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子供の将来が勝手に浮かぶ問題

田房永子2014.08.04

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 小学生のころから、母は私に、ことあるごとに「服を自分でリメイクしてみなさいよ」的なことを言った。既存の靴やバッグに自分でビーズやリボンをつけて可愛くしている子がいるとずーっとその子の話をしてきたり、褒めたりした。私は手芸など一切興味ないし得意でもないし好きでもないので、興奮気味に話されてもただボンヤリするしかなかった。その割に母は、裁縫の楽しさを教えてくるわけでもなく、「裁縫の道へ進め」とハッキリと宣告するわけでもない。「あくまで自発的に私が裁縫をすることを待っている」「裁縫が得意じゃない私を母は残念がっている」ということばかりが伝わってきて、意味が分からなかった。母は私に「デザイナーのようなもの」になってほしがってたんだ、と気づいたのは、最近だ。

 

 微塵も脈略がないところに希望を持ったり惜しがったりするのは、滑稽なことである、と私は母の言動に対し、未だに冷ややかな気持ちになる。
それは自分の母だけにとどまらず、子供が0歳の頃から「この子には○○(特定のスポーツ)のアスリートになるように仕向ける」とか「芸能界入りさせる」とか「東大に入れる」とか、冗談半分で言っている人に対しても「オエー(嘔吐)」な気持ちを強く持っている。
 


 そんな私が、娘のNちゃんが2歳になった頃から、「30歳くらいのNちゃん」の妄想が頭に出てくるようになってきてしまった。

 

 私の中で30歳のNちゃんは「脚本家」になっていた。なんで「脚本家」なのか自分でもサッパリ分からないが、とにかく妄想の中の63歳の私は、Nちゃんが作った深夜ドラマを見ている。そして電話をかけて感想を話したりしている。楽しそうな63歳の私。イメージは断片的にコロコロ変わり、「ドラマの脚本家っていいと思うよ?」と高校生のNちゃんに言っている50歳の私。脚本家のスターダムを駆け上がるスタートラインを“見事”にアシストしている。とうとうNちゃんはNHK朝ドラの脚本を手がけ、その主題歌が紅白で流れる。それを見ている73歳の私。
 めくるめく妄想が勝手に浮かんで、止まらない。止まらないどころか、私のどんな言葉でNちゃんが“突き動かされ”るのか、詳細なディティールまで、バンバン出てくる。
うっとりとその妄想に浸ってしまいそうになる。そのときの私の気持ちは「本当にそうなったら、楽しいなあ」どころか、「そうなるに違いない」くらいの勢いでイメージが浮かんでいるので、そこに身を任せると心地よすぎて出られなくなりそうだった。
 現実では、2歳のNちゃんが一人でおしゃべりしながら人形を動かす遊びを始めた。それを見たとき、「脚本家の土台に役立つなあ」と頭が自然に思った。
 もう、完全にヤバイ。何が「脚本家の土台」だよ。脚本家がどんな仕事か知りもしないのに何を思ってるんだ私は! 気持ち悪い! ただ人形遊びしてるだけなのに、自分の「して欲しい仕事」に近づいているだなんて、あたし頭がどうかしてる!

 

 その頃、山田太一の1981年のドラマ「想い出づくり。」をTBSのオンデマンドで観た。
 今まで山田太一のドラマが好きだと自覚はあったけど、「想い出づくり。」はあまりにも凄すぎた。主人公たちに自分の母親の世代を見、そして自分の世代も根本な何も変わっていない「女」というものの社会の扱いについてが描かれていて、こんなドラマがあったのか……と、全身がけいれんしそうなほど感動した。

 

 山田太一なんて全く雲の上の人であり、現実に存在してない偉人のようにしか思ってなかった。だけど、こんなすごい、自分の脳天に斧を振り落とすようなショックを与える山田太一も今、私と同じようにこの大地に生きてるんだ! とゾクゾクと身震いがして、生の山田太一を見たい! と思った。
 講演会をネットで探したが、シナリオ教室での講義しか出てこなかった。諦めようとしたが、そこで「Nちゃんが脚本家になる妄想」とシナリオ教室がつながった。
 私……もしかして、自分が脚本家になりたいんじゃないのか?  



