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「京都のオカマちゃん」

茶屋ひろし2016.09.12

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 夏前に友人の結婚式に出席するため鳥取に行きました。2人が出会った場所にたまたまいたにすぎない私は、すでにキューピッド扱いされているようで、スピーチも頼まれていました。
 友人(同い年)とは京都で出会ったせいか、私は彼女の家族から「京都のオカマちゃん」と呼ばれているらしく、それはそのまま20代のときの呼称でした。
 ダンナとなる人の借金が発覚したときは、「オカマちゃんは天使ではなく悪魔だったか」と物議をかもしたそうです。

 式はせずに披露宴をするということで、招待状の座席図には、両家とそれぞれの友人の席が用意されています。私には主役の2人以外知る人はいません。
 そのなかで、「京都のオカマちゃん」としてスピーチするわけね、わかりました、と承諾しました。
 2人が出会った時の状況を話そう、と決めました。関西弁丸出しで話しました。原稿なんて書きません。友人との関係性のおかげか、なんだってしゃべれました。

 これまで結婚したいなんて言ったことがない友人が、そんなことを言ってきたとき、のくだりに入ったとき、「私はゲイなのでお役には立てませんでしたが」と何気にカミングアウトを忍ばせたら、ダンナの友人男性たちから、「それ関係ないし」とツッこむ声が聞こえました。
 気に止めずに、そのままスピーチを続けましたが、この声がずっと残りました。
 あとで、確かに関係ないわー、と思いました。

 最近の私は「とりあえずカミングアウト」が習慣になっていて、知らない人たちの前では、「言っちゃう」をモットーにしています。今回は一応、「オカマちゃん」として友人にアウティングされていましたが、ひとそれぞれイメージもあるだろうし、実物見せとこ、との思いはありました。

 スピーチには合いませんでしたが、当事者が周囲のひとたちと同じように当たり前にいる、という演出をしてみたかったわけです。恰好も男性の礼服を買って挑みました(あたりまえ・・)。それくらい、同性愛者が、ほかのマイノリティと同様に、まだまだこの社会で可視化され受容されていないと、私は身構えているからです。
 ちゃんとした礼服を持ってなかった、という理由が先ですが。

 大学生の男の子が、好きな気持ちを伝えた同級生にふられて、周囲にアウティングされて、自殺したニュースを知ったとき、このままこんなことを続けようとあらためて思いました。

 今の私がそんなことをできるのは、おそらく同性愛者である自分を受け入れてくれる人が身近(家族と職場)にいて、当事者とそうでない友人たちもいるからだと思われます。
 一つの共同体に否定されても、泣いたり怒ったりできる場所があるから、ある程度平気なのです。

 自殺したゲイの子と、アウティングした同級生は、「同性愛は異常」という同じ価値観を共有していたのだと思われます。2人ともそこから逃れられなかったし離れられなかった。
 ノンケの子のほうは、まあ生きてるしどうでもいいんですけど(こういうことを言っちゃあいけない)、ゲイの子がそこから逃れられなかったことが痛ましい。
 ゲイである自分を受容してくれる環境を見つけておくことは大切だと思います。

 「京都のオカマちゃん」時代とは、私が慣れないバーテンダーを木屋町でしていたころで、ゲイバーではなくノンケのバーで働くことになった私は、しばらくして、お客さんやマスターから「オカマ」と呼ばれるようになったのでした。
 受容されていると私が感じるくらいの関係性が出来ていたせいか、それは嫌なことではなくて、「オカマ、言うな、ちゃん、付けろ」とか言い返しているうちに「オカマちゃん」になりました。

 けれどそれは、ちゃんとカミングアウトしたことにはなっていませんでした。

 そのあと、同い年の料理人を好きになり、明け方の河原町を自転車で追いかけて本気で逃げられました。相手も自転車でした。
 翌日から、酒の肴にされることを怯えました。相手にメールで謝罪して黙っていてくれるように頼みましたが、無理でした。それだけ私は自分の気持ちを、「あるのにありえないこと」として抑圧していました。
 今にしてみれば、私の不器用で不躾なアプローチに、相手もびっくりしただろうし、怖かっただろう、と気の毒に思います。
 噂を聞いて絡んできた常連客をにらみつけもしました。

 そんなとき、あまり話したことのなかったレコード屋の店主が、「新宿二丁目というところに行ってみたら」と、からかうでもなく薦めてくれたのでした。その言葉がすとんと身に入りました。
 周囲の人たちは私のことを受容してくれていましたが、私が自分を受容できていなかったのです。

 しばらくして、上京するお金を貯めるために、そこのお店を辞めました。
 二丁目で働き始めて、夜は飲みに行って、たくさんの当事者(ゲイだけではなくて)に出会ったことで、私は私を受け入れることが出来ました。

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茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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