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真似したくない大人<後編>

田房永子2013.05.02

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 先生たちは、パーマ頭に反省文を書かせたり、ピアスの穴を塞げとか、指定以外のセーターを着るなとか、そういうことで私たちの何かを「抑制」してはいた。保健体育の時間には、暗~~~い高校生カップルが暗~~い産婦人科で堕胎をし、学校を辞めて暗~~~い人生を歩む、という暗すぎるビデオを見せて、心理的にセックスを禁止してもいた。
 だけど毎朝毎朝クラスの誰かが「またおかしな男に気味の悪いことをされた」と話しているのに、その「一方的な被害」に関しての「指導」は一切なかった。「ペンキで退治しちゃお☆」みたいな話だけだ。厳しくて恐い先生は何人もいたけど、「パブリックな場所で、見知らぬ男から“発情”をおしつけられた時の対処法、心得」というものは一切誰も、教えてくれなかった。先生だけじゃない、大人たちみんな。
 私は、合気道をやってみて、女子校に通っていたのに、こういった授業がなかったことに腹が立って仕方なかった。武道とか、それに代わるものをかじったこともない状態で、「気をつけろ」とだけ言われ、見知らぬ男がウヨウヨしている街中に男達が大好きな制服姿で放り出されていた。「どうして自分たちが、“狙われやすい性”であり、年齢なのか」という学問的なことすらも、教えてくれなかった。「『むかつく』けど『仕方ない』」がセットになったものとして、学校の中で「痴漢」は、「生理」と同じ扱いだった。先生たちが、生徒が痴漢に遭うことを「受け入れさせていた」と言ってもいいんじゃないだろうか。
 大人が積極的に「仕方ない」という態度を示して、直接的に被害に遭うのは子どもだ。子どもは、「これは仕方ないんだ」と思考停止したまま、被害を受ける年齢を過ぎ、忘れていく。そしてまた「私も昔、遭っていたの」と誰でも通る道、みたいな顔して語りつぐ。
 私はなぜ遭うのか、痴漢をするというのはどういう状態の人間なのか、遭った時の自分の気持ちについて、「しかたがない」「大したことじゃない」と流さずに、大人と一緒にちゃんと考えたりしたかった。「体に触られたりしますから気をつけましょう」とだけ言われ、受け入れるしかない状態に、子どもたちを置いておくのはおかしい。私はどうしても、子どもに対して「痴漢に遭うことは仕方がないことだ」とは教えたくない。
 「振り込め詐欺」の加害者は、世の中の「敵」だ。被害に遭わないように、警察も銀行も郵便局もテレビもラジオも老若男女が「おじいちゃんおばあちゃん、悪い奴にだまされないで!」と一致団結し、ポスターやパンフレットやCMを作って、みんなが“悪者”に対して怒りを向けている。「退治」や「撲滅」ができない代わりに、全力で「被害」を予防している。だけど痴漢の場合は、「被害者の問題」みたいなことになる。「露出した服でも着てたんだろ」的なことを言う人もいるし、「大したことじゃない」という空気が女性の間にあったりもする。「大したことじゃない」と思い込まされてるだけじゃないのだろうか? 「ギャーギャーとヒステリックに怒るなんてみっともない」という空気に飲まれてるだけじゃないだろうか? 「やめてほしい」「こわい」という気持ちをなんとなく心の中に封印するのが正しいような雰囲気を、先だって作っているのは大人なんじゃないだろうか? 子どもが恐い目に遭って、困ったような苦笑いをして「誰でもあることだからねえ、忘れなさい」と言うなんて、「隠蔽」なんじゃないだろうか? 「普通に電車に乗って学校へ通う」「帰り道を歩く」ということを脅かされるなんていう、お金を盗まれると同じくらい、理不尽でおかしすぎることを、ちゃんと「おかしい」と言うことすらできないなんて、やっぱりどう考えてもおかしいと思う。
 「女は体を触られて気持ちよくなる」という、確かにある事実も、痴漢問題にとっては邪魔だ。それとこれとは全く関係がないのに、どうしてもそれを「世の中全体」が理解しきっていない。「振り込め詐欺」に例えると、そういう報道を見た時、「これだけ騒いでるのに未だに騙されるジジババってアホなんじゃないのか?」と、ふと思ってしまうこともあるだろう。だけどそれを公の場で言うのはタブーだし、そもそも誰も言わないし、何がどうしようが「加害者が圧倒的に悪い」という価値観は揺るがない。
 しかし痴漢問題の場合は、「短いスカートでも履いてたんだろ?」という「被害者も悪いんじゃないのか」という価値観で、それ自体が包み込まれている。子どもが痴漢に遭う時に、その空気を毅然と消し去るのは大人にしかできない。なのに、ぜんぜんそういう空気になってない。そこで「怒る」のは、「ヒステリックな一部の女」として片付けられる。「怒る」ということすら揉み消されている。私はちゃんと、怒りたい。
 ずっとそう思ってたけど、「もしかして自分の考えが偏っているのか?」と少し思う時もあった。しかしアメリカのドラマ「glee」のあるシーンを見て考えを改めた。
 「glee」の主人公である女子高生たちが、目のところにアザを作ってきた女の先生のことを見て「夫からDV受けてるんじゃないの?」と冗談を言って笑う。それを耳にした別の女の先生が「私の親戚はDVでひどい目に遭ったんだ。だから私はそういう冗談を絶対に許さない」と言って、生徒達を厳しく叱り、反省させた。そして女の先生たちと女子生徒で集まり、「男からDVを受けることを冗談として流したり許したりは絶対にしない」と誓い合う、というシーンだった。私の学生時代、こういった風景がなかったのはなぜだろう? 不思議でならない。
 やっぱり大人がそういう「許さない」という空気を作ることがすごく重要だと思う。痴漢に関する話題になると「お前みたいな(オバサン、ブス)なんか触らねえよ」というギャグが必ず出てくる。そういうオバサン、ブスという対象になって笑われるのがイヤで黙ってしまう、という気持ちは私にもあった。でもこういったギャグこそ、「言ったほうが恥をかく」という空気に、大人がしていくべきだと思う。
 私は「glee」を見て、自分の経験から思った絶対に許せないことを、許さなくていいんだと思った。そして自分の思う「考え」を、馬鹿にされたとしても、次の世代に言おうと決めた。
 それにはまず、合気道を続けたいと思うのだが、道場に3人いる先生のうち、私に技を教えてくれる先生だけ胴着がピンク色だな、と思っていたら、それは胴着にまんべんなく生えたカビだと気づき、そこの道場はやめてしまった。現在、道場を探しているところだ。 

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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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