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ちんちんソーセージとク×ク×ま×じゅう

田房永子2015.06.15

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日曜日、広い公園はファミリーでごった返していた。自分の子ども(Nちゃん・3歳)はブランコが大好きなので押してあげていると、隣のブランコに小学校低学年の男の子とお父さんが来た。お父さんは、紺色のシャツに膝丈のバミューダパンツ、皮のサンダルというセレブ風ないでたち。目は真ん丸で肌が日に焼けていて、声が大きくて、子どもとふざけあって楽しそう。日ごろから遊んでいて信頼関係バッチリという感じが漂っていて、気持ちがよかった。そのお父さんが、ブランコに乗った男の子の背中を押しながら「こわいか? ガハハハ」と笑う。そしてこう言った。
「ちんちんブリブリ!」
すると男の子も応える。
「ちんちんブリブリ! キャハハハ!」
ブランコに乗っているNちゃんがパッと反応しその親子を見た。
親子は普段から、そのギャグを言っているのだろう。楽しそうに続けている。
「ちんちんブリブリ! ブリブリちんちん!」
Nちゃんはブランコの鎖を握ったまま、首だけ私のほうを振り向いて「うへへ~ ちんちんブリブリ~~~」と言う。私は固まったまま、Nちゃんの背中を押していた。
お父さんは、私の気まずさを察したのか言うのをやめた。しかししばらくすると「ちんちんソーセージ!」「にんにくソーセージ!」「ソーセージ!」「にんにくソーセージ!」と連呼し始めた。楽しそうに笑いあう親子。にんにくソーセージとは、子どもの男性器から連想された言葉だろうか? などどうでもいいことが私の頭をよぎる。お父さんが、そのクリスペプラーみたいな覇気のあるダンディーボイスで「にんにくソーセージ!」と言ってるのが、くだらなすぎて可笑しくて、つられて吹きだしそうになった。
だけど私の体が、それを拒否している。絶対に笑ってはいけない。私の意識と体はかたくなだった。次にNちゃんが「ちんちんブリブリ~」と私に言ってきた時、困ってしまい「はい、もういいから。分かったから」と冷酷な返答をし、Nちゃんが黙るよう促した。
ブランコをあとにした時、言い知れぬ悲しみのようなものが胸に去来した。
うらやましい。私はうらやましかった。あんなふうに、くだらない下ネタを公園で大声で叫ぶことができる、父と息子が。男だからってそんな遊びをみんなするとは限らない。男でも女でも、多くの人は私のように隣にいたら、「笑ってはいけない」と身を縮ませるだろう。
だけど、どうでしょうか。やっぱり男は、「それができる性」なんじゃないでしょうか。もし私が同じことをしたらどうなるでしょうか。ブランコに乗る子どもの背中を押しながら「まんまんブリブリ! ブリブリまんまん! クリクリまんじゅう! 栗まんじゅう! あわびまんじゅう! ギャハハ! 」とか言ってたら、どうでしょうか。シャレにならない感じがある。周りの大人たちも、反応しないように聞こえないふりをするんじゃなくて、逆に意味が分からなくて、下ネタだとは思わないかも。それか、動画に撮られてyoutubeにアップされるかも。
「にんにくソーセージ」親子は、父息子のなかでも珍しいタイプだとは思う。男だからってみんながみんな、男性器を彷彿とさせる言葉を叫びながらブランコにのる経験をするわけじゃないはずだ。だけど、それができる性に属している、ということ、それができない性に属してることは、大きな違いだと思った(女だって個人的にやろうと思えばできるとかそういう話ではない、ということを念のため書いておきます)
私も、日曜のさわやかなファミリー連れが集まる公園のブランコで性器の名前を連呼してみたい、家で娘と自分たちの性器のことを面白がったり、それを言うだけで単純にこみあがってくる可笑しさを共有したい、そう思ってしまったのだった。
公園でのママとパパのできないことの差、は他にもある。以前のコラムでも書いたが、パパは寝ている人が結構いる。缶ビール片手に子どもと遊んでいる人もいる。これは、「缶ビール片手に子どもと遊んでいるママ」をほとんど見ないので、逆に目に入るという感じかもしれない。ママも飲んでる人もいると思うが、やっぱり「堂々と」という点で見ると、パパたちのほうが屈託なく飲んでいるように見える。
