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「いつか起きる、必ず起きる」
 こんなにも多くの人が警鐘を鳴らしていたのだということを、私は知らなかった。いや、知ってはいた。知ってはいたが、「いつか起きる」と言われているのであれば、「起きないために」何か対策はされているのだろう、と甘く考えていた。全くもって甘かった。原発に安全対策などは意味をなさず、「止める」以外に安全はない。そのことを、こんな事態を迎えるまで私は知らなかった。

 家の近くに後楽園遊園地がある。たまに敷地内のカフェでお茶したり、ビールを飲んだり、時にはジェットコースターに乗ることもある。夏は夜遅くまで開いていて、ジェットコースターのゴーッという鈍い音に、きゃーわーきゃー! という楽しげな叫び声が道路まで響く。そろそろ、そんな季節、のはずだった。去年までは。

 いま、後楽園が暗い。1月30日に起きたアトラクションでの死亡事故、その日から後楽園遊園地は閉じたまま。巨大な鉄の輪やレールや塔が暗闇にどんより浮かんだまま、静かだ。それは濃厚な死の空気を漂わせてしまっているようで、そばに寄るのも、敷地内に入るのもためらうほど。いつか再開することもあるのだろう。それでも私はきっと、ジェットコースターでの奇声を、今までのように愉快な気持ちで聞くことはないだろうな、と思う。少なくとも私は今後、あの場所であのジェットコースターに乗らないだろう。

 後楽園の事故と原発事故の「人類」に与える影響は桁違いである。だからこそ、なのだけけれど、 “たった一つ”のアトラクションの事故で、全てのアトラクションを止める、という後楽園遊園地の判断を考えると、なぜ“四つ”もの原子炉がこれだけの危険を及ぼし、数万の人の生活を狂わせているのにもかかわらず、全ての原子炉をとりあえず停止する、という方向にいかないのかということを、ずっと考えている。

 「原発を止めたら電気がなくなる」
 という声もあろう。が、全てを止めたところで、電気供給が足りなくなるわけではないことは、既に多くの人が実証している。実際、2002年に東電が不祥事を起こした時に全ての原発を止めていても、どこも停電などしなかった。

 「火力発電がCO2を排出する」
という声もあろう。地球温暖化の被害の甚大さと、原発による環境被害の甚大さと天秤にかけてもしかたない。が、原子力発電によって日本のCO2排出量が軽減している事実もないのであれば、とりあえず火力発電をベースにして、再生可能エネルギーへのシフトを目指していく、という方向が、今、私たちが直面している危機や不安を軽減することになるのではないだろうか。

 「原発は電力コストが安い」
 という声もあろう。が、その「コスト」の計算は、原発を建設するコストや、事故が起きた時のコストや、点検などで停止した時にかかるコストが入っているわけではないことを知れば、「結果的にはべらぼうに高い」電力であることがわかる。それなのになぜ「安い」「便利」が強調されていたのか。首をいくらかしげても答えが見つからない。

 そんなことを一人ぶつぶつ考えていても仕方がないので、色々な人の意見を聞いたり、日本のニュースだけでなく海外のニュースも積極的に見たり、多くの人と「この事故」について語るのが私の311後の生活。この国の「エネルギー対策」について、熱心に勉強する以外はない。政治家や影響力のある人の発言が、何を優先してどういう社会を築こうとして今それを選択しようとしているのか、を見極めるために。今起きていることを、見極めるために。知識が必要だし、もっともっと知恵を鍛えなければいけないと思ってる。

 そういうことをしている中で、不思議と、東電のオジサンたちへの怒りが薄まってきた。それは放射能が遠くへいけばいくほど薄まるのと似ている感じで、薄まっている。怒りが治まった、というわけではない。怒りの濃度は変わらず、怒りの対象が広がっている、というような感じ。広がりつつも怒りの根源は一つ、という感じ。それは「東電体質」というものの正体を日々、日常生活のあちらこちらで発見しているような不気味さと共に、どんどん明確になっていく感じ。

 例えば「あなたのためを思って」という、ありふれた「善意」が乱用されるような不気味。人々の不安をあおらないために、「放射能って、悪いもんじゃないですよ。レントゲンを数回浴びる程度ですよ」という「気休め」を思いついた人を、悪意にまみれたとんだ悪人と考えるよりは、麻痺している人、と考えた方が説明がつくような、「誰もが同じ罪を犯してしまうかもしれない可能性」を思う。