 そう思い始めたら、どんどんそんな気がしてきて、次の日には、山田太一の講義がある夏期講座に受講料3万円を振り込んだ。迷いはなかったが、シナリオ教室に申し込んだなんて、絶対に人に知られたくないと強く強く思った。強く思いすぎて、自分で資料請求したくせに自宅にシナリオ教室のパンフレットが届いた時、声を上げそうになった。夫にバレる前に、言っておこうと思った。「Nちゃんについてすごく妄想をしてしまうので、自分が行ってみることにした」と、「別に本当に脚本家になりたいと思ってるわけじゃない」という点をやたら強調して夫に伝えた。夫は「ああ、うん」とか「ハイハイ」とか、言った。私は夫がひどく驚くだろうと思っていたので、知ってたよくらいの返され方をして、なんていうか、「『実は私は脚本家にあこがれている』ということを私以外の人はみんな知っている」みたいな感じがして、恥ずかしくなった。



 3万円の夏期講習が夏まで待てず、別の教室の2万円の短期集中講座にも行ってみることにした。無料のガイダンスを受けてみると、他の人の脚本も読んだりできて、なかなか面白かった。
 その2時間程度のガイダンスがきっかけだったのか、いつの間にか「Nちゃんが脚本家になっている妄想」は消滅していた。ぜんぜん浮かんで来なくなったのである。

 

 きっと私の中で「脚本家」という職業の、いいイメージしか見えてなかったんだと思う。クリエイティブで、華やかで、だけど裏方仕事で、かっこよくて、一番素敵なのは、自分が作った物語で俳優達が動く映像を見れるってところ。
 だけどそこへ行き着くまでに具体的にどういう作業をする職業なのかというのを簡単にだが知ったら、一気に身近なものになった。そのことで私は「自分の本当の夢」に気がついた。

 

 それは、「漫画家である自分の漫画作品が映像化されて欲しい」という夢。以前から強く思っていたけど「ドラマ化・映画化」は自分でどうにも努力しようがないので、思えば思うほど「あきらめる」という作業をしなくちゃならず、考えることをやめていた。

 

 私の中の純粋な願望はただ、「自分がつくったものを誰かに映像作品にしてほしい、それが見てみたい」というもので、それがいつの間にか「Nちゃんが脚本家」という妄想にすり替わっていたんだと思う。妄想の中のNちゃんの職業は、カメラマンとか照明とかそういうドラマのスタッフじゃなくて、脚本家じゃないと私としては“意味”がなかった。私の夢は、「ドラマ作りに参加したい」ではなく「自分がつくったものが映像化されて欲しい」だからである。

 そして以前の私の妄想の中で、Nちゃんは脚本家であるにも関わらず、Nちゃん自身が一体どんな人で、どんなドラマを作りたい人で、というイメージは一切出てこなかったことにも気づいた。Nちゃんはとにかく私の“アドバイス”によって脚本家になり、私の“アドバイス”に共感して作品をつくっていた。つまり私の妄想の中のNちゃんは、私自身であり、私の年齢やバイタリティや体力や気力をカバーして、私の願望を現実化するためだけのコマだった。

 

 自分が、おぞましい! 

 

 もし、現実でNちゃんが、私の“アドバイス”通りに「脚本家」になったとして、いくらNちゃんのつくったドラマを見たとしても、朝ドラになろうが紅白に出ようか、私は絶対に本当の意味では満たされないはずだ。私は自分がつくったものが映像化されているのが見たいだけだから。Nちゃんのつくったものは、私がつくったものではないから。脚本家になってもならなくてもどれだけ“母のため”にがんばっても母に満足してもらえないNちゃんの心情を妄想の中で想像して、かわいそうになった。母も娘も、自分の人生を自分のために生きなきゃつらすぎる。
というわけで私の今年上半期の「脚本家騒動」は、終わった。「私は脚本家になりたいわけじゃない」という自分に関する重要な情報を得た。これからまた、Nちゃんの将来に対して妙な妄想が出てきた時は、そこには自分の夢や願望に関することが隠れている場合があると考えることにした。

 

 私の母の「本当の夢」は一体、なんだったんだろう? 

 

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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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