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「翻弄されるAKB」を楽しむ男子のように、「翻弄されるSexy Zone」 を女子は楽しめるか?

高山真2014.07.21

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 人生のある時期に、「アイドル」という存在は必要であると、あたくしは自分の実感から確信しています。何度も話題に出すけれど、あたくしの場合は80年代の松田聖子とか、ジャンヌ・モローがアイドルでした。

 アイドルは、単に「テレビ番組で歌ったりスクリーンで演技したりしている、可愛い顔した子(性別問わず)」のことではない。ものすごくザックリ言ってしまうと、「世の中のことや、世界のことをまだ何も知らなかった時期に、『この世界でキラキラと生きていく』ことを、体を張って見せてくれる人」、それがアイドルという存在です。

 あたくしの場合、松本隆が書く松田聖子の歌に薫陶を受けまくりでした(この連載の6月2日アップ分参照)。ゲイだってこととも関係があると思うけれど、「世界の誰とも、恋愛はおろか、心を通わせることもできないかもしれない」というおびえを抱えていた10歳~17歳くらいのあたくしに、「恋愛って、ここまで可愛さと強気さを両立しちゃっていいんだ」と思わせてくれたのが松田聖子の歌だった。そして、「底なしの業を引き受ける、その意志が、顔立ちや立居振る舞いに美醜を超えた味を与えてくれる」と教えてくれたのがジャンヌ・モローだったのです。

「私は、私たちは(ボクは、ボクたちは)、なんでもできる」とその存在で語るアイドル(あたくしにとっての松田聖子やジャンヌ・モロー)、あるいは「私には、私たちには(ボクには、ボクたちには)、できることは限られている。でも、だからと言って、自分たちの上にいる、力の大きなヤツらに迎合も服従もしたくない」とその存在で語るアイドル(昔ならジェイムズ・ディーンとか、パンク、ロック系のアーティストなどはこちらの枠。最近なら1990年代の安室奈美恵とか2002年ごろまでの浜崎あゆみの歌の世界観もこっちだと思う。同性のカリスマになるのは、たいていこちらのタイプね。尾崎豊とか)が、10代の子たちにどれだけの勇気やなぐさめを与えてくれるか。

 あたくしの場合、「恋愛対象になる性別の誰か」が自分のアイドルにはならなかったクチだけど、だからと言って「疑似恋愛の対象としてのアイドル」の存在を否定するつもりはまったくないわ。「大人の世界」や「異性との恋愛」に潜在的な恐怖感を感じているオンナの子たちに「こっちの世界も楽しいんだよ」と教えてくれるのが、同世代から少し年上のオトコの子アイドルであったとしても、なんの不思議もないから。だから、もはや子どもみたいな年齢のHey!Say!JUMPとかKis-My-Ft2とかSexyZoneとかに自分自身が惹かれることはないけれど、彼らに惹かれるオンナの子たちの気持ちは、よくわかるのよ。余談だけど、ジャニーズのグループが「キス」とか「セクシー」みたいな、かなり直接的な単語をグループ名にするのってスゴいわね。昔はせいぜい、「光源氏」とか「渋柿」みたいな暗喩だったんだけど。

 と、長々とアイドル論をカマしてきましたが、数日前、こんなニュースが流れました。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2014071602000193.html

 まあ要するに、「SexyZoneの固定メンバーが5人から3人に減り、残りの枠は流動的になる」という感じかしら。このニュースでは「AKB方式」と表現されているけれど。

 あたくしが、今回のコラムで、今の今まで「AKB」の名前を出さなかったのには、理由があります。別に「歌がヘタ」だとか「可愛い子と思える子がいない」とか、そんなことはこの際どうでもいいの。「AKB(と、派生するグループ)」は、あたくしの考える「アイドル」とは真逆であることが最大の理由なのです。「大きなものが決めたことに迎合し、従わなければ、そのグループで活動を続けていくことさえ難しい。それが大前提になっているオンナの子たち」を見るのは、どうもね、つらすぎるのよ。「年端もいかないオンナの子が、お金も力もある大人に翻弄される」様子を、「物語」とか「試練」として気持ちよく消費することが、心情的にできないわけ。それはあたくしにとって、「運営側・制作側が隠そうともしない残酷さ、酷薄さに乗っかる」みたいな部分があるの。

 ノンケ男子のファンたちが、AKBにまつわるそういった「物語」に、やすやすと乗っかっているのも、まあわかる。たいていのノンケ男子にとって、「強気に我が道を突進していくオンナの子」より「翻弄されまくる可愛い子」のほうが御しやすい存在なんだろうし(90年代の安室奈美恵や、「本性」があらわになってきた松田聖子を支えていたのは、ほとんどがオンナたちだったはず)。また、「AKBのオンナの子たち」と「運営側」だったら、男子が自分を同一視させるのは運営側のほうだろうから。「若いオンナの子たちを手駒にして、翻弄し、それで大金を稼ぐ……。そんな道は不可能じゃない」と思う小僧たちもいるかもしれないわ。

 じゃあ、女子たちは、「翻弄されるオトコの子アイドル」を、運営側の視点で楽しめるか。これ、無理でしょう。日本には、「オンナの子だって、産業とか文化(消費ではなく創造としての文化ね)の中枢で、世界を動かせる」というモデルがあまりにも少ない。そういう「物語」に接してきていない。そんなオンナの子ちゃんたちは、「アイドルと一緒に翻弄されてしまう」ことしかできないわ。これは本当に不幸なことよ。

 最初に言ったとおり、あたくしにとっても、ある時期、アイドルは必需品でした。かつてのあたくしがそうだったように、「その人が光を放っている様子を見ると、ほんの一瞬でも、生きていくことが怖くなくなる」というくらいの切実さで、「自分だけのアイドル」を信じているオンナの子たちが、いまでも日本にはたくさんいると、あたくしは確信している。SexyZoneのためと言うよりはそうしたオンナの子たちのために、あたくしは胸を痛めるわ。
「そんなにもてあそんでくれるなよ」と。

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