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配偶者応答セヨ 第五十八回 続・リフォーム

菊池ミナト2020.01.06

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リフォーム前の新居は、2LDKの間取りだった。

細長いリビングダイニングがあって、その他に和室と洋間がひとつずつである。

私は第一印象で気に入った箇所があって、玄関入ってすぐ左手、トイレの便器と手洗い場の色がとてもよかった。

くすんだ渋いピンク色だ。

実家にいた時、母の目が届かないトイレの個室に閉じこもっていることが多かったので、トイレが好きな色だとうれしい。私はトイレのカギを確認し(コインで外から開けられるカギだった)、劣化が激しい壁紙と変色した床の中で鎮座する美しい便器をじっと見た。ピンク色というよりは薄紅色といったほうがいいのかもしれない。便座は暖かくなるタイプで、冬でも安心だ。

「こちらは、前のオーナー様が一度リフォームしていらっしゃいます」

ふたの下りた便器を熱心に見つめ続ける私に、秀吉氏はそう説明してくれた。

「じゃあここはリフォームしなくてもいいんですね」

「そうですね」

山田仕郎はトイレにもトイレに注目する私にも興味はないらしく、我々を残して先にリビングに入ってしまった。

「あのお」

突然大きな声が聞こえて、ビクッとした。秀吉氏の笑顔も心なしかこわばっている。

山田仕郎が、短い廊下の先のリビングルームで、大声で叫んでいるのだった。

「あのお、聞こえてますかあ」

「はい」

最初に返事をしたのは秀吉氏のほうで、彼はパタパタと走っていき、私は普通に歩いてリビングに向かった。

カーテンも何もない、光が差し込むがらんとしたリビングルームの真ん中に山田仕郎が立って、いらついた様子でこちらを見ている。

「あー、びっくりした。窓の外に誰か人がいて、その人に話しかけてるのかと思った」

私の発言を無視して山田仕郎は秀吉氏に「部屋の説明をしてください」と告げる。自分が放っておかれたから気分を害したんだろう。

「前のオーナー様は、洋間のほうを寝室としてお使いだったようです。山田様はベッドをお使いですか、それとも布団で?」

「布団です」

山田仕郎は即答し、その後妙な間があった。

あっ、そうか、私も山田か。

「私はベッドを使ってますね。でも、実家にあるものを持ってくるつもりはありませんので、もしベッドにするなら新居にあわせて新しいものを買うつもりです」

洋間もリビングと同様、なんだか凄く細長い。長いほうの壁の真ん中にドアがついているので、横に細長いのだ。こんなに細長い部屋で、ベッドを並べて置けるんだろうか。

「ベッドでかまいません」と突然山田仕郎が言い、私は腕組みをした。

「この洋間、ベッドふたつを横並びにできますかね? っていうか、ふたつ並べて置いて、ドア開きますかね」

部屋の細長さに加え、ドアは洋間の中に向かって開くようになっている。

ドアの開閉スペースには何も置けない。

私の脳裏に「長い壁に沿って縦にふたつ置かれたベッド」の図が思い浮かび、新婚初夜でもセックスはおろかキスもしないような関係なんだから、正直な話、ベッドは縦に並べて置いても全然問題ないんじゃないの、と思った。

今の時点ですでに、枕を並べて眠る必要性が感じられない。

しかし秀吉氏は室内をキョロキョロ見回し、「シングルベッドか、クイーンサイズのベッドもギリギリ2台置けると思います。搬入がむずかしいかもしれませんが、まあ、なんとか。室内で組み立てる方法もありますし」と言った。言いながらメジャーをスッと出して向かい側の壁までの距離を測ると、「だいたい2メーター50センチくらいありますんで、大丈夫でしょう」と続けた。

私は少し残念な気分だったが。山田仕郎は何の感情も読み取れない顔をしていた。

さて、洋間の次は和室である。

秀吉氏が「和室は六畳です」と言いながら奥のほうを示し、「床の間もありますね」と言った。

和室には色の変わった畳が残され、障子は紙が劣化して黄色くなっていた。

山田仕郎はスリッパを履いたまま薄汚れた畳の上にあがり、「うーん」と「ふーん」を繰り返している。

山田仕郎の姿勢の悪い後ろ姿と、おかしなうめき声と、家具が置かれていた痕跡がはっきりわかるような変色した畳を見ていたら、なんだか急に、和室をリフォームしてまで使い続けることが面倒に思えてきた。

「これ、和室を洋間にすることって可能なんですか?」

この質問は秀吉氏にとって良いものだったらしい。

元気よく振り返り、「ええ、もちろんです。最近は多いんですよ!」としゃべり始めた。

「やっぱりリビングを広く使いたいとお思いになる方が多いんでしょうね。壁ごと撤去して、シースルーで見渡せるLDKになさる方が増えてます」

そうなると工事も増えるし、当初の見積もりよりもお高くなるんだろうな、とは思ったが、この部屋は角部屋なので2方向に窓が付いているのである。

明るく広々としたリビング。

日当たり良好、自然光の差し込む新居。

いい。凄くいい。

しかし山田仕郎が「どうかと思います」と口を挟んできた。

「壁は撤去しません。和室は必要です」

秀吉氏は愛想笑いを浮かべたまま黙っている。

和室はなぜ必要なんだろう。

「和室、使います?」

「必要です」

「何に使うんですか?」

そう言えば、山田仕郎の実家に泊まった時には和室に布団を敷かれたな、と思う。

さっきはベッドでいいと言ったはずだが、やっぱり布団がいいんだろうか。

「うーん、うー、うーん」

目の前で山田仕郎がうなるので、私はなるべくゆっくりと「本当はお布団のほうがよかったですか?」と聞いてみた。

「お布団で、寝室に使いたいとか? 私、実家に畳の部屋がないのであまりイメージできないんですよね。せっかくの角部屋なんだし、リビングを明るく広々と使えたらいいかなって思ったんですけど」

