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容れ物重視主義

田房永子2016.03.28

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 「女性にとって最も大切なことは子供を2人以上産むこと」そう発言した大阪の中学の校長の集会での発言全文をネットで読んだ時。
 文章っていうのは「文字が並んでるだけのもの」なわけだけど、その「文字が並んでるだけのもの」を見ただけで、こんなに頭痛がするか、っていうくらい前頭葉あたりがギューーーーーッ!と収縮するような、こめかみを両サイドから挟まれるような圧を感じた。それを跳ね返すように自分の内側がガーーーッ!と破裂しそうになる。憤、憤、まさに「憤(ふん)」。スーパーサイヤ人になる時みたいな、キキがクライマックスでデッキブラシにまたがって飛ぼうとする時みたいな、全身の毛どもが総立ち。しばらくみんな座らなかった。
 特に、眼球の毛細血管がパキパキパキッと千切れるくらい憤怒した箇所は、「『女性が、こどもを二人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い』と言った人がいますが、私も賛成です」っていうところ。あそこ。本当にひどい。私は個人的に、ひどい言葉を浴びせられた経験が多めなほうだと思うけど、こんなにひどい言葉は聞いたことない。『女性が』『育て上げると』『無料で』『国立大学』っていう言葉の並びだけで、十分、私の体の中が悲しみでいっぱいになる。

 「女性差別」ってどういうことなのか、よく分かってなかった。なんとなく頭では分かるけど、どうしても自分の時代の話に置き換えると、他のいろいろな情報が絡んできて分からなくなってしまう。ピンときてなかった。
 でもこの校長の言葉こそが女性差別だって、肌で分かった。私がもし女性差別についての教科書を創るとしたら、校長のこの言葉を引用する。すごく分かりやすい女性差別の言葉。校長、上出来です。
 今も、校長の発言のこの部分を読んでいると、息がゼーハーしてくる。目の水分量が自然と多くなってくる。
 校長の発言の全文を読んだ人の反応をツイッターで見た。私と同じような気持ちになっている人と、「校長の発言は全くもって正しい」という人がいる。「何がおかしいのか、何を非難されているのか分からない」っていう人。「むしろ女性に最敬意を示す言葉だ」という人もたくさんいた。
 校長の意見が私にとってはすでに支離滅裂だから、校長の意見がおかしくないという感想に支離滅裂さを感じるのは、ナチュラルなことだな、と思う。

 女性差別な発言をする人、それがおかしいと思わない人のことを、「女のことを『女である』というところだけしか価値がないと思ってる男」だと私は思い込んでた。「男である自分のことは人間だと思ってるけど、女のことは人間だと思ってない人」って感じ。
 でもそうじゃないんじゃないか、と思った。そういう人は、男とか女とか関係なく、単に「容れ物重視」の人なんじゃないだろうか。性別とか年齢とか、見たまんま、自分や相手が入ってる「容れ物」に沿って、生きなければいけない、それを人生を全うすることだと思っている人たち。
 私が思う「人間扱い」という言葉の意味が、彼らにとっては全く別のものなのかもしれない。私にとっての人間扱いは「世間的社会的属性、つまり容れ物よりも自分や誰かの気持ちや心を尊重する」ってこと。容れ物重視の人たちは、自分のことも人間扱いしてない人なんじゃないだろうか。

 こないだ終わっちゃった連ドラ、「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」は、登場人物たちの片想いの矢印が交差しない話だった。
 主人公・杉原(有村架純)の彼氏の井吹(いぶき、西島隆弘)は、自分のことを見下す実父(小日向文世)に対して反発してたんだけど、ドラマ中盤で事態が一変、父から認められる。うれしくてエクスタシー状態になる井吹。それまで杉原のケツを追っかけてた井吹だが、突如その杉原を、父にゴキゲンでいてもらうためのコマとして使用し始める。井吹の一番の片想いの相手は父だったのである。
 見込みのない片想いでやけっぱちになっていた時に好きになった相手を、本命が振り向いてくれた途端にいいように使い出すというのは、王様系二股の典型。
 井吹は、杉原のことを父に紹介する際「公務員の娘で大卒」だとか嘘をつく。これは「厳しい父親に反対されないように、婚約者のスペックを無難に上げておく、それくらいその相手と結婚したい」ということではなくて、井吹の一番の欲望が「父の満足げな表情や態度を見る」に終始してることによる。「自分の行動で父が満足する」というのは井吹にとっては呼吸と同じくらい生きるのに必要不可欠な状態になっているので、ごく自然に二番目の杉原に対して粗末な扱い、侮辱的な言動をしてしまうわけです。
 井吹のスパークは止まらず、終いには、杉原が実は想いを寄せている男・練(れん、高良健吾)にまで「手切れ金やるからもう音と会うな」的なことを言います。

 必死に父を追いかけるあまり、自分より下だと見下している者に対して傍若無人な態度をとる井吹を見ていて、私は自分の元彼と母のことが浮かんじゃって仕方なかった。
 共通点がある。目線も意識もこっちに向いていて「君が好き」「君のために言っている」と一生懸命言ってきて、本人もそのつもりのようだが、実際は彼らの視線も意識も、こちらとは全くの別の方向へ向いている。
 具体的に言うと、私の母は、おばあちゃん(母の実母)に片想いしてたんだと思う。私よりもおばあちゃんに振り向いて欲しくて、おばあちゃんが「いいわね」と言うであろう服装を私に着させたり、おばあちゃんに「しっかりやってるわね」と評価されるために私に受験させたりしたんじゃないかな、たぶんそうだろうな、と、今は落ち着いた感じで思う。
 自分より大きな存在への片想いに支配された人は、その大きい存在が望む世界観に迎合しようとして、自分より小さな存在に対して理不尽に動かそうとする。

 井吹の父は、何に恋してたのかなと思う。ドラマでは出てこないけど、きっと彼も何かに対して強力に片想いしてるんだと思う。井吹の父には元彼がかぶった。
 彼らは一体、何に片想いしてたんだろう? 親よりももっと大きな何か、「社会」みたいなものかもしれない、と思った。
 「社会」から嫌われたら、自分の価値って終わり、みたいな。その彼らの想っている「社会」というのは、“強者”でないといられないところ。小さくて弱い者の心なんて、一番価値がないという世界。それに価値をつけるために、俺らが知恵を与えてやろう、という発想。俺らの世界で価値がついたほうが、そいつにとってもいいだろう、ありがたいだろう、というのが彼らの優しさ。相手の特性を重んじた上で、アイディアを提示する、これが相手に敬意を示していないと受け取るほうがおかしい、という構造。
 「価値のない人間に俺が保険をかけて価値をつけてやったんだ」って言ってた死刑囚がいたな。と思い出す。

 強大な容れ物(中身からっぽ)に片想いしてしまうと、周りの、自分よりも“弱い”者に横暴になる。自分が思う絵になるように、マスに無理矢理おさまるように、弱い者を変形させようとする。彼らは自分を尊重しすぎて他人を尊重できないわけじゃなくて、自分のことも尊重してない、しかたが分からないというより、概念がない。容れ物重視どころか、容れ物そのものになることが彼らの目指す地点。
 校長の発言を読んで、頭がギューッと潰されそうになってそのままブバーッ!と食べたものが口から全部出てきそうになったのは、「変形させられる」感じを受けたからだなと思った。

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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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