そして、最近気づいたのだが、パパたちは一人ひとりの個性が豊かである。明らかにつまんなそうに寝ているパパ、ハツラツとしてすべり台を立ったまますべって見せるパパ、携帯をずーっと見てるパパ、子どもにビターッと張り付いているパパ、子どもが鉄棒している横で一人、シャドーボクシングの練習をしているパパもいる。
それに比べてママたちは、同じ感じである。動きや表情があまり目立たないというか、元気がないわけじゃないが、シャドーボクシングしてるパパがいるなら、急にフラダンスのステップの練習を一人で始めるママがいてもおかしくないのに、いない。携帯を見てるママがいないわけじゃないが、じーーーっと見続けている感じもない。私はやっぱりどうしても、女たちは、というか母親たちは、周りの視線や圧を無意識で常に感じていて、だから行動も自然と制限されてしまうのではないかと思う。
公園のなかでブランコは人気があるので、子どもたちが順番で並んで待っていることが多い。自分の子はブランコを永久に漕いでいたい、くらいに楽しそうなのだが、目の前で待たれると結構気まずい。別に何分乗ったら交代とか決まりもないので、親たちの気遣い次第みたいな感じになっていて、どの親も、自分の子と待ってる子の板挟みになり、「もうそろそろ、降りようか」とオロオロした感じで声をかけたり、「もう降りよう!待ってる子いるから!」と怒る親もいる。私もそうだし、周りのパパもママもそんな感じである。
しかし、その中でおじいさんは異彩を放つ。おじいさんは全く動じないのである。気持ちいいくらいに、堂々とそこにいる。「うちの子がブランコ先に乗ったんだから当然の権利である」とかそういうアピールをしてる感じもなく、ただ、ブランコに乗っている孫が満足するまで待っている。そういう教育方針ですみたいな感じもなく、ただ単に周りを全く気にせず、待っているという風情である。待ってる子がいてもなんのその、自分はゴルフの素振り練習とかし始めたりする。
私は本当は、そんな感じでいいと思っているのである。たかがブランコ、順番が回ってこなくたって、また来週来ればいいし、そんな5時間も6時間も占領する子がいるわけでもないし(いたら面白い)、たかだか5分やそこら、次の子に気を遣わなくてもいいんじゃないかと思う。親たちは堂々と、自分の子どもが満足するまでのせてりゃいいと思う。そして次の子も満足するまで乗ればいいと思う。乗れなかった子は、時間をずらして来ればいいと思う。
本当は、そう思ってる。だけど、そうもいかない。じいさんたちみたいに堂々とはできないのである。
そして、最後に書きたいのは、おばあさんたちである。孫をつれてきているおばあさんはそんなに数が多くないように思うのだが、孫と公園でゆったりとした時間を過ごすおじいさんに比べて、なぜかおばあさんたちはカリカリしている。なんかグチグチと孫に言っている人しか見たことがない(そういう人だから目立つのかな?)
ブランコの順番を待っているときから、「仕方ない! 順番だから! まだ乗れない! そういうものだから!」とか4歳くらいの孫にずっと言ってたりして、こっちが辟易してしまう。順番を間違えたりしたら、「あんたが間違えたんだよ」と泣いてる子に追い打ちをかけるように責めたりしている(本人は慰めているつもりだと思うが、さらに子どもは泣く、そこでまた「いつまでも泣いててもしかたない!」とおいつめる)。
この、公園でのおじいさんとおばあさんの差、と、ちんちんブリブリをはじめとするママパパの差、そして「女・母・ママ」に属している私自身が、これだけ公園に来ている保護者のことを覚えている、それらのことはリンクしているとしか思えないのである。

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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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