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配偶者、応答セヨ 第五十五回 ご主人/配偶者

菊池ミナト2019.09.11

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結婚式が終わってからしばらくの間、私は支店全体や課の飲み会で、支店長や課長の隣に座らされた。新入行員が入ってきたときは新入行員が、人事異動があったときは異動する当事者が、そして何もないときは話題のありそうな人間が座らされる。
私の結婚式は2月だった。新入行員はとっくの昔に支店になじんでいるし、異動もない。そうなると、手近な話題提供係は最近結婚式を挙げたばかりの私になるのだった。

「それにしても、おっかしな夫婦だよなぁ~」
「ご主人とはまだ一緒に住んでないんだっけ?」

その日の飲み会でも、私が目の前の鍋のアクをとっていると、その話題になった。みんなホッピーを飲んでいて、支店長代理の男性行員たちが口々に「知っている情報」を言ってくる。

「でも家は決まりそうなんでしょ?」
「そうなんです、おかげさまで」

誰のおかげでもないけれど、こう言っておけば角が立たない気がしてつい言ってしまうのだった。住宅ローンの材料じゃないの、と誰かが言い、「材料」というのは「予定材料」のうしろの部分だけ言ったもので、ようするに「住宅ローンを借りてくれそうな先」ということだ。

「ご主人、ドクターだろ」
「将来的には開業用地とか収益不動産もいけるんじゃないすか」
「稟議余裕っすよ。ねぇ、支店長」

今、こうして、水炊きのアクをすくっている私の配偶者が家を買うと知って、住宅ローンはうちの銀行で借りるべき、という話になっているのだ。今は勤務医だけれども、そのうち開業するときには開業用の土地も買うかもしれないし、郊外じゃなく都内だったらビルにするかもしれない、クリニックが入っているだけのビルじゃなく、他のフロアは貸すかもしれないし、自宅と一緒にするかもしれない。

銀行的にはどれも商売にできる内容なので、じゃあまず住宅ローンをご利用いただいて関係構築に努めましょうか、だって目の前にいてお鍋のアクをすくっている女性行員の「ご主人」だし、一から新規開拓しなきゃいけないお客さんじゃないから少しは楽でしょう、というわけなのだった。
私はおたまを握ったまま、
「いやぁ、現金一括で買っちゃうみたいです!」
と言って、アハハと笑った。それ以上、どうにも言いようがない。

「じゃあ僕、稟議、書きたいです!」と融資の担当では一番若い後輩が立候補するところまで話は進んでしまっていて、私が話の大前提を崩したので、一瞬で白けた空気が漂ったのがわかった。が、私は全部無視してグツグツとあぶくを立てている豆腐と鶏肉の間のアクをていねいにすくっていた。
「現金一括かァ」と、座の気まずい雰囲気をとりなすように誰かが明るい声で言い、「うらやましい話だよなあ!」とまた別の誰かが言った。住宅ローンの材料にならなくてすみませんとあやまるべきだろうかと一瞬迷ったが、謝罪するのもなんだかおかしい気がしたし、そもそも、別に私は悪くない。目に見えるアクがなくなったので、私はまわりを見回し、周囲の空いたとんすいに鶏肉や野菜や豆腐を入れた。

「ご主人は開業のこととか考えてないの」
と融資担当の代理が言い、私は、
「配偶者からは、そういう話は聞いたことがないですね」
と返した。
「配偶者!」
「配偶者って」
最初に支店長が笑い、まわりの人間が口々に、
「配偶者」
「配偶者かぁ」
などと笑った。

「配偶者」は銀行員として生活していると、普通に接する言葉だ。面談の記録にも「配偶者同席」と書くし、生命保険の受取人でも、相続の話でも、だいたい「配偶者」は出てくる。

さっきから皆、口々に山田仕郎のことを「ご主人」と言っていたが、その呼び名は全然正しくないように思えたし、まったくしっくりこない。となると、一番適切な呼び方は「配偶者」のような気がした。だから自然に「配偶者」を使った。考えてみれば、結婚する前の私も慣習的に「目の前に座っている女性のお客様の配偶者」のことを「ご主人」と呼んでいた。もう、考えなしにそういう呼び方をするのはやめよう。
「菊池ちゃん、ご主人のこと配偶者って呼んでるの?」
「面と向かっては下の名前ですよぉ」
斜め前に座った代理が、「そういう意味じゃねえよ!」と笑いながらつっこみ、また別の誰かが「他人だなぁ~」と笑った。支店長もニヤニヤしている。

「『シローサン』って呼んでるの?」
「そうですね」
「ご主人はなんて呼んでくるの」

代理たちが「支店長、そこは『配偶者』でしょぉ」とはやし立てたので、支店長は「そうそう、配偶者さんは」と言い直した。
「ほとんど呼ばれたことないですけど、『ミナトさん』ですかねぇ」
言いながら、そういえば結婚することが決まった食事の席で、皿に「Happy birthdayミナトちゃん」と書かれていたな、と思い出す。ついぞ呼ばれたことのない「ミナトちゃん」入りのメッセージで、お祝いメッセージを手配したのが恵美子さんだと気づいたのだった。芋づる式に、山田仕郎がその場でプロポーズの言葉を言えなかったことや、結局私が自分から「結婚していただけるんですか?」と聞いてしまったことなどを思い出してモヤッとする。

私が釈然としない気持ちを思い出してなんとなく暗い気持ちになっている一方で、支店長は「シローサンとミナトサンねぇ」と言いながらニヤニヤしている。
「なんか初々しいですね」
と課長が微笑むと、支店長は、
「初々しいっていうか、エロいよなぁ」
と唐突にすさまじいことを言い、
「医者とか社長とかさぁ、立場のある人って赤ちゃんプレイ好きって聞いたけど、どうなの」
と続けた。

思いがけない質問に私はつい口角をあげ、営業用の微笑みを浮かべていた。

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菊池ミナト(きくち・みなと)

主婦
リーマンショック前の好景気に乗って金融業界大手に滑り込んだアラサー。
営業中、顧客に日本刀(模造)で威嚇された過去を持つ。
中堅になったところで、会社に申し訳ないと思いつつ退社。(結婚に伴う)
現在は配偶者と共に暮らし三度三度のごはんを作る日々。
フクロウかミミズクが飼いたい。 

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