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おっぱいに関わる変なこと

田房永子2014.05.19

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 拙著「ママだって、人間」のイベントの時、来てくれたお客さんの女性が話しかけてくれた。
 「2人の子どもが年子で、4年間母乳をあげていたんですけど、終わってみるとおっぱいの形がすごく変わってしまってて。母乳をあげられたことはうれしいけど、前の小さいおっぱいとは違う小さいおっぱいになっちゃって、悲しいんですよね」
と笑顔で話してくれた。私も5ヶ月間ほどしか母乳をあげてなかったけど、上部の張りがなくなって、明らかに下に下がった。こういう話は笑って話していても心のどこかがぎゅんとする。
 母乳をあげ続けると、おっぱいの形は変わってしまう。もともと大きい人はカレーのナンのようになることもある、と聞いたことがある。
 ネットで「授乳 垂れた」で検索すると、その悩みが悲しみとともに無数に出てくる。「裸になると無残です」「温泉に行けません」「夫に『おばあちゃんのおっぱいみたいだ』と言われます」「垂れた胸を戻す手術は豊胸手術よりもお金がかかると言われました」
 一度垂れたおっぱいは元に戻らないと言われているが、ネット上で唯一戻ると言われているのが高額矯正下着の着用だ。その額、数十万円。「粉ミルクよりも経済的なのが母乳のメリットのひとつ♪」とか言われている産後育児の世界とのギャップがひどい。

 体の形が変わるのは、ショッキングなことだ。テレビでも雑誌でも、「女の人は顔にシミ一つ出来るだけで大変に傷つく生き物です」という前提の情報があふれている。
 だけどそれが出産・育児の現場になると、とたんに「赤ちゃんに母乳をあげられるなら胸なんて垂れて当たり前」な雰囲気がすごい。
 保健所や病院や育児雑誌から噴き出す「とにもかくにも母乳をあげることをしてあげて!!!」という勢いがすごすぎて「あの・・・、おっぱいの形が変わっちゃうって聞いたんですけど」という疑問は頭に浮かぶ隙すらない。「自分の体の形が変わる」という重大な問題にも関わらず、“それについては深く考える必要はありません。仕方がないことだからです。赤ちゃんの健康が第一なんだから、当然ですね”という空気の中、「母乳を出すことをがんばる(出ない場合は罪悪感を感じる)」を無条件で受け入れる以外の道はない。粉ミルクというものがなくて、母乳を飲まなければ赤ちゃんが死ぬ、という状況であれば分かるが、そうじゃないのに、母乳を出すデメリットとして「胸が垂れる可能性が高い」ということが語られなさすぎだと思う。

 タレントの神田うのは出産直後、テレビに出る度に「完全母乳でがんばってます」と言っていた。それに対し男性タレントが「意外だな~。うのちゃんは絶対そんなこと言わないと思った」と言ったのが印象的だった。
 私が中高生の頃、バブル期を終えた女性たちが出産を迎えていたのだろうか、「体の形が崩れるから子ども産みたくない」とか「おっぱいが垂れるのやだからミルクで育てる」とか、そういう発言をテレビやドラマでよく耳にした。それらは新世代の“母親になっても女を忘れないタカビーな女たち”のとんでもない発想、みたいな感じで扱われていた。
 しかし2010年代の今は、ギャグとしてもそういった発言は一切聞くことができない。実際のママたちの中にも、「体型崩れるから云々」という雰囲気を感じることすらない。人々に“タカビー女”を想起させる神田うのですら、「完全母乳」を誇らしげに語る。今は、昔に比べてそういう時代なのだと思う。
 しかし“タカビー女”の発想こそ、本当は大切にしなければいけないものなのではないかと思う。
 冒頭の女性はこう続けた。
 「母乳をあげている間は何も思わなかった。断乳してから、自分の胸の形の変化に気付いて絶望してしまってます」
 母乳をあげているリアルタイムの胸は母乳で張っているし、母乳をあげることが第一の目的だから、それに伴う変化をなんとなしに受け入れられる。だけど、母乳が目的ではなくなると、自分の感覚も変わる。その時、初めてその変化を捉えなければならない日がくる。「おっぱい」は、母乳をあげるためだけについてるものじゃないからだ。
 赤ちゃんが飲むものとしては、粉ミルクよりも母乳がいいんだろう。保健所やいろいろなところでさんざん言われたからそれは分かったけど、それを実行する際に生じる「体の変化」については、何も考えなくて、伝えなくて、いいんだろうか。
 母乳やミルクの話をする時に、「母乳をあげ続けると胸が垂れたり、形の変化があります。それを踏まえて、完全母乳にするか、ミルクと混合で育てるか、ミルクだけで育てるか、を選択しましょう」と行政や病院が言ってもいいと思う。言って欲しいし、言うべきだと思う。実際、私たちはそれらを「選べる」はずだ。
 赤ちゃんへの授乳が終わった女は「性」や「美容」が存在しないまったく別の異次元空間へ引っ越すわけではない。今後もいろんな用途で使用したり、アイデンティティにも直結しているおっぱいという部位。母乳をあげることでおっぱいが垂れる、という現象は「自己犠牲」を象徴している。右も左も分からない妊娠期に「自己犠牲が当然だ」という空気にまみれて、自分はどのくらいの犠牲を払えるか、選ぶどころか考えることすらできなかった。
 想像して考えて覚悟を決めて「選択」して母乳をあげておっぱいが垂れるのと、何も知らされずにおっぱいが垂れてそのあと「は? 何そんなこと気にしてんの? 母乳で育てられたことを喜びなさいよ」みたいな空気の中で、自分が自分の胸の形の変化に傷ついていることすら気付かせてもらえないような心理で子育てするのと、そこにも「母乳とミルク」の違いくらいの、大きな「赤ちゃん(子ども)への影響」が確実にあると私は思う。
 「おっぱいの形の変化」の問題は、重大なことのはずだ。乳がんになっておっぱいの手術をする人たちの苦悩を、テレビでしょっちゅうやっている。「女にとってのおっぱい」は大切なものだって認識されているはずなのに、妊娠中や産後に行政や保健所、病院、雑誌から浴びせられる「母乳をあげるのは赤ちゃんのためなんだから当たり前でしょう!!」という空気の濃厚さは、凶暴と言っていいほどだ。

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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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