人生に後悔は付き物だし、40年以上生きていれば思い出すだけで恥ずかしくてのたうち回りたくなることはいくつもあるが、痴漢にまつわることでずっと後悔していることがひとつある。それは、外国人観光客の女性が痴漢に遭ったのを目撃したのに何もできなかったことだ。
高校1年生の頃だったと思う。通学路だった都内某巨大駅前のバス停で、バックパックを背負った白人女性がホームレスと思しき男性から話しかけられているのを見かけた。テレビで「現在ホームレスになっている人の中にも高学歴でかつては一流企業に勤めていた人もいる」といった話を見ていたこともあって、「あの人は英語が話せるんだろうな」と思った。女性の方も、相手がホームレスだからという理由で嫌な顔をするわけでもなく、普通に対応しようとしていた。
その次の瞬間、ホームレス男性が突然その外国人女性の股間に手を伸ばしたのである。私はびっくりして頭が真っ白になった。その女性は悲鳴をあげて後ろに跳び下り、そのまま走ってそこから離れた。180cmくらいありそうな大柄な女性だったが、ひどく怯えているように見えたし、駆け寄って「大丈夫ですか?」と声をかけるべきじゃないかと思った。しかし、私にはそれができなかった。
英語がほとんど話せないという理由もあったが、ショックで足がすくんでしまった。さらに、加害者の仲間のホームレス男性たち3、4人が犯行現場から数メートルくらいのとこで「ほら、だからやめとけと言っただろうが〜」のように痴漢男性をからかってやいやいと笑って盛り上がっていたのも見えていた。被害者女性に近寄ったらその人たちの視界に入ってしまう、何よりもそれが怖かったのだ。
ひとりでバックパックを背負って言葉の通じない外国を旅行中に、人通りの多い大きな駅前で突然性暴力被害に遭うとは、彼女は想像もしていなかっただろう。しかも、それを見ていたはずの多くの人が無反応で、痴漢が野放しにされていることにショックを受けただろうと今なら分かる。当時の私は「痴漢」という言葉がそのままのChikanとして輸出されてしまうほどに、日本に特有のものだとは思っていなかったのだ。
走って被害現場から距離を取りながらも、彼女はバスに乗るために駅前に留まっていた。その姿を何度も振り返って見たのに、私はそれ以上のことを何もしなかった。彼女は日本が嫌いになったかもしれないと思うし、他人を信じることが難しくなってしまったかもしれない。そのせいで、その後の旅程で必要な助けを求められなかったかもしれない。あの時、私が勇気を出せれば何かを少しはマシにできたかもしれない。その罪悪感を今もずっと抱えている。
そして、それと同時に、あの時に駅前にいた大人たちの誰一人として何も行動しようとしなかったことに対する怒りもある。あの場にいた大人たちが何かしてくれていたら、私が30年後の今になってこの気持ちを吐露する必要はなかった。だからこそ、自分は誰かの被害を目撃したらすぐに動けるようにイメージトレーニングを欠かさないようにしていて、実際に何度か性加害者を撃退したことはある(ただし捕獲には失敗)。しかし、女性一人が動いてもどうにもならないことも多いし、地下鉄御堂筋線事件を思い出せば、注意をした女性が逆恨みされて被害に遭うという可能性も怖い。私がマ・ドンソクだったら何も心配することはないが、マ・ドンソクと身体を交換してもらうことはできない。
そして、非常にうんざりさせられることに、この状況に日本の男性の大半は関心がない。それどころか加害者側に同情的な発言をすることさえある。世間的には少数派であろう左翼やリベラルを自認する男性たちは、口では男女平等を唱えてはいるが、この痴漢という「男性の問題」にまじめに取り組んでいるかと言えば、「もっと大事な課題があるから」後回しというのが現状だろう。
多くの場合、彼らは理念としての「男女平等」は理解しているつもりでも、実際には女性差別とは何なのかが認識できていない。高市政権誕生から約一ヶ月だが、女性差別的な文言を含む批判も頻繁に目にするし、過去にも右派の女性政治家の容姿を貶めたり、女性差別的な揶揄をしているのも見かけてきた。市民運動などにおける男性から女性への性暴力問題を「男女関係のもつれ」と、あたかもお互い様であるかのように言っているのも聞いたことがある。そして、それこそが女性差別なのだと指摘されても聞き入れない。
女性差別を問題化しようとする女性の方が、逆に「問題のある人」であることにされてしまうというのは、それほど珍しいことでもない。会社組織などでもセクハラやパワハラを訴えた側が「問題のある人」のように扱われてしまい、その組織にいられなくなった、という話はSNSでも見かける。ただ、ある組織の一員であるとき、人間は自分の思い通りには行動できないことも少なくない。被害者側に心を寄せつつも生活や家族への影響なども考えて長いものに巻かれてしまうことは、誰にとっても他人事ではない。特に、女性の場合、組織内における地位や発言権が男性ほどはないことも手伝って身動きが取りにくい。
それでも、30年前のあの時に咄嗟の一歩が踏み出せなかった後悔の大きさを私は知っている。自分にできたかもしれないことをしなかった後悔を忘れてしまえる人もいるのかもしれないが、私は後悔を抱えたまま自分にこれからできることを考える方を選びたい。痴漢に限らず、女性差別があるからこそ軽視されていることはたくさんある。個人にできることには限界があるけれども、個人の小さな行動も決して無駄ではないのだと示していきたい。


小柳ちひろ
『女たちのシベリア抑留』
文春文庫 2022年
歴史は男性の手によって、男性のことを中心に書かれることが多い。しかし、同じ出来事でも同じ場所にいても、男性と女性で見えていることが違うことも多い。女性の視点でも歴史を記述することは大事だ。
過酷な強制労働のイメージと強く結びついた「シベリア抑留」だが、そこに女性たちがいたことやその女性たちの経験というものは長らく語られずにきた。NHKディレクターの小柳の手で、番組を下敷きに書き下ろされたこの本も「女性の視点」から記述された貴重なものだ。
取材に応じることを断った当事者もいるため、語られたことが全てではないだろうが、現地での丁寧な取材により、女性たちがシベリアでどのように過ごしていたのかが「活き活きと」描写されている。「楽しかった」思い出として語られることの隙間から明らかになる「恐ろしかった経験」に、「戦争体験を記述すること」の難しさも感じる。
個人的に興味深いと思うのは、女性たちが当時を振り返って、現地の人たち(ロシア人)に親切にしてもらったエピソードに言及する際に、日本人だったら敗戦国の人間にこんなに親切にしないだろうと述べていることだ。やたら日本下げするのは趣味ではないが、おそらくこの見立ては間違っていないだろう。
私は、自分があの時代に生きていたら、立派な軍国少女になって、なんとかお国の役に立てるように頑張ってしまったのではないかと思う。だからこそ、私は戦争が怖いし、国家には戦争を始めないためにできることをやってほしいと思っている。














