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「だから警戒するのだ、こんな写真展が開催されてしまうご時世だから」

牧野雅子2016.05.26

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 GW後から、ずっと重い気持ちで過ごしている。「声かけ写真展」をきっかけに、いろんなことを思い出したからだ。ネット上でも大きく問題になったから、知っている人も多いと思う。
 写真展のコピーは、「中年男性が女子小中学生に声をかけて撮影しただけの写真を集めました。それが、声かけ写真展」。「中年男性」と「女子小中学生」の組み合わせに気が遠くなりつつ、撮影した「だけ」という限定に引っかかる。違法性はないことのエクスキューズ? それとも、無垢な少女性が焼き付けられていることの暗示? 読んだ人の感情を泡立たせるための仕掛け? いずれにしても、性的意味を経由したもので、この写真展が単に子どもたちの写真を展示したものでないことは、すぐに分かる。
 この展示が、撮影された人たちの承諾を得ていないのは明らかだ。撮影当時に、30年後に展示会をする、それも主催者のバックグラウンドはこうで、プリントは販売もする、情報はネットで拡散される、なんていう説明を受けたはずがない。写真展の開催に当たってもそうした確認はされていないことは、取材を受けた主催者が語ってもいる。

 写真展のレポート記事 には、「声かけ写真」は「公園や学校などで子どもたち(主に少女)に声をかけて了解をもらい、写真を撮影する、というものである」と説明されていた。公園や学校という子どもたちの空間に、大人が侵入する(しかも、学校って!!)。その状況でもらう「了解」。中年男性が少女にカメラを向ける。彼女たちは写真に固定され、「作品」として展示され、複製され、所有される。
 展示された「作品」が撮られたのは、1970年代から90年代だという。わたしの「少女」時代もここに入っている。

 主催者は言う。「「声かけ写真」という呼称はありませんでしたが、声をかけて写真を撮る文化はあります」文化って? それ、文化って言う?
 写真を撮るとき、「撮ってもいいですか」と相手の了解を得るのは、撮影行為の一部で特別なことでも何でもない。わざわざ「声かけ」という言葉が入っているのは、「盗撮」が一般的な(お望みならば)「文化」にいるか、声をかけることに特別な意味を持たせているから。
 公式サイトに掲載された「作家」のプロフィールにもあった。「1990年頃から、中古のPentax SV2を手に、瞬間を切り取る静止写真にシフト。東京都内を中心に、関東一帯で声をかけ始める」。声をかけるということがこんなにも強調される。

 「少女との対話を感じさせる市井の写真家たちの「声かけ」作品を集めるのです。そして、1970~2000年頃の一般的な3次元少女派の感覚を提示するのです」
 主催者が写真展の開催前に、こう書いている。
 対話の存在を感じさせる写真。カメラの向こうに生身の少女がいたことを実感させる写真。そこに、見るものが何かを投影する。だから、「声かけ」があったということを強調する必要があった。偶然に撮られたような写真ではいけなかったのだ。
 その一方で、声をかけられた子どもたちが、カメラを向けられた少女がどんな思いでいたか、そこには全く目が向けられていない。声をかけられた少女の経験は、「中年男性」の「声かけ」の経験と同じではない。ともすればそれは、暴力の経験・記憶だ。
 写真に焼き付けられた笑顔や目線は、撮影者を信頼していたからではない。でも、写真が「作品」として独立してしまえば、笑顔やこちらを向いてはにかんだような表情は、見る者の解釈に委ねられてしまう。実在少女の意思とは切り離されて。その少女たちは今も生きていて、血の気が引く思いでいるかもしれないのに。
 「声かけ」という言葉が示すとおりの一方的な力の行使を、「対話」と読み替えることが出来るのは、なぜなのか。「対話」だと思い込める、その感覚。「対話」だと定義することで、何が出来、何が隠されるのか。子どもたちを対象とする眼差しと、その行為を免罪しようという魂胆。それが「声かけ」という言葉に表れている。

 「「声かけ」という言葉の劣化は凄まじいものです。「声かけ」から「犯罪」への連想距離が急激に収縮しています」。
 展示された写真が撮られた時期には、すでに「声かけ」は事件視されていた。言葉そのものはなくても、成人男性が小学生に声をかける事件は少なくとも40年前には起こっていて、学校や地域ぐるみで警戒していた記憶はわたしにもある。また、手持ちの資料を調べてみたら、80年代後半には「声かけ事案」が警察統計に上がっていた。主催者たちは、「声かけ」に対する「最近の」世間の厳しい意識を嘆いてみせるが、撮影された頃にはすでに、「声かけ」は警察案件だった。子どもも親も、地域も学校も警戒していたのだ。
 それにも関わらず、その頃のことをノスタルジックに語れるのはなぜなのか。彼らはそれを、知らなかったのだろうか。違う「世界」に住んでいたのだろうか。写真展が開催されたのは現在で、今はこうした写真は「撮れない」ことは、彼らも重々分かっている。それは、「撮れない」だけでなく、撮ったものを(無条件には)「公開出来ない」ことも含めてだ。それなのにこうした写真展が開催されたのはなぜだろう。倫理や法やルールすれすれのヒリヒリする感覚をも含めて、少女たちに意味をのせて消費していないか。逸脱の非難と後ろめたさを、ノスタルジーで隠蔽して。

 主催者は写真展について、「作品」を見た上で評価せよと言う。表現として評価せよと言っている。「声かけ」という行為が現在の感覚では問題だからといって、「かつて撮られた写真が悪いものになるわけではない」のだそうだ。写真に焼かれたならば、撮影行為に付随する問題は問うてはならないとでも言うように。
 論点が、承諾や暴力の問題から、表現の問題にすり替えられる。「声かけ」という言葉で、そこでかわされた会話や状況を想像させ、自己を投影できる仕組みを作り、過剰なまでの意味を「少女の」写真にたっぷりのせておきながら、しかし、批判はそれらの一連の行為とは切り離して、写真という表現のみを対象とせよというのだ。
 写真表現の質的価値の問題にすり替え、表現の土壌に持ち込むことで、暴力性への問いが遠のく。本来、写真を撮ることの暴力性は、「表現」の問題と切り離せないのだが、不思議なことに、ここではそれは問われていない。「表現」の問題なのに。
 それはつまり、「表現」として写真展を開催したのではなく、自分たちの欲望が肯定される領域を守るために、「表現」の力や土俵を借りたということなのだろう。「表現の自由」を隠れ蓑にして。

 主催者は言った。「声をかけることは人間関係の第一歩であるにもかかわらず、人を信じようとせず、犯罪と見てしまう。まさに狂った現象です」
 そう、人間関係の第一歩。だから警戒するのだ、こんな写真展が開催されてしまうご時世だから。かつての少女たちが、撮られた写真が何十年も後に展示されて販売・消費される、そんな恐怖に突き落とされる時代だから。

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牧野雅子

牧野雅子(まきの・まさこ)

龍谷大学犯罪学研究センター
『刑事司法とジェンダー』の著者。若い頃に警察官だったという消せない過去もある。
週に1度は粉もんデー、醤油は薄口、うどんをおかずにご飯食べるって普通やん、という食に関していえば絵に描いたような関西人。でも、エスカレーターは左に立ちます。 

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