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この週末、私は、表参道で行われたレズビアン&ゲイ映画祭に、LPCのスタッフとして参加した。会場には映画祭に協賛する、いくつかのお店がブースを出し、賑わっていた。LPCのブースがオープンした土曜日、私は燃えていた。
商人の家の子供に生まれた性であろうか、「いっぱい売るぞ!LPCを知ってもらうぞ!」と私は心の中で頭にハチマキを巻いて、準備に取りかかった。

今回、私は特に入荷したばかりの新作のナベシャツをアピールしたかった。ナベシャツ通して、ナベシャツユーザーのお客さんと、友好の輪を広げたかったのだ。マネキンにナベシャツを着させて、ふんどしを着させて、レインボーのタオルなんかスカーフ風に巻いたりしちゃって、私は意気揚々に準備を進める。そしていよいよオープン。しかし、ゲイ映画を上演する時間だったからか、まんこ持ちがほとんどいない。たまに現れるまんこ持ち(FTM風の)はなぜかLPCのブース向かいにある、他のブースに流れている。

そのブースは、かっこいいイケてるまんこ持ち達が店員をしている艶やかブースだった。店員と楽しそうに話すお客さん。目にはハートが見えるよう。『まずいぞ!』私は自分のカラダを鏡に映した。『イケテない。』私はマネキンからレインボータオルを奪い取り、私の首に巻け付けた。しかしどうみても土建屋のゲイオヤジだ。これじゃLPCの存続に関わると、私は違う場所にいた北原さんの元へ向かった。その道すがら私は考えた。これはブス対美人の闘いだと。やはりキレイなものに人は向かう。いくらLPCの商品がかっこよくても、店員で判断されることもある。それじゃ・・・。私は北原さんに提案した。「美人VSブスの闘い。これは奇をてらうしかないよ。裸になってニップルシールを貼ろうと思うんだけど」私の決意は却下された。

今回の映画祭で、私は「ザ・Lワード」というアメリカで放映されている人気のレズビアンドラマを観た。映画の中では、レズビアンが集まるカフェで登場人物達が話しをしている。「なぜ私には相手がいないの?」「パートナーと上手くいかなくて」・・・日本でもよくある風景。しかしこの映画、なぜかおかしい。パーティーで出会った2人がトイレでキスしたり、入ってくる人をチェックしたり、映画から滲み出る欲望は、新宿2丁目の光景と同じなのに、カフェでのの会話もよくあるレズビアントークなのに、どこか違う。そう、かっこよすぎるのだ。

私が行っていたパーティーでは、「どうせ私はチビでデブだよー」と飲んだくれてくだを巻く酔っぱらいや、「働く場所がない」と、残り1000円の財布を見せ、「お金かしてくんなーい」と声をかける人など、かっこよくない人達がほとんどを占めていた。たまにリッチな人がいると思えば、マッチョな自衛隊員だったり。映画だから、というのは無論、わかっているのだが、私はこの映画を観ながら登場人物達の欲望や戸惑いには共感しながらも、新宿2丁目の面々が頭を過ぎり、頷くことが出来ない。

私が初めてセクシャルマイノリティと出会ったのは、21歳の時だった。
会社の上司に連れて行ってもらった歌舞伎町のニューハーフクラブ。
当時、テレビによく出ていたニューハーフの人が沢山いるお店だった。

私が初めてこの店に行った時、私を学生のオトコのコだと思っていた店の人達が、オンナだと知って集まってきた。興味津々という感じだったが、嫌な気がしなかった。私は、この時初めて自分を認めてくれる場所に出会えたような気がした。朝5時まで飲んで、店が終わったらゲーゼンに行って、ホッケーゲームをやったり、コマ劇場前で鳩を追いかけたり、私達に向かって「おかまー」といって罵声を浴びせる男達に「バーカ」と言いながら落ちている缶を投げつけたり。私は楽しくて毎週、歌舞伎町に行っていた。しかし、1日おきにホルモンを打って、毎晩お酒を飲んでいるその人達のカラダはボロボロだった。昼間に会う彼女達はいつも疲れいるようだった。

その1年後、私は2丁目デビューを果たした。取引先の人に連れていってもらった初めてのレズバー。私はこの時から5年間。ほぼ毎晩2丁目で過ごしていた。私はこの街で、いろんな人と出会った。オンナだけの欲望の空間で私は私のような人でも、いっぱいいっぱいセックス出来るチャンスがあるんだということを知った。パートナーとの問題、家族の問題、仕事の問題、経済的な問題・・・

みんな、いろんなことを抱えていたけど、夜の2丁目は、みんな欲望のエネルギーで溢れていた。私はそんな2丁目が好きだった。いろんな理由で、生活するのに必死で、汗をダラダラかいていて、でも夜になるとこの街にやってくる。朝まで飲んで、そのまま仕事にいったりして。昼間の顔は知らない、夜だけの付き合いの人がほとんどだったけど、面白いろくでなしがいっぱいいた。私にはこの街が似合っていると思った。

私の周りの2丁目好きで、レズビアン&ゲイ映画祭のことを知らない人は少なくない。レズビアンの問題を映し出すスクリーンの前に私が出会った人達が少ないのはなぜだろう。私は、まだ青線の名残があるゲイの街2丁目で、初めてレズビアンバーを開き、レズビアンのコミュニティーを作ったAさんが、映画祭中どこにいったのか後で知った。2丁目のレズビアンが参加する団体旅行に参加していたのだ。

10代~60代のレズビアンが参加する海水浴。伊豆の小さな浜辺を一瞬のうちにレズビアンビーチにしてしまう、1年に1度の旅行。仲間のためなら汗をかき、レインボーの旗を店に飾るAさんは、たぶん映画際のことを知らない。まんこ持ちとセックスしたい!と欲望を隠さない、かっこ悪いレズビアンがたくさんいる2丁目と映画祭の間に何があるのだろう。『映画祭にAさんはいない』そう思うと、私は欲望の涎をダラダラ流し、笑い合う2丁目が懐かしくなった。

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アンティル

アンティル(あんてぃる)

ラブローター命のFTM。
数年前「性同一性障害」のことを新聞で読み、「私って、コレかも」と思い、新聞を手に埼玉医大に行くが、「ジェンダー」も「FTM」という言葉も知らず、医者に「もっと勉強してきなさい」と追い返される。「自分のことなのに・・・どうして勉強しなくちゃいけないの?」とモヤモヤした気持ちを抱えながら、FTMのことを勉強。 二丁目は大好きだったが、「女らしくない」自分の居場所はレズビアン仲間たちの中にもないように感じていた。「性同一性障害」と自認し、子宮摘出手術&ホルモン治療を受ける。
エッセーは「これって本当にあったこと?」 とよく聞かれますが、全て・・・実話です!。2005年~ぶんか社の「本当にあった笑える話 ピンキー」で、マンガ家坂井恵理さんがマンガ化! 

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