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有吉弘行とマツコ、そしてほかの毒舌タレント。その違いは「酔えない」こと

高山真2014.11.18

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 毒舌。あたくしもかつて、面と向かって自分の本を「毒舌」と評されて、なんと返していいかわからずに曖昧に笑うしかできなかった経験がありますが、テレビの世界に目を向けると、「毒舌」はまだまだ需要の高い「素材」のようね。

 

 ここ7~8年の「毒舌」ブームの筆頭格といえば、どうも有吉弘行とマツコということになっているらしいのですが、あたくしは(マツコと古い友人であることを差っ引いても)、この2人を、その後に出てきた毒舌キャラ(坂上忍とか、小藪千豊とか、オンナタレントなら、中村アンとかになるかしら)たちと同じ箱には入れられないのです。有吉とマツコは、あたくしの目から見ても「毒舌」というステージにはすでに立っていないと思うので、これから書くことは「かつての有吉・マツコと、現在の毒舌タレントの違い」ということになるかしら。

 

 あたくしは以前、このコラムで、『有吉反省会』(日本テレビ系)における有吉の「オカマキャラの扱い方」の見事さに舌を巻いたことを書きました。パリコレモデルのアイヴァンがこの番組で初めてカミングアウトをしたのですが、それを受けて有吉は「今まで大変だったねえ」と言いつつ、シモの話を繰り広げるアイヴァンに対して、「オカマは下品なのばかり」とは言わず、その場に居合わせたJOYやアレクサンダーといったノンケのチャラ系モデルと同じ箱に入れてから「モデルってのは下品なのしかいないのか」と斬っていたわけね。その「新しさ」に目を見張ったわけ。

 

「性別」とか「セクシュアリティ」を毒舌の対象にするのではなく、「職業」をその対象にする。これは「もともと生まれ持った属性とか、変えられない“何か”ではなく、その人が自分で選んだものを対象にする」ということ。もっと言うと、「その道を選んだ、その人のパーソナリティやメンタリティを対象にする」ということです。有吉が「モデル」とか「グラビアタレント」といった仕事を選ぶ人間のメンタリティに牙をむきつつ、『マツコ・有吉の怒り新党』(テレビ朝日系)で「やっぱり女の人のほうが大変そうだし」と漏らすのは、マツコが「女子アナ」や「女性誌編集者」や「オンナ政治家」に牙をむきつつ、『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)で「この世界は男の世界ですよ。男の世界に合わせられる女の人でないと平等にならないでしょ。女が無理に男の世界に合わせなくても同じ権利が与えられる世の中でないとホントの平等じゃないよ」と言うのと、何か対をなしているような気がするわけですよ。それは「ブスはシャネルのサングラスしちゃいけないの」「つきあうなら20代中盤から後半」と言ってしまう坂上忍(47歳)や、「私は可愛い。アンタはブス」という立ち位置から毒を吐くのがお約束の中村アンと、やはり一線を画していると思うの。

 

 あたくしは、これを「人としての品のよさ」と書いたのですが、それは実のところ、有吉が言うところの「尋常ではない危機察知能力」から来るものなのかもしれない。または、「若手や力のない手合いでも斬れるような角度や視点からは、斬らない」という芸人としての矜持から来るものなのかもしれない。ただ、どこから来るものにせよ、今までの芸人たちが持ちえなかった視点であり、角度であったのは確かだと思うのです。

 

 いや、もちろん、有吉がミソジニーから完全に自由だとは言わないわよ。と言うか、あたくしは、「自分自身も含めてミソジニーから完全に自由なオトコなどはいない」と思っているし。有吉も、くりぃむしちゅーの有田哲平と語り合う『アリさん』(フジテレビ系)という単発の深夜番組で、「ブスが意見するようになると、めんどくさくなる」と語っていた。が、そう語った5秒後に、「まあ、そのかわりに我々もなんも言えなくなるけど」と、自分のルックスもまな板の上に乗せているわけ。そこらへん、きちんと醒めている。

 

有吉は決してルックスが悪いほうではない(というか、けっこう可愛いとすら思う)し、マツコも有吉もこの数年の仕事の充実ぶりを見れば「勝っている」のは明らかだけど、それでも「俺は(アタシは)、基本クソのようなもの」という立ち位置から動こうとしない。自己陶酔かららものすごく遠いところにいる。その醒めっぷりこそが、「自分の言葉の切れ味」とか「俺という存在」に手放しで酔うことができる関西の多くの芸人たちとのいちばんの違いだと思うわ(アタシが見る限り、西の芸人たちの中で、有吉やマツコレベルで「自分の言葉」に対して含羞を持っているのは、博多大吉くらいだと思う。少し前なら藤井隆)。

 

 自分を高い位置に置きっぱなしにしないこと。そういう「腰の軽さ」を持ち続けること。「勘違いとか思い上がりでどっしりするくらいなら、卑屈なままのほうがいい」というくらいの、自分を見る視線。それが現在の日本で「売れ続ける」ための基本条件かもしれないわね。『怒り新党』の中で、「最近の芸能人に大物感がない」ということが話題になっていたけれど、それを見ながら、ぼんやりと考えてたあたくし。かつて岩井志麻子が「私はいま、何かの間違いでファーストクラスに座っているだけ。誰かから『そこはアンタの席じゃない』と言われたら、もともと少ない荷物を持ってすぐにエコノミーに移る用意はできている」と語ったことを、中村うさぎが自分の本の中で書いていたわ。そんな視線を、後発の毒舌タレントたちには未だ持っていないように思えたりするのです。

 

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