 例えば東電の会見で「ペーパーいきわたってますか?」と資料が人数分そろっているかどうかを確認するだけ10分も20分も経過する記者会見があった。だいたいどんな「会議」でも見慣れた光景だ。形式を重視するあまりに、本質がいつもだらしなく逸れていく感じ。

 例えば原子力安全委員会の委員長斑目氏は「(原発危険の)可能性をあげたらきりがない。ある程度割り切りが必要」と発言しているけれど、「きりがない」と、思考を停止して諦める曖昧さも、身の回りにたくさんある。もちろん、きりがないからオナニーやめよう、というどうでもいいキリは自分なりにつけるべきだと思う。思うけれど、役所に「ガイガーカウンターを買ってくれ」と頼んだ人に対して、「市民の要求をいちいち聞いていたらキリがない」と実際に言った人がいるのだけど、誰のためにもならない曖昧な目標設定は、案外私たちの周りにあるんじゃないかと感じている。

 些末な例えで言えば。マンションの中の張り紙も腹立たしい。嘘みたいな話だが、私の住んでいるマンションには、「ご近所の誹謗中傷はやめましょう」という張り紙がエレベーターホールに張ってある。管理組合の仕事である。そういう紙がすでに疑心暗鬼になるというものだが、クレームが来たら、張り紙を張っただけで「仕事をした」気分になるらしい人の怠惰。

 例えば空港や駅で。誰もいないのに「ここは上りエスカレーターです」と叫び続けるエスカレーター。そんな案内、視覚障害者が本当に必要としているのだろうか。そんなアナウンスを繰り返し垂れ流すことが「親切」だという感覚は、おそろしく何かが麻痺しているように思う。実際、私がツイッターで「こういうアナウンスはいらない」と言うと、「視覚障害者を忘れないで!」という“親切”な健常者からのリプライが来る。「困っている人を人が助ける必要がない」システムで、心が麻痺しているように思う。

 例えば電車で。「優先席付近で携帯の電源を切れ」という意味不明の規制。「ペースメーカーに影響を与える」と言うが、日本の医療レベルのペースメーカーは携帯電話に反応などしない。医療関係者なら誰でも知っている事実なのに、未だに喧伝され続けている。嘘なのに。嘘を嘘のまま、事実を確認せず検証もせずに、習慣をそのままずるずる続けるだらしない感じ。

 例えば未だに「世界で一番大きい」「世界で一番高い」建築物にこだわる貧しさ。スカイツリーなんて、本当に必要だったんだろうか。「世界一のオレ」を目指すあまり、多くの「小さきもの」の命や思いを踏みにじる感性を、「豊かさ」「繁栄」と思えてきた私たちの戦後。ああ東電。

 ああ・・・だめ・・・キリがない・・・!
 日本は親切で、きちんとしていて、過ごしやすい国だと思っている。でも、同時に息苦しい国でもある。それはきっと、無駄で意味不明で筋が通っていなくて押しつけがましい曖昧な善意が、私たちの自由な行動や感覚を抑圧しきっていることに慣れているからかもしれない。そういう「息苦しさ」と「東電体質のだらしなさ」というのが、なんだか私には次第にぴったりと重なりつつある。おぞましいほど巨悪な体質や悪意の塊がこの事態を引き起こしたのではなく、それぞれがそれぞれの立場で、だらしなさと曖昧さとねじれた善意を発揮し続けた上での今、なのだという方が、私にはしっくりくるから。暮らしの中の「東電体質」を、書き留めていきながら、どうしたらこういう「ああ東電」的から抜け出していけるのかを考えたい。もちろんそれは私の中にもあるもの、と思いながらね。ああ東電。

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北原みのり

北原みのり

ラブピースクラブ代表
1996年、日本で初めてフェミニストが経営する女性向けのプレジャートイショップ「ラブピースクラブ」を始める。2021年シスターフッド出版社アジュマブックス設立。
著書に「はちみつバイブレーション」(河出書房新社1998年)・「男はときどきいればいい」(祥伝社1999年)・「フェミの嫌われ方」(新水社)・「メロスのようには走らない」(KKベストセラーズ)・「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)・「毒婦」(朝日新聞出版)・佐藤優氏との対談「性と国家」(河出書房新社)・香山リカ氏との対談「フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか」(イーストプレス社)など。

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