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Netflix「新聞記者」をジェンダーの視点で観ると・・・半沢直樹と変わらないのでは。日本のドラマの限界と性差別が平常運転の辛さ。

北原みのり2022.01.18

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「日本の弱点(=欠点)は性差別状態が平常運転であること」なのだと、Netflixのドラマ「新聞記者」を観て、なんともいえない気持になっている。

ドラマ「新聞記者」は、望月衣塑子さんによる「新聞記者」を原作としていないということだが、望月さんと思われる新聞記者(米倉涼子)が物語の中心に立ち、日本の閉塞感ある政治、不正が堂々と行われる現実と闘う物語である。”現実にいる人物を表現したものではない”とはされてはいるが、現実をベースにしているドラマであることは誰に目にも明かで、だからこそこのドラマがNetflixで表現されることの意味は大きい。

リアルとファンタジーのボーダーは限りなく曖昧に、現実ベースである。
例えば空港で逮捕される予定だった人物が直前に上からの指示で本人を目の前に「逮捕中止」せざるを得なかったり、東京五輪招致における首相の「アンダーコントロール」発言が世界の雰囲気を変えたことが語られたりなど、ここ数年、私たちが見聞きしてきた世界が映像となって物語られる。なにより森友学園問題の文書改竄のきっかけになった安倍首相の「私や妻が関わっていたら総理辞めます」という発言はドラマでもそのまま使われている。これをきっかけに赤木氏が自死に追い込まれていく様子は、「その後」を知っている者からすれば、あまりにも切ないものだ。

ドラマを通してこの日本で起きた現実を改めて振り返れば、日本の政治が民主主義政権どころか独裁政権のありさまであることを突きつけられる。なぜ今も自民党政権が続いているのか、なぜ責任者は誰も処罰されなかったのか、そのことのおかしさが際立つのだ。地上波では恐らくできなかったであろうドラマが、赤木さんの死を風化させず真相究明が必要なのだという声につながるようになったらいいと強く思う。

一方で・・・なのだが、本当に残念なのは、このドラマが韓国ドラマのようには世界で観られないし話題にもならないだろうな・・・と思えてしまうことだ。エンタメとしては、Netflixに無数にある世界に通用するドラマとしての魅力が薄く、国内の地上派規模の内向きドラマに見えてしまう。
その大きな理由を私は、脚本や演出のジェンダー観にあると感じる。このドラマ、ほぼ男目線でしか描かれていない。脚本家三人が全員男性で、制作者のほぼ大半が男ということも関係あるのだろうか。半沢直樹的な昭和感が強く、女性の葛藤や存在にリアリティがない。人物の厚みが薄いのは、ジェンダー観の薄さとつながっているようだ。

そう、半沢直樹的なのだ(スミマセン、最初のしか観てないです)。男が無用に歯を食いしばり、悲壮感があり、苦しそうで、何かを重たく背負ってる風という描き方で統一されており、女といえば、そんな男のチアリーダー役かアナウンス役だ(男の状況を説明してあげる人)。専業主婦であり、無垢な存在であり、「あなたはあなたらしく生きてください♥︎」「あなたを応援するよ」など、夫の仕事内容については詳しく知らずにただそこで存在を全肯定することが求められる癒し役。例えば罪悪感に苛まれる官僚(綾野剛)の妻が「(仕事に絶望する綾野剛に)仕事辞めたら一緒に、お弁当屋でもやる? フフ」と世間知らずなセリフが「愛」として描かれる(お弁当屋に失礼)。就活に失敗した女子大学生が同世代の男子学生に「あなたのことをいつか自慢する、だからあなたは頑張って」みたいなセリフもあった。ないでしょ。

寺島しのぶさんが演じる赤木雅子さんをモデルにした人物の設定も、ジェンダー感覚が少しでもある人が描いたら・・・と残念である。
実際に赤木敏夫さんが自死した日、妻の雅子さんは出勤する時に敏夫さんに「ありがとう」と言われる。後ろ髪引かれる思いで家を出て、職場でショートメールをしても返信してこないことに不安を覚えて家に戻り、敏夫さんの遺体を発見する。
ドラマでは妻は専業主婦設定である。夫が「ありがとう」と言うのは、夫が入院中にかいがいしく世話をしている妻に対してであり、出勤する妻に向かって言う言葉としては描かれない。また妻が夫の自死する姿を見つけるのは、ネギが入ったスーパーの袋二つを抱えて帰ってきた時であり、出勤中に気になって気になって気になって戻ってきたという事実とは全く違う。
現実と同じではない表現に違和感があると言いたいわけではなく、専業主婦にしなければ女のