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「変わらなさについて」

茶屋ひろし2013.01.04

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たまに寝付けないときに、子どもの頃の通学路や校舎のつくりなどを思い出そうとします。小学校、中学校、高校、と順繰りに思い浮かべていきますが、通学路はところどころ道がつながるくらいには出てきても、校舎に関しては断片的な場所しか思い出すことが出来ません。体育館がどこにあって入り口がどんなだったか、ふっと浮かぶ光景は、実際に通った学校のものか、テレビかなにかで見た映像のものか、判断がつかないのです。実家に帰ってきたタイミングで行なわれた選挙で、近所の小学校に投票しに行きました。通ったことはない学校ですが、通っていたような気になるくらい学校のつくりが似ています。それも公立で、築年数が三十年は経っていないと似ないのかもしれません。
地元に帰ってきてまずしたことは、自転車でかつての通学路を辿ってみることでした。学校や幼稚園がまるごと無くなって更地になっていたり、田んぼが減って家が増えたりしていましたが、町並みの多くは変化していませんでした。
ふと目に入った喫茶店の扉には「フリーター募集」の紙が貼ってあります。たしか二十年前にも同じような紙が貼ってありました。アルバイトを探していたときに見た記憶があります。入ったことはありませんが、ここのマスターも年を取ったでしょう、なんて思いながら通り過ぎました。通っていた小学校を見に行き、そのまま中学校まで足を伸ばしました。途中、その頃のクラスメイトの家もいくつか目にしました。小さい頃から自転車を乗り回していたので距離感をわかっているつもりでした。けれどその頃とは違ってタイヤが大きくなってしまったからか、あっというまに町を抜けてしまいました。
国道沿いの橋の上で見渡すと、川と田んぼと住宅街と、遠くに山並みがあります。新宿と違って高層建築がありません。風が勢いよく吹き抜けていきます。
帰ってきたんだわ・・、としみじみしました。
大阪に帰ると決めたときに、どこか、ほっとした気持ちが生まれていました。それが不思議に思えて、ずっと気を張っていたところがあったのか、と考えてしまいました。
二丁目を中心とした生活は、前回にも書いたように、居心地の良いものだったからです。
こちらで働き始めて、昼ごはんを近くの駅ビルに食べに行くようになりました。そこで蕎麦のおつゆの味にまた、ほっとしました。何蕎麦でもない、セットにくっついてくるような簡単なものです。店のおばちゃんやおっちゃんの言葉を聞いているうちに、なんだか近所の家に遊びに来ているような錯覚におちいりました。壁についているテレビでは「いいとも」をやっています。ラジオを流している店もあります。
「おおきに」「まいど」の声が飛び交います。親子丼がどの店も安くて美味しくてうれしい。
そういえばあれほど嫌がっていた、朝の満員電車すら、思っていたより嫌じゃありません。それでもあまりに体が近すぎるのは嫌なので、時間に余裕があれば特急を避けますが、たくさんの人がいる密室を、東京にいたときほど嫌に感じないのは、ほとんどの人が大阪の言葉を話しているせいかもしれない、と思いました。いえ、朝の満員電車の中ではいくら大阪といえどもみんな無口ですが、口を開けば地元の言葉を話すだろう、という意味です。
ひさしぶりに帰ってきて、もの珍しさが勝っているのかもしれません。朝からの通勤に慣れなくて、周りに勝手な共感を委ねているのかもしれません。ずっと大阪にいたら、人が多くて嫌だわ、しか思わないかもしれません。東京の駅は白くて反射して明るいところが多く、大阪の駅は壁がはがれていたりタイルが黒ずんでいたりするところが多くて、そういうところが、ある日、たまらなく嫌になるかもしれません。
それでも、ほっとしているのでした。
原発事故が起きたとき、大阪に帰ろうと思えば帰れた私でしたが、気になったのは、一緒に働いていた人たちのことでした。東京出身の人たちはひとまずおいといて、茨城出身の人たちのことを考えてしまいました。
一人の実家は地震で半壊になったそうです。電気や水道が止まって、なかなか復旧しませんでした。しばらくトイレも流れないので外でする人が多くなって、近所の道がアンモニアくさかったそうです。その上での原発事故です。行く当てもないのでご両親はそのまま住み続けていると言っていました。
「避難すれば、って言う人がいるけど、どこへ行くの?」
と、彼自身、怒りもにじんでいるような実感の湧かない様子に、返す言葉もありませんでした。
そのうち、放射線量が高くても、地元に残りたい、家に帰りたい、と言う福島第一原発が地元の人たちのことを思うようになりました。
その気持ちはとてもよくわかるような気がしました。
しがらみとかつつぬけとか、田舎だから何もないとか、家父長制とか、そういうネガティブなイメージしか、地方に対して持っていなかった自分を省みました。でも実際そうであったとしても、その場所があってこそ、でした。なくなってしまえば、出ることも出来ない。
「地元に帰るって言うけど、大阪でしょ。都会じゃん。私が熊本に帰るっていうのとはわけが違う」
と口をとがらせた友人もいました。
「まあ、大阪も東京から見たら地方ですけどね」と言った友人もいました。
都会の居心地のよさと、地元のそれは別腹のようなものかもしれません。たぶんデザートが都会で、地方はたとえば蕎麦の出汁です。「ケンミンショー」が食べ物に特化しているわけがわかりました。
二丁目でいつも行っていたゲイバーのマスターたちは、みんな東京出身の人たちで、それで両方の居心地の良さがあったのかもしれない、とも思いました。

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茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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