ゆっくりしゃべったつもりだったが、矢継ぎ早にいろいろ言われたと山田仕郎は思ったのかもしれない。追い詰められたような表情になっていた。

「日本人には」

山田仕郎はしばらくうめいた後、しどろもどろにそう言い、けげんな顔をしている私の前で「畳が」と続けた。

「日本人には畳が?」

なんだ、その理由と思ったら、瞬発的に復唱してしまった。

「心です」

「心?」

畳のCMか何かから引っ張ってきたんだろうか。

「畳も障子も襖もお手入れが必要になるし、私は和室のある家で暮らしたことがないから不慣れですよ。仕郎さんはできますか? それに、使う予定のない曖昧な部屋にしておくと結局、物置になっちゃうんじゃないですか?」

これは、営業中の顧客との雑談の中で少なからず聞かされた「和室に対する後悔」と「使わない部屋を作ってしまったことの後悔」だった。そして実際の話、恵美子さんのマンションにも山田仕郎の学習机が置かれたままの誰も使わない和室が一部屋あるのである。

そこまで思い出して、もしあの小学生みたいな学習机を持ってくるつもりなら拒否しよう、と思った。

ところが、山田仕郎は予想外のことを言い出した。

「それに、恵美子さんは布団でしか眠れないので」

「恵美子さんが?」

「そうです」

それが何の関係があると言うのだろうか。

私が一瞬黙ると、秀吉氏が横から、さも素晴らしい助け舟です!という様子で「おばあさまが泊まりにいらっしゃるんですね!」と叫んだ。

いやいや、隣の区である。電車なら乗り換えがあるせいで15分ほどの距離、タクシーなら5分である。

「泊まる機会あります? タクシーで5分ですよ」

そう、どちらに向けるでもなく言うと、山田仕郎は舌打ちをした後、「どんなことも、可能性をゼロと言い切ることはできません」と言った。

確かにそうだが、そういう話じゃない。

秀吉氏は「家族会議の最中は、私は口を出しませんよ」といった様子で微笑を浮かべて黙り込み、そんな秀吉氏の様子を見ていると、運用商品の手続きで訪問した先で家族間の意見の不一致に遭遇したときの自分が思い出された。ああいう顔で私も黙って微笑んでいるのかと思うと、もう微笑むのはやめたほうがいいな、と思えた。

山田仕郎は、恵美子さんが泊まりに来る理由を説明するのは不可能だと思ったのか、再び舌打ちをした。

「それならあなたが出せば?」

「私?」

「そうです」

「あっ、リフォーム代を?」

なるほど。その手があったか。

私は口座残高を思い浮かべた。

私には、貯蓄ができないフリーターのお花ちゃんと結婚しようと大真面目で考えていたときの貯蓄がある。それはわりとまとまった額で、結婚式も新居の準備も、全額自分になってもどうにかなるかな、貯蓄をすっかり使い果たしてしまっても、その後、働き続ければいいんだし、という思想のもとにできた蓄財だった。

「いいですよ、そうしましょう!」

私が明るい声で応諾すると山田仕郎はなぜか傷ついたような表情をし、秀吉氏は見積もりを作り直すことになった。

お花ちゃんに感謝である。貯めたのは自分だが、動機と当時のモチベーションの維持はお花ちゃんのおかげだ。

その日、帰宅して母にことのあらましを伝える前に、恵美子さんから母に電話が入っていた。

「恵美子さんからお電話あったわよぉ。ミナトちゃん、リフォーム代負担するって言ったんですって? 全額仕郎さんが出すからって恵美子さん言ってたわよ。よかったじゃない、出してもらえて。あと、和室? なんか、仕郎さんは和室をどうしても残したいんですって。恵美子さんからもお願いしますって言ってたから、大丈夫ですよって言っておいたわよ。いいのよね?」

なにひとつよくはない。

「いや」

大丈夫じゃないな、と思ったけれど何から説明すべきか考えている間に、母は「あと、仕郎さんのほうの都合らしいんだけれど、リフォーム代は24分割で返したいって恵美子さん言ってたわ。あなた、ぼんやりしてるんだから、毎月ちゃんと返済あったかどうか記帳して確認しなさいよ」

「いや、記帳しなくても自分の口座の移動明細はいつでも確認できますから」

こんなことを説明している場合ではないな、と思ったが、銀行関係のことはすらすらとしゃべれる。

そもそも、なんで24分割。2年である。

ふと携帯電話会社の中途解約の違約金みたいだなと気づき、あんがいそのつもりなのかもしれないと思った。

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菊池ミナト(きくち・みなと)

主婦
リーマンショック前の好景気に乗って金融業界大手に滑り込んだアラサー。
営業中、顧客に日本刀(模造)で威嚇された過去を持つ。
中堅になったところで、会社に申し訳ないと思いつつ退社。(結婚に伴う)
現在は配偶者と共に暮らし三度三度のごはんを作る日々。
フクロウかミミズクが飼いたい。 

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