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Vol.2 母親としてしか見られないツラみの正体

阿部悠2017.04.03

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「母親の前に、阿部悠です!」
3・11以降、原発反対、秘密保護法反対、安保法制反対などのデモや抗議行動になるべく参加しているのだが、子どもを連れているとよく取材される。
報道陣は必ずと言っていいほど、
「お子さんの食の安全が気になりますよね」
「お子さんを戦争に行かせたくありませんよね」
「お子さんの将来を考えたら、今の安倍政権は心配ですよね」
などと、子を絡めたコメントを引き出そうとしてくるのだが、そのことにただならぬ居心地の悪さを感じている。
結婚前から、デモや抗議行動への参加理由を尋ねられたら、
「世論調査でも大半の国民は原発に反対している。つまり、再稼働は民意を反映しておらず、民主主義に反している」
「最高法規である憲法を軽視する現政権に危機感がある」
「強引な強行採決を連発する国会に異議がある国民がたくさんいることを可視化するために来た」
などと答えていて、子どもを産んだ今も変わらない。
しかし、子どもを連れて抗議行動に参加するようになってからというもの、こういった返答にあからさまにガッカリされてしまうことが頻繁にある。どうも報道陣は、「子どもの将来を思うと、いてもたってもいられなくなって、国会前に駆けつけたお母さん」という絵を欲しがっているようなのだ。だから、理屈っぽい返答は期待していないんだろう。
デモや抗議に参加している方々からも、
「間違ったことには、きちんとNOと言うお母さんの背中を見せたくて連れて来たのね。素晴らしい!」
とか、キラキラした目で語りかけられたりするのだが、
「いや、単純に預ける所がなかったので連れてきました」
なんて言ってしまい、またまたガッカリされる。
子どもを連れていることに深い意味がなくて申し訳ないなという気持ちと、子どもにかまってくれるのはとても嬉しい気持ちで、いつもとても複雑なのだ。
いわゆるネトウヨや、市民運動にいちゃもんをつけたい人たちが、
「子を連れてデモに参加!?子どもを巻き込むな! 危険だろ!」
「子どもがこんな所に来て楽しいと思ってるのか?!なんて身勝手な母親だ!」
とかなんとか、やたらと母親をやり玉に挙げるのも、大きなお世話だし超ムカつくんだが、やたらめったら美化されて感動されるのも、それはそれで気持ちが悪い。
「母親は子どものために政治に関心を持ち、行動している」
「理屈ではなく、子を思う気持ちで抗議している」
などの先入観は女性蔑視の一種でしかない。母親は、子どもに関連しなければ政治に関心を持たず、いつも感情論で動くものだというのか。もともと政治に関心がある人間に子どもがいるだけとはなぜ思わないのか。
子どもを産んだからといって、イキナリ性格や考え方が激変することなどない。ただただ、理にかなってないことが嫌いで、時間があって気分がノればデモや抗議に行く、くらいのスタンスなので、いちいち「お母さんとしての意見」を求められドラマチックな反応をされるのは、なんだかとっても疲れるのだ。

気軽にお母さんと呼ぶな!
あまりフレンドリーなタイプではないのだが、子どもを産んでから知らない人に、「お母さん」と呼ばれ、親しみを込めたタメ語で話しかけられることが増えた。
去年、海の家で20代後半くらいの女性に、
「はいはーい!お母さんのロッカーはこっちねー!そっちはダメー!」
と、明るく案内され、
「わたしがオメーのお母さんとか年齢的に考えておかしいだろ。こういうノリで絡まれるのはマジで苦手だ。子どもを連れている限り、馴れ馴れしくされるのは避けられないのか‥‥。いっそ、ものすごくタチの悪そうなタトゥーでも入れてやろうかな‥‥」などと、真剣に考えた。
あまり親しげに絡まれないように、ACDCの怖いシャツを着たり、髪を3ミリで刈ったり、日々、アホな努力を続けている。ベビーカーに鋲を打とうとしたことさえある。
この不愉快さを人に語ると、エイジズム(年齢差別)に怒っていると思われがちなのだが、そういう話だけではなく、わたしという「個」を無視し、「母」という属性でしか扱われないことが不満なのだ。
1人でいると「お客さん」と呼ばれていたのが、子どもを連れていると「お母さん」と呼ばれるようになることで喜ぶ人なんか多分いないんだから、子連れに対して「お母さん」「お父さん」と呼ぶ習慣は早く廃れて欲しい。

母親というフィルターで人物像が歪む
SNS上で、あまり品が良くないせいか、しょっちゅう絡まれているのだが、
「なんて口が悪いんだ! それでも母親か! 子どもがかわいそうだ!」
だとか、
「キレイごとばかり言って、現実を見ろ!」
だとか、まったく相反することを言われていて、とても困惑している。
前者に関しては、わたしはあまり良い母親ではないし、息子がかわいそうになることがあるので分からなくもないのだが、後者に関しては思い当たるフシがあまりない。もしかしたら母親が差別に反対したり、政治的な意見を持っていると、PTA的な融通の利かない道徳を説いているかのように、勝手に思い込む人がいるのかも知れない。こんなに口汚いのになぜだ。
「母親のくせに!」も、「なんて立派なお母さん!」も、結局は母親というフィルターを通して判断されているということで、大きな違いはない。わたしも子どもを持つまでは、なんとなく世のお母さんというものに、優しくフレンドリーなイメージを持っていた。しかし、当然のことながら、母親になっても、優しくも、フレンドリーにもならなかった。残念ながら根性は悪いままだ。
「母親」という属性によって人間性を正確に把握されなくなるということは、今までの人生で積み重ねてきた「個」が消されてしまうようなことなのではないか。
わたしは、他人の属性より先に「個」を見れる人間でありたいし、「個」を尊重する社会であって欲しいなと思う。いろんな人がいて、それぞれがキャラ立ちしまくっている世の中は絶対に面白いから。頼むからわたしを見てー!!

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阿部悠(あべ・ゆう)

兵庫県出身。ローティーンの頃からクラブに入り浸り過ぎて中卒。関西を拠点にクラブDJとして活躍。3.11後の原発事故にショックを受けて反原発活動をはじめ、社会運動に目覚める。最近は「女叩き」カルチャーに怒りを燃やして、ネット上に溢れるミソジニスト達と本名顔出しで日々格闘。ビヨンセを崇拝している。 

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