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【新連載】わたしの言葉を。Vol.1 筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性に対する嘱託殺人事件に、わたしの言葉を

イトー・ターリ2020.09.03

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筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性に対する嘱託殺人事件の報道に動揺し、しばらくフリーズしてしまっていた。作家であり元東京都知事の石原慎太郎による「業病のALS」の発言すら、のちに友人から聞いて知った次第だった。わたしも筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患っているので、さすがにショックだったのだ。事件を知った時、死にたいと思い実行してしまうほど、この闘病は熾烈なものなのかとまず思った。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性、林さんは2011年に発症、わたしも同じ頃に発症、ただ、林さんの進行は早く全く体を動かすことができなくなっていたこと、そして年齢が51歳で18歳年下であることも異なる。

人によって、その進行のスピード、症状の現れ方は異なるけれど、手足、体幹の動きだけでなく呼吸や嚥下までも自力で出来なくなる神経系の病気だ。思考力、感覚は残るので、最期まで事態を把握することができるので、当人にとって辛い病気だ。誰しもが絶対になりたくない究極な難病ではないか。

わたしの身体の状況は、下肢は全廃、上肢は体から30cm範囲しか伸ばすことができず、キーボードは一本指で打ち、体幹も、腰を左右に移動することが出来ないという状況。そして、肺活量の低下、息切れ、力んだ声などの変化が現れている。明日は我が身、2歩、3歩手前の病状なのだろうと思う。このようなわたしが今回の事件をどのように見たのかを記したいと思う。

わたしが読んだこの事件について書かれたいくつかのコメントや声明文は、SNS上でひとしきり誹謗中傷がなされたことに対応するものだった。当事者からも支援者からもALS患者はサポートを受け、自立して元気に共生していると強調する論調だった。優生思想を警戒し、今回の事件によって再び差別や偏見が社会に浸透しないようにという心配が透けて見える内容。「安楽死」「尊厳死」が安易に語られることへの懸念でもあった。

ところが林さんが生活の中で何を考え、感じていたのかを問う文章が含まれていないことに、違和感を感じた。わたしは林さんがどのような生活をして、なぜ死を選んだのかを知りたかった。

そうこうしていると、8月14日の京都新聞に「ALS女性、ヘルパー探し「かなりのストレス」 17事業所に依頼、長時間難しく多数で分担」という記事を目にすることとなった。

この記事を読んで、死を選んだ理由の一端を知った。

記事からの引用

女性は生前、ブログに「万年のヘルパー探しはかなりのストレス いつ穴が空くか分からない不安にいつもさいなまれている 人の手を借りないと指1本動かせない自分がみじめでたまらなくなる」(18年6月)と投稿。介助者を確保する苦労をにじませた。  複数の関係者によると、13年当初は女性を担当したのは3事業所だったが、18年8月時点で17事業所に増えた。1日に4~7事業所のヘルパーが入り、夜間は連続して8時間以上入ったが、日中は2~3時間で入れ替わることもあったという。  事業所が増えたのは、女性の病状に応じたケアを長時間担うことが難しく、多数で分担せざるを得なかったためとみられる。ALS患者に必要なたん吸引などの医療的ケアは一歩間違えれば患者の死亡につながりかねない。関係者によると「長時間のケアはヘルパーの負担が大きい」として撤退する事業所もあったという。  また女性は同性ヘルパーの介助を望んでいたが、宿泊や夜間・早朝の長時間勤務が多い重度訪問介護ができる女性ヘルパーは少ないといい、独居から数年後には男性スタッフも入るようになった。親しくなった男性ヘルパーもいたが、ある支援者は「(女性は)男性にトイレ介助をしてもらうのがつらいと話していた」と打ち明ける。

これが現実なのか、やはり、、、と絶句した。彼女の姿を想像してほしい。派遣ヘルパーが1週間に50名ほどが訪れる中で、言葉を交わし関係を構築することは難しかったかっただろう。意思の疎通が難しいわけだから、恐れと孤独の中に身を置いていたのでは無いか。そして夜間は男性のヘルパーが付いていたという事実。51歳の女性のトイレ介助に異性があたるなんてありえないでしょ。これでは重度訪問介護が形だけで実のないものになっていたのだと言わざるを得ない。介助ヘルパーがいないのだから仕方ないでしょという声が聞こえてくるが、それで済まされるものではない。

林さんが死を呼び寄せたのではなく、介護制度の空洞化が死をもたらしたのだと思う。状況に耐えられなかったのだとわたしは思う。

わたしの憧れの重度訪問介護が空洞化していたとしたらどうしよう。わたしがかつてCILによる重度訪問介護ヘルパーとして働いていた時の、利用者とヘルパーとの関係のあり方が変質してしまったのか、あるいは異なるシステムにおいて重度訪問介護が行われているのか、わからない。調べなくては。

わたしの身に起きていることから、日本の介護の脆弱な現状を説明することができる。林さんは障害者総合支援法の範疇の重度訪問介護を受けていたのだと思うが、私は介護保険の受給者で、長時間の介護を受けることが出来ない。就寝前の着替えに22時ごろにヘルパーさんに来てもらいたいのだけれど、市内には夜間の定期巡回訪問介護をやっている事業者がないと言われ、近隣の市に行なっている事業所が少しはあるが、どこも介助者は男性だけだと言う。ヘルパーがいない、夜働く女性がいない。いないのだから、我慢しろなのか。林さんの身に起きたことと同じことに遭遇しているのだ。わたしにとっても男性のトイレ介助なんてあり得ない。病人なのだから高齢者なのだから、我慢しろ。これは人権というものを大切にしない現政権(安倍首相は昨日辞めたが)の福祉政策の現れだ。近いうちに、24時間介護が必要になるわたしは途方にくれる。何かいい方法があったら教えてください。

ヘルパーさんの不足が起きている理由を解明する必要があると思う。介護の担い手を家族に押し付けるのは歴史の後退でしかない。働きがいのある職業にするにはどうしたら良いのか、利用者も参加して考えてゆきたい。

先に触れた優生思想のことだが、嘱託殺人容疑で逮捕された医師2人は紛れもなくこの思想の持ち主なのだろう。障害者差別は生活の中にゴロゴロ存在しているが、それらの背後にあるのは優生思想だ。優生思想に最も遠いはずの女性が優生思想の殺人者とタグを組んでしまったことが残念だ。救いの道が届かない社会に日本があることを自覚したい。

林さんのご冥福をお祈りする。

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イトー・ターリ(いとー・たーり)

1951年 東京生まれ、在住 パフォーマンスアーティスト
1980年代後半からパフォーマンスアートを始め、国内各地、アジア、欧州、北米で活動。
エポックは1996年に行ったパフォーマンスでのカミングアウトだった。セクシュアルマイノリティであることについて考察し、パフォーマンスを行ったのだが、そのことは黙殺されている声や忘れ去れている事への「応答」へと導いていくことになった。
身体、ジェンダー、軍事下の性暴力、原発事故をテーマとした。また、ウィメンズアートネットワーク<WAN>(1994~2003)、PA/F SPACE(2003~2013)を運営、人が出会う場を思考した。
最近は筋肉が萎縮してゆく難病を抱えてしまったが、「身体」との旅を続けたいと思っている。
写真:Alisha Weng

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