4月に異動して11年ぶりに1年生のクラス担任をすることになった。あまりにも多忙な状況になったことと、守秘義務により詳細な業務のことはコラムに書けないため、他のことを原稿に書く気力もなく、今月までサボってしまった。趣味の1つだった映画も、今年度になって11月までほとんど見に行っていなかった。これまでの筆者の行動パターンではありえない状態だった。戦後80年だし、高市政権になったし、書こうと思えば、いくらでも書くべきネタはあるはずなのに、コラム原稿を8ヶ月も書かない状態になろうとは…。反省することしきりである。
先日、久しぶりに映画館で映画を見た。「ヒポクラテスの盲点」と「女性の休日」だ。「ヒポクラテスの盲点」は、新型コロナワクチンの検証ドキュメンタリー映画だ。全国小中高校の一斉休校、児童生徒半分ずつ登校させたり、「アベノマスク」が配布されたり、遠隔授業が行われたりしたことを思い出す。
マスクを常につけ、距離を取り、パーテーションで区切り、教室は常時換気して、消毒を頻繁に行う。消毒をするために雇われたスタッフもいた。
そして、ワクチン接種。医療関係者や高齢者福祉に携わる人たちは、半強制的にワクチンを接種させられた。学校関係者にもワクチン接種は推進された。あの当時、ワクチンを打たない選択をするのには、かなりの勇気が必要だった。高齢の祖父母のために、子どもたちは「思いやり」で打つよう勧められもした。日本ならではの同調圧力とも言うべきことだった気もするが、世界各国でもワクチン接種が推奨されていた。ワクチンを打てば、「新型コロナウィルスに感染しにくくなる」とか、「感染しても軽症で済む」といった「効能」が語られた。
映画「ヒポクラテスの盲点」では、打てば感染しにくくなるはずの3回目のワクチン接種後に、むしろ新型コロナウィルスの感染者が急増したという事実や、ワクチン接種後に突然死した若い男性の心臓の筋肉の状態が、心臓の専門医でさえ、これまで見たことのない融解状態になっていたこと、ワクチン接種後に高齢者に帯状疱疹の患者が急増していることなどが明らかにされていた。
巨額な税金を投入した新型コロナワクチン接種。薬害について、きちんとした検証のないまま、「なかったこと」にされようとしている。しっかりと事実を分析して次に備えなければ、この国はまた同じことを繰り返す。薬害エイズ事件やサリドマイド事件等、これまで何度も薬害は繰り返されてきた。
もう一つの映画「女性の休日」は、世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数で16年連続第1位となっている、アイスランドの映画だ。今でこそ、ジェンダ平等第1位のアイスランドだが、50年前は違っていたという事を、この映画で初めて知った。国を挙げて女性が連帯する出来事があって初めて、いまのアイスランドがあるのだと感銘を受けた。
いまから50年前の1975年10月24日、アイスランドの女性の9割以上が仕事や家事を休んだという。賃金の男女平等を求めて、家事・育児を男性も担うことを求めて、アイスランドの女性たちは集まった。農業従事者、銀行員、新聞社勤務、アパレル、店員、漁業関係者などなど、多種多様な職業の女性たちが連帯した。
「本を持って3ヶ月くらい刑務所に入りたい」。映画の中で家事・育児に追われるある母親が口にした言葉も印象的だった。そう思っている女性たちは、いまなお日本中に、そして世界中にいるだろう。外で働く女性たちだけではなく、家庭内労働に搾取されている女性たちも「ストライキ」に賛同した。
「ストライキ」にこだわった労働組合系の女性たちが、保守系の女性たちにも行動を共にするために「ストライキ」ではなく「休日」とすることに、やむなく妥協する場面もあった。男性からの様々な説得や妨害を退けて、全国各地で声を上げ、首都レイキャビックには25,000人以上の女性たちが集まったという。
映画では、初代女性大統領や初代女性最高裁判所長官、初代農業組合幹部等、そうそうたるメンバーが当時の様子を生き生きと語る。見ているこちらも、興奮冷めやらぬ気持ちになった。映画の中で当時歌われていた歌も心に残った。世界の女性たちで連帯して歌えるようになったらいいのに、などと想像した。
戦後80年、報道の自由度ランキング66位、ジェンダーギャップ指数118位の日本。スパイ防止法は改悪されようとしており、夫婦別姓は遠のこうとしている。この状況に抗って、次世代に少しでも生活しやすい日本にしていきたいと、子どもたちに語りかけている日々だ。映画「ヒポクラテスの盲点」と「女性の休日」、まだご覧になってない方がいらしたら、ぜひ一度見ていただけたら幸いである。















