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ポピュリストの言語

中沢あき2018.10.23

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日本でもドイツでも、最近、いやこの数年気になるのは人々の言葉、そして公人の発言がますます過激になっていること。日本の状況は皆さんご存知の通り、そしてアメリカのトランプ大統領は言わずもがな、さらに公然の場での発言や表現には厳しいはずのドイツでも最近はなんだかヤバい。その主張の内容もさることながら(共通して排外主義やマイノリティへの侮蔑を込めた愛国主義)彼らの物言いについては、ひと昔前だったら言葉を選ぶということが建前であったとしてもマナーだったと思うのだが、どこでたがが外れたのか、野蛮むき出しの発言が多くなっているように感じる。

少し前に「AfDのスピーチ」を分析、解説していたドイツのラジオ番組を聞いて、興味深いなと思った一方、改めてドン引きした。AfDとは「ドイツのための選択肢(Alternative für Deutschland)」というポピュリスト右派政党のこと。2013年に政党が結成されたときは、当時ギリシャの財政危機に揺れるEU経済の救済を負担していたドイツの援助を批判し、党首の一人であったハンブルグ大学の経済学の教授がEU脱退を唱えていたのが主なポリシーだった。それはそれで面白い主張だなあとは私も思っていたのだけど、気付いたらこの数年、いつの間にかその中心人物は脱退し、難民政策反対、移民反対、原発賛成、と、ことごとくドイツ政権の反対を行くどころか、党員たちが過激発言を連発する極右的ポピュリスト党になっていてビックリした。

そのラジオ番組で引き合いに出された発言は例えばこんな感じ。
「ブルカ、スカーフを被った女の子たち、そして扶養されているくせに刃物を振りかざす男たち、みんなごくつぶしだ!」
ええと、これは翻訳するとつまりはこうだ。ブルカやスカーフを被ったモスリムの女性たち、そして難民として援助を受けているのに刃物を振り回して傷害や殺人事件を起こすモスリムの男性たち、難民の彼らは皆、この国を食いつぶしている、のだと…。

これはAfD党の女性議員の発言だったのだが、もう一人の同党の男性議員の発言もすごかった。
「身分証明書と引き換えに、我々のことをパパが脅かし、ママも脅かし、そのちびっ子たちもまた我々を脅かす、そんなふうにテロリズムがこの国で育つんだ!」
翻訳しますと、こうです。やってきた難民に身分証明書を発行して滞在許可を出したら、その難民一家の父親も母親はテロリストで、そしてその子供たちもまたいずれテロリストとなってこの国の安全保障を脅かすようになる」

ドイツ語からの翻訳なので、どこまでこのニュアンスが伝わるかわからないが、論理的に語るのではなく、感情に任せた叫び声で発されるその言葉は幼稚かつ野蛮で「げっ、こんなことを国会で言うの!?」と私はドン引きし、主張内容も根拠ないものでひどいけど、それにしても言葉の選び方でこんなにも言語は過激になるのだなあと考えさせられた。どちらも国会での発言で、当然ながら大きなニュースとなって批判を浴びた一方で、でも事実だろ、と極右ならずとも一部の共感を呼んだという出来事でもあった。

ラジオ番組ではAfDの、特に言語的な部分を分析研究している言語学者がこれらの発言をこう分析していた。モスリムであるとか難民としてアラブの国からやってきたという出自と、そのうちの一部が行った犯罪行為を因果関係として結びつけるところから人種差別は始まる。この政党はそもそもそうした事実を転換した解釈の発言が多く、それこそが党の基盤にもなっているんだと。解釈の転換って、ものは言いよう、ってことかしら?

前回のコラムで取り上げたケムニッツの事件でもそうだったが、確かに難民が起こした犯罪事件は起きており、それは大きなニュースとなって取り上げられる。そこへ極右やAfDのようなポピュリストが、難民は揃って犯罪者というようなことを言えば、それはそういうイメージとして広がってしまう。しかし実際は、警察の統計では難民大流入以降に難民による犯罪が多くなったというデータはなく、それをまたAfDはフェイクだと批判しているのだが、その批判を証拠付ける根拠を彼らは何も示していない。となると、根拠なしの解釈の転換をし、煽動的な発言をして不安を持つ人々を煽っているだけ、ということになる。

でも不安を煽られて共感する人がいることも事実で、怖いのは、事実を言って何が悪いという開き直りがこれで広がることだ。そもそも政治家は公人である以上、社会のお手本としてみられる立場だ。それがこんな下品だろうが野蛮だろうが何でも発言できるなら、自分が言って何が悪い、というような認識が広がってしまう。

ドイツ、日本、アメリカと、ゲンナリするような下品な言葉を耳にするたび、不思議に思っていた。なんで彼らはこんな言葉を吐き出せるんだろう、それは一体どんな感情や思考に動かされているんだろうかと。最近思うに、タブーとされる心の鬱憤をそのまま吐き出したいのだけなんじゃないだろうか、彼らは。もちろんそれは理性を欠いていて、社会的人間の行為ではない。けれどその言葉を口にすることで、彼らはものすごい爽快感を得るんじゃないだろうか。そしてそんな自分の言葉を支持してくれる反応があれば、それはそんな自分を大いに自信づけ、誇りに思うんだろう。もっとも、他人を傷つけることで得られる快感やそんなことで自己認識できる人生なんて、なんとも哀しいけれど…。

論証に欠ける偏見をいい大人がおおっぴらに自慢げに口にする。それはとても幼稚で情けなくみえるんだが、スキャンダラスな発言で注目を集めることの快感はひとしおなのかもしれない。常識的な言葉はたいがいにおとなしくて地味な響きであったりするから。

人間がそれぞれ違う文化観や意見を持つのは当たり前のことだし、言論の自由はもちろん守られるべきだ。が、言葉の表現次第でその言論はすさまじく暴力的で野蛮なものになりえるんだなあと、ポピュリストたちの発言を聞きながらつくづく思う。そして論証なしの偏見もまた、先へ進むことのない無意味な議論しか生まない、ということも。彼らはきっとそんな野蛮な快感に酔っているんだな。品格のない人間にならないように気をつけようと、エレガンス、エレガンス、と呟いてみる。

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© Aki Nakazawa

Kapitalismus tötet(資本主義に殺される)と壁に書かれた文字と、ミシンだかタイプライターだかに向かう女性?のグラフィティ。言葉は過激ですが、例えば70年代にパンクがアナーキーと叫んだように、人間の内に潜む暴力性や野蛮さを解き放っても表現としてまだ許されるのはアートの可能性だと思うのです。でも政治はアートとか表現の場所じゃないからさ、そこは論理的に冷静に議論をせねばならんのでは?件の言語学者が、政治家も私たちも皆が、「正しい」言語を身につける為の教育が必要だと述べていたのが頭に残っています。

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中沢あき(なかざわ・あき)

映像作家、キュレーターとして様々な映像関連の施設やイベントに携わる。2005年より在独。以降、ドイツ及び欧州の映画祭のアドバイザーやコーディネートなどを担当。また自らの作品制作や展示も行っている。その他、ドイツの日常生活や文化の紹介や執筆、翻訳なども手がけている。 

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