイにふさわしい価値がある。誰にも奪わせないで」
お店のパイはとてもおいしそうですが、この「パイ」=「女性の権利」でもあります。ジナさんはフェミニズムを「男たちに奪われてきた女の分のパイを取り戻すための闘争」と位置づけます。そして、

“自分も含めた女性のパイを守る、という共同目標だけ共有できれば、同じチームになれる”(p.158)

と女性の連帯について説きます。ジナさんの願いはウルフソーシャルクラブ以外のあらゆる場所で、女性が怒る権利や着飾らない自由を行使できる日が訪れることだそうです。そのために「野生と尊厳を失わないオオカミ女たちのための連帯の場を守っていきたい」と。

オオカミ=wolfですよね。カフェの名前はWoolf Social Club、「o」が一つ多いです。名前の由来はヴァージニア・ウルフなのです。それとオオカミをかけてカフェの名前がつけられたのですが、そもそもどうして「オオカミ女?」と疑問に思われた方は、ぜひ、この本を読んでみてください。

「女性が小説を書こうと思ったら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」

ウルフの言葉が今なお心に響くからこそ、Woolf Social Clubのような場所が女性たちには必要なのです。
またソウルに行けるようになったら、この部屋の扉をたたいて、キーライムパイを味わいたいです。

(ラブピ編集部よりご案内)
アジュマブックスよりキム・ジナさんの最新刊『薔薇はいいから議席をくれよ』が発売されました。新刊発売記念でキム・ジナさんのコラム新刊発売記念寄稿「ソウルWoolf Social Club通信」も始まりましたのでぜひご一読くださいませ!

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行田トモ

行田トモ(ゆきた・とも)

エッセイスト・翻訳家
福岡県在住。立教大学文学部文学科文芸・思想専修卒。読んで書いて翻訳するフェミニスト。自身のセクシュアリティと、セクハラにあった経験からジェンダーやファミニズムについて考える日々が始まり今に至る。強めのガールズK-POPと韓国文学、北欧ミステリを愛でつつ、うつ病と共生中。30代でやりたいことは語学と水泳。

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