ラブピースクラブはフェミニストが運営する日本初のラブグッズストアです。Since 1996

banner_2212biird

第二十六回「長男だけ特別」

菊池ミナト2017.03.27

Loading...


 ざっと見積もって十五人前くらいのポテトサラダが出来上がった頃、ベランダから突然、人が現れた。我々が料理している間ずっと隣の部屋でテレビを見ていた山田仕郎だった。隣の部屋と言っても、キッチンを使っているのは606号室で、山田仕郎がテレビを見ていたのは605号室だ。ホテルのスイートルームのようにコネクティングドアーがあるわけではないので、ベランダの仕切りをぶち抜いて廊下代わりに使っているのだ。
 現れた私服の山田仕郎は、とてもカラフルだった。紫色のチェックのシャツを着て、薄茶色のコーデュロイのパンツをはいている。靴下は黒とオレンジだ。黒とオレンジの境目に白文字でスポーツブランドのロゴが入っていて、何となく弟の中学生時代が思い出された。インナーに丸首の白いTシャツを着ているのか、ボタンを外した襟元から白いものが見えた。
 私が微笑んで「お邪魔してます」と言っても、なんだかモゾモゾしていて何も言わない。
 さながら、家に来た娘の友達に突然挨拶されたお父さんのようだった。
 そのままノロノロと寄ってきた山田仕郎が
 「おっ、ポテトサラダですかぁ」
 と、嬉しそうに呟いたところを見ると、このポテトサラダの量は正常なのだろう。
 今のお互いの発言で私と山田仕郎の挨拶が済んだと思われたようで、恵美子さんとお嬢さんは同時にポテトサラダの話を喋り始め、私は二人からのステレオ音声を上の空で聞き流している山田仕郎の髪の毛を見ていた。直前まで寝そべってテレビを見ていたらしく、天然パーマの毛髪が片側だけふんわりと逆立っていた。
 『友達のお父さん』というのは、なかなかどうして、いつのまにか出来上がっていた私たちの距離感としてちょうど適切な言葉のような気がした。

 さてそれから小一時間の間に妹が起きてきて、近所の寿司屋から寿司桶が届き、4階の部屋から三郎さんが上がってきた。
 部屋に入ってきた全員が、スゥーッと食卓の定位置に着席して、立っているのは私と恵美子さんだけだ。誰も何もやろうとしない。エプロンを着けたままのお嬢さんも、すっかりくつろいだ様子で着席している。

 夕食が始まる前にまず、食卓の隅に置かれていたタオルの使用法が判明した。これは、台ふきんではなかった。
 「ミナトちゃん、そのタオル、仕郎のお膝にかけてやって頂戴」
 恵美子さんに言われるがままにタオルを手に取ったが、何を指示されているのか正直よくわからない。
 『タオル』、そして『仕郎のお膝』だ。平然と座っている山田仕郎にタオルを広げて渡すと、そのままタオルは『仕郎のお膝』の上に乗せられた。
 一連の様子をニコニコと眺めていたお嬢さんが「仕郎は、よく、こぼすのよねぇ」と幼稚園児に対して言うようなことを呟き、当の本人である山田仕郎は何となくばつが悪そうな顔をしている。食事の時には膝の上にタオルを載せるのがここの家のルールなのかと一瞬思ったが、妹も三郎さんも黙ったまま、テレビの方を向いて素知らぬ顔だ。どうやら、長男だけ特別らしい。
 何回か一緒に食事はしているが、特にそんな様子はなかったのになぁ、と思っていると、「いただきます」も言わずに山田仕郎がポテトサラダを食べ始めた。三郎さんも妹も食事を始めている。膝のタオルが食事開始の合図だったようだ。
 恵美子さんに呼ばれて、取り分けられた味噌汁のお椀を受け取りにキッチンに戻り、全員分の味噌汁が乗ったお盆を持って食卓に戻ると、山田仕郎は既にポテトサラダを食べ終えていた。驚異的な速さだ。これまでは、私が戸惑うほどゆっくりとした速度で食事をしていたのに。
 失礼を承知で「仕郎さん、食べるの速いんですね」と言いながら味噌汁を置くと、膝に敷かれたタオルの上にポテトサラダがこぼれていた。半信半疑で渡したタオルが、早くも役に立っている。妙に感心した気分で思考が停止しかけたが、いやいや、そうじゃない。多分、山田仕郎のあの食事の速度は、食べこぼさないギリギリのラインだったのだ。全然わからなかった。

 エプロンを外して恵美子さんと一緒に食卓につくと、郷に入っては郷に従え、ということわざが脳裏を過ったが、やはり「いただきます」と言わないのは抵抗感がある。本当は、先に食事を始めていた全員に、無邪気さを装って「ど~して『いただきます』って言わないんですか? アハハハ」などと聞いてみたいが、この後明日の朝までここで過ごすことを考えると、やめておいた方がよさそうだ。ダメ元で、山田仕郎だけには一言注意しておきたい。しかし、これまで収集してきた世の姑たちの逆鱗ポイントには、『母親である私の前で嫁が息子を叱るのが許せない』という厳しい意見も多かったことを思うと、身動きが取れなかった。
 結局、私は自分の為に「いただきます」と言い、誰も何も言わないので恵美子さんの味噌汁を褒めた。
 私が「お味噌汁、美味しいですねぇ」と言うと、恵美子さんはニコニコとしていたが、それに対して誰も何も言わない。私の一言は、食卓の中心に置かれた寿司桶の中に吸い込まれていくようだった。寿司桶の黒光りする底が、まるでブラックホールのようだ。皆が皆、黙々と食べ続け、寿司が減るにつれブラックホールの全貌が見えてくる。
 誰も何も喋らないのに私だけ喋っているのも何だかな、と思った私は早々に会話を諦め、全員の様子を観察した。結果、恵美子さんとお嬢さんが三郎さんに対して冷ややかな視線を向けているのがわかった。と言っても、寿司桶の乗った食卓で「何か他に油物はないの?」等と発言すれば、冷たい視線も浴びようというものかも知れないが。
 三郎さんが油物を求める声も、虚しくブラックホールに吸い込まれていった。

 その日、食卓で交わされた会話らしい会話は、恵美子さんのお味噌汁に関する発言くらいだった。
 寿司桶があらかた空になると、恵美子さんは突然私の方を見て言った。
 「お味噌汁だけ作ればいいのよ」
 私が状況を理解できず「はい」と言うと、恵美子さんは頷きながら続けた。
 「ミナトちゃんはお仕事忙しいんだから、お味噌汁だけ作ればいいわよ。今は、デパートに行けばいくらでもお惣菜があるんだから。あとは、ご飯を炊いて、お惣菜を並べれば大丈夫。仕郎もそれで平気ですから」
 突然話を振られた山田仕郎は、こちらをぽかんとした様子で見たが一言「そうです」と答えた。
 少しの沈黙の後、恵美子さんは何故か娘婿の三郎さんの方をチラチラ見ながら
 「それからね、生活費は仕郎が一切を持ちますから。ミナトちゃんは自分のお金を好きなように使いなさいね」
 と言った。有無を言わさぬ口調だった。
 そりゃ、医者と銀行員では明らかな収入格差があるだろう。けれど、そこまで給料が低いわけじゃない。
 私が慌てて「いえいえ、それはいけません」と言うと、お嬢さんがやけにきっぱりとした口調で
 「いいえ、これは決まったこと!」
 と高らかに宣言した。私の知らない所で、既に決定していたようだった。
 これはそれからずっと後に知ったことだが、三郎さんは生活費や教育にかかる費用等を、殆ど家に入れていなかったらしい。しかし、その情報自体は山田仕郎から聞いた話なので、本当の所はよくわからない。ただ、恵美子さんとお嬢さんが私と山田仕郎を使って三郎さんに一矢報いようとしていたことは確かだ。
 それまで黙っていた妹が突然「お兄ちゃんはいいなぁ、お母さんとお祖母ちゃんにお嫁さん見つけてもらえて」と言い、誰も何も答えないままに夕食は終了した。
 食事が始まった時同様、「ごちそうさまでした」も誰も言わなかった。

Loading...
菊池ミナト

菊池ミナト(きくち・みなと)

主婦
リーマンショック前の好景気に乗って金融業界大手に滑り込んだアラサー。
営業中、顧客に日本刀(模造)で威嚇された過去を持つ。
中堅になったところで、会社に申し訳ないと思いつつ退社。(結婚に伴う)
現在は配偶者と共に暮らし三度三度のごはんを作る日々。
フクロウかミミズクが飼いたい。 

RANKING人気コラム

  • OLIVE
  • LOVE PIECE CLUB WOMENʼS SEX TOY STORE
  • femistation
  • bababoshi

Follow me!

  • Twitter
  • Facebook
  • instagram

TOPへ