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子どもからの助けを拒む理由

牧野雅子2016.11.24

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 ある誘拐事件報道で。公判では、警察か検察で作成された被害者供述調書の一部が読み上げられたのだろう。被害者の少女は、誘拐された翌月に部屋から出て、公園にいた人に助けを求めたことがあったのだそうだ。それも二度。けれど、助けてくれるどころか、「忙しいから無理」などと断られ……絶望したのだという。彼女が自力で逃げ出し保護されるまでの年月を思って、いたたまれなくなった。

 インターネット上に、被害者から助けを請われて断った人を擁護する「声」があった。助けを求められてもそれを断るのは、大人が自分の身を守る上で仕方がない対応なのだ、自分も同じ事をする、と。
 目を疑ったのは、そこで「守る」という言葉が使われていた事だった。守るだって? こうした事件から子どもを守る為にはどうしたらいいのか、という文脈なら分かる。けれど、子どもからの救助の要請を拒む理由を、自分の身を守るためだと言うのだ。救助を請われた側も危険な状況に置かれているのなら、まだ分かる。けれど、自分が犯人だと疑われるかもしれない、濡れ衣を着せようと企てる「男」が後ろにいるかもしれないと、いわば冤罪被害者となる可能性を前提に、その「被害」に遭わないようにと、守るという言葉が使われるのだ。報道に拠れば、少女が助けを求めた相手は二人とも女性で、「声」が想像するような、犯人と疑われるとか濡れ衣を着せられるかもしれないと考えたとは思えないのだけれど。

 件の「声」は、自身の経験を語っていた。冬の山中を夜中に車で走っていたとき、ジャージにサンダル姿の少女が飛び出してきたことがあったのだという。「声」は、少女は「男」に連れてこられて逃げたのか、置き去りにされたのかだと直感した。が、見なかった事にして通り過ぎた。あんなのに関わるとろくな事にならないから、と。その上、少女を目撃した出来事自体が夢だったのではないか、と思おうとする。幽霊を見たのだと自分に言い聞かせもする。事実よりも、空想上の「幽霊」が優先される。幽霊を見たと思い込んだ方が、事件に巻き込まれたかも知れない少女を見たと思うより、自分にとっては楽だったのだろう。「あんな子供はこの世に実在しないと思い込む事で罪悪感が紛れ自分を正当化できた」。自分の目で見ておきながら、いなかったことにする、当事者を消し去ることまでする。自分の行動の、いや、行動しなかったことの正当化のために。罪悪感に苛まれる状態から逃げるために。けれど、それでも、「罪悪感」は消えないのだ。
 付近で事件が起きていなかったか、調べたともいう。心配だったからだ。少女の安全が、ではなく、少女に何かあれば助けなかった自分の責任が問われるからだ。公に責任を問われるか否かではなく、自身の良心が咎めるからだ。事件の情報が見つからなかったことに安堵し、少女が無事でいると信じようとし、そう思い込むことで、現実から目を反らし、自分の作った世界の中に逃げ込もうとする。帰宅してからでも、後からでも、警察に通報することは出来たのに、「声」の主はそれをしない。そこに現実はあるはずなのに。

 自分の身を守るためだと「声」は言った。けれど、道で少女を見た時から自分の身を守るためと考えて、走り去ったのではない。見なかった事にして通り過ぎたことに対する良心の呵責、何も行動を起こさなかった自分に負い目があるから、その時の自分の行為を正当化したくて、後付けの解釈として「自分の身を守るため」というロジックが用いられている。理由は後からついてくる。
 無事だと信じているとか、自分には何の責任もないとか、誰でも自分と同じようなことをしたはずだとか、無駄な正義感だとか、正当化のために重ねた言葉がどれも、罪悪感に苛まれる自分を隠すどころか顕わにしていく。しかし、自らを問わずに吐かれた言葉は、誰かへの攻撃に繋がっていく。

 「声」は、「学業が本分である子供が、夜遊びに出歩いているから招いた結果だとも言え、もっと規則正しい生活を注意がけていればそんな事にはならなかったと考えれば、自業自得だという結論に至り」、被害者非難に帰着する。
 夜中に山中にいたことが、夜遊びの結果だったと分かっているわけでもなく、ましてや学業とは関係もない。どうしてこんな想像ができるのだろう。そこまでして少女の責任にしたいのはなぜなのだろう。たとえ、「声」の想像通りだったとしても、少女がそうした状況に置かれていた責任は、「声」の言う「男」にあるはずなのだけど。

 冒頭の事件に関して、ネット上には、もっと早くに逃げられた筈だと被害者を非難する「声」や、被害自体を否定して、事件を自分たちの好みの物語に編み直して消費しようとする「声」もあった。こうした「声」を耳にする度、被害者、とりわけ性暴力被害者のことを考えてしまう。
 性暴力被害に遭った女性たちは(いや、女性に限らない)自分を責めている。自分に問題があったんじゃないかと、悔やんで自らを責め、自身を苛む。自分が届け出なかった間に犯行が重ねられたらならば、その加害責任すらも負おうとする。「声」が、罪悪感から目を反らし自分の行動を正当化するために、自分を守るというロジックを導き出し、少女達を貶めていくこととの何という違いだろう。

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牧野雅子(まきの・まさこ)

龍谷大学犯罪学研究センター
『刑事司法とジェンダー』の著者。若い頃に警察官だったという消せない過去もある。
週に1度は粉もんデー、醤油は薄口、うどんをおかずにご飯食べるって普通やん、という食に関していえば絵に描いたような関西人。でも、エスカレーターは左に立ちます。 

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