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私はアンティル vol.21 お盆中私は海に行った。

アンティル2005.08.18

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お盆中私は海に行った。胸の除去手術をしてから2度目の海である。

まだ胸があった時、私はバリバリ(腰に巻くゴム製コルセット)を巻き、胸を平らにして、その上からTシャツを着て海に入っていた。胸を目立たせまいと、いつもよりきつく締めたバリバリは拷問のようだった。降り注ぐ太陽は、分厚いゴムで潰され押し込められた胸から大量の汗を流し出し、締めつけられた心臓は、何もしなくてもドックンドックン悲鳴をあげていた。しかも泳いだりするとバリバリがずれて胸が飛び出すものだから、気になって思う存分動くことができない。ゼーゼー言いながら、ただ水に浸かっているだけの海水浴。海での時間は苦行のようだった。だから私は海に行かなくなった。

『みんなのように砂浜でボール投げをしたり、バナナの形をしたボートに乗って、船にひっぱられてキャッキャキャッキャはしゃいでみたい。』私は海で思いっきり遊ぶことを夢みていた。海外の海辺のリゾートで優雅に遊ぶ私。浜辺でカラフルなジュースを飲む私。小さな夢だが、私にとっては遠い夢だった。そしてその夢は性同一性障害の治療を始めるきっかけの1つになった。

小学生の頃、私は突然池が欲しくなった。確か、手を叩いてコイを集めるおじさんをテレビでみたのがきっかけだったと思う。『池ってかっこいいなぁ~私もほしいなぁ~』一度興味を持ったらチャレンジせずにはいられない私は、自宅の屋上に池を造ることを真剣に考え始め、親に相談した。


「あのさぁ池作って」
「また急にそんなこと言い出して。屋上に池なんて作れるはずないでしょう」

答えはNOだった。しかし私はどうしても諦めることが出来なかった。『作れないはずなどない! 私の池を作ろう!』その日から私は、池を作ることだけに全力を注いだ。まずは図書館へ。私は池が写っている本を探し、研究し、白い画用紙に欲しい池の絵を書き出した。至福の時間。画用紙の中の池には無論コイも泳いでいる。しかし問題は、どうやって水を溜めるかだ。

私は何日も考えたあげく、ゴム製の子供用プールにヒントを得て、岩を積み上げた高さ20センチほどの円の内側にビニールシートを敷いて作る池を考案した。問題は解決! あとは作るのみ!! 私は近くの林から何日もかけて20センチ四方の石をいくつも運びこみ、数日後、直径1メートルほどの小さな池を完成させた。私はさっそく、念願のコイを手に入れるためのお金を貯金箱から取り出しペットショップ向かった。しかし、ここでもう一つ問題が発生したのだ。高くてコイが買えない。私はしぶしぶコイの代わりに出目金を買った。私は出目金も訓練次第で手を叩けば反応するようになると信じていたのだ。

着工から1ヶ月後、ついに池に水を入れる瞬間がおとずれた。
池に水が溜まっていく。5センチ、10センチ・・・私は歓喜しながら出目金を放った。餌をやると口をパクパクさせて可愛いかった。『のぶちゃんにも見せてあげよう』 私は急いで友達を呼びに行った。「あそこにあるの! 見て見て」 友達とともに池をのぞき込む私の目に映ったのは、水が抜けた池と動かなくなった出目金だった。

10歳の夏、私は近くの池の真ん中に浮かぶ島に心を奪われた。大きな池に浮かぶ2メートルほどの小島。『あそこには何があるんだろう。立った感じってどんなだろう。』どうしてもその島に行きたいと思った私は、船を作ることにした。一番始めに作ったのは木の箱だった。池に箱を浮かべ、乗り込んだ私は、その場で沈んだ。二番目の船は発砲スチロールで出来ていた。私は靴を履くように発砲スチロールの上に乗り、長い棒を杖代わりにして島を目指し、水面を歩き始めたた。しかし1メートルちょっと進んだ所で、私はバランスを崩し池に投げ出された。3番目の船は大きなたらいのような船だった。下敷きで水をかくと今度はぐいぐい進んでいった。島にはアヒルが寝ている。私は夢中で島を目指した。しかし、もうすぐ到着というところで、船は沈没し、私は岸から遠く離れたところでひとりぽっちになった。それ以来、さすがに怖くなった私はもう船を造らなくなった。その数ヶ月後、池に行ってみると水がなくなっていた。水が汚くなったから水を変えるのだという。足首ほどの高さしかない水の中を歩き、子供達がいとも簡単に島に上陸している。私はこのときの悲しみを今でも覚えている。

私は欲望を抱えた時に最大の力を得る。見たい、触りたい、知りたい・・・
そしてその力があれば大抵のことはできると私は信じている。
叶えることができないストレスより、欲望を押さえ込み、諦めることが体力を消耗することだと知っているから私は私を諦めない。そして欲望に対して馬鹿力を発揮している時の自分のことをけっこう気に入っている。
性同一性障害の治療を知った時、私には一つの迷いがあった。

“治療を始めることは、これまでの自分を否定することにはならないか”

オンナが好きだということを、誰かのために捨てられなかった私は、嫌な目に遭うことが多かった。しかしそのたびに、私は欲望を変えることなくどうにか進んでいる自分に出会うことが出来、自分が自分を裏切らないということを実感できた。目の前の問題に向い、ぐちゃぐちゃになりながらどうにか立ち直ると、そこには自分の場所がまたひとつ出来上がっていた。私は私の欲望を奪おうとするものへの攻撃のエネルギーを、自分の居場所を作る原動力にしていたのだ。そんな自分を知っていたからこそ、私は注射1本で問題を軽減させてしまう性同一性障害の治療を受けることに、少しだけ迷った。

胸をとれば海にも行ける。男か女か、賭の対象にされることもなくなる。ストレスから解放される。私はそれまでの自分に少し後ろめたい気分を残したまま治療を開始した。そしてこの後ろめたさは、数年後にまた私を変える原動力となった。

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アンティル

アンティル(あんてぃる)

ラブローター命のFTM。
数年前「性同一性障害」のことを新聞で読み、「私って、コレかも」と思い、新聞を手に埼玉医大に行くが、「ジェンダー」も「FTM」という言葉も知らず、医者に「もっと勉強してきなさい」と追い返される。「自分のことなのに・・・どうして勉強しなくちゃいけないの?」とモヤモヤした気持ちを抱えながら、FTMのことを勉強。 二丁目は大好きだったが、「女らしくない」自分の居場所はレズビアン仲間たちの中にもないように感じていた。「性同一性障害」と自認し、子宮摘出手術&ホルモン治療を受ける。
エッセーは「これって本当にあったこと?」 とよく聞かれますが、全て・・・実話です!。2005年~ぶんか社の「本当にあった笑える話 ピンキー」で、マンガ家坂井恵理さんがマンガ化! 

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