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強くなくても、すごい目標がなくても、生きているだけでいいんじゃない?

2015.10.09

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 はじめまして。ライターの久保樹りんです。くぼき・りんと読みます。目標はのらりくらりと生きることです。不定期で記事を更新します。たまにネタも混じりますが適当にお付き合いください。よろしくお願いします。
さて先日、ぼけーっととある駅の構内を歩いていたのですが、顔をあげた瞬間、目が飛び出そうになるポスターが視界に入りました。その様子たるや温泉地などによくある、目がびよーんと飛び出るダルマのキーホルダー並みではなかったでしょうか。というのはウソですが、そのポスターにはグラウンドの画像とともに

「目標のある国は、
人は、
強い。」

というコピーがありました。これは東京2020オリンピック・パラリンピックのゴールドパートナーの、東京海上日動によるグラフィック広告でしたが、「目標のある国」って一体なんなんだろう……。セマウル運動でもして所得倍増を目指せとでもいうのか? その上で富国強兵を目指せとでもと言うのか……? と、しばし足を止めてしまいました。ほかにも「オリンピックは日本のチャンスだ」「5年後、さすがJAPAN! って言われたいよね」というものもあり、もうクラクラきてしまいました。だって戦時中のプロパガンダ「進め一億火の玉だ」「出せ一億の底力」を想像してしまったんですもの。

 目標を持つことは、確かに大事なことです。だから「目標のある人は、強い。」だけだったら、気にならなかったかもしれません。でも誰しも強いところもあれば、弱いところダメなところもある。それが個性というものだし、国だって弱いところも強いところもあるから、他国と協力して補い合うものなんじゃないの?
「オリンピックは競技なんだから、強くて勝って当たり前だろ!」というご意見はわかります。でもこの広告、「強くなければ」「活躍しなければ」というメッセージに溢れていて、うっすら恐いものを感じてしまいました。

 なんだか最近、このように誰かや何かに「活躍」ばかりを求め、「活用される強い人材たれ」とでも言いたげなメタメッセージが、広告などを通して発信されている気がします。さっすが一応総活躍社会!(棒読み)。
栗林デバ子さんも取りあげている、女子高生が胸をゆっさゆっささせて走るブレンディのWeb CMは1年近く前のものではありますが、まさに「立派な食肉になったり、立派な乳を出して誰かの腹の役に立てよ! 見栄えが良ければ動物園でパフォーマンスして、誰かの目を楽しませろよ!」と、ただ活用されることを権力者側は要求し、それをヒューマノイドのウシ子たちが嬉々として受け入れるという、この上ないディストピアが描かれています。牛の哀愁を擬人化するのはクリエイターの自由ですが、若者の未来には「誰かの役に立つこと」しかなく、しかもその未来を、自分達で選ぶことすらできないのか(食肉になるも動物園で生き延びるも、ウシ子達の進路は、すべて学校が決めている)。晴れて乳牛になる道をつかんだウシ子の満面の笑みを見ていると、私は心が寒くなります。彼女の笑顔の裏には、「生きていても役に立たないと権力者側に判断され、肉を提供することでようやく役に立つ仲間」が、当然のように描かれているからです。

 先日、地下鉄の駅構内でベビーカーの1歳児を、64歳男が殴るというありえない事件が起きました。これについて知人がSNSで「子ども達が将来シニアの面倒をみるのだから、やさしくしよう」と書いていたので、つい「面倒を見る見ないじゃなくて、子どもを大事にしない社会はおかしいよ」と言ってしまいました。面倒を見てくれるから大事にするのであれば、見ないと見込めば殴っていいの? ということになってしまいます。しかし人は誰かの役に立つため、誰かに活用されるために生きているのではありません。

 もちろん誰かの笑顔が見られたり、人から「ありがとう」と言われるのは、とてもステキなことです。「人の役に立ちたい」という気持ちも、ピュアなものです。それ自体は否定しません。でも自分の人生のオーナーは自分でありたいし、自身の選択を極めた結果で「ありがとう」が生まれれば、もっとステキだと思いませんか?

 と、ここまで書いていたら、北里大学特別栄誉教授の大村智さんが、2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞したというニュースが飛び込んできました。大村教授は熱帯地方の寄生虫病「オンコセルカ症」や「リンパ系フィラリア症」に効果がある薬剤『イベルメクチン』を開発し、この薬は2012年までに、のべ10億人に無償提供されたそうです。おそらく大村教授は「日本のために役立ちたい」「日本人として活躍したい」ではなく、やりたい研究をすることで、誰かを助けたいと思ったのでしょう。「日本のために」であるなら、日本人特有の病気を研究した方が手っ取り早いでしょうし。

 誰かに飲ませるための濃いミルクを出せなくても、日本を強くするための目標を持てなくても、今日を生きて明日も生きられるぐらいの力があればなんとかやっていけるし、その結果が時に、すごいことに繋がる可能性を持っているのではないでしょうか……。そんな社会であってほしいし、そんな社会で生きたいです。嗚呼、お役に立てずにごめんなさい(自虐)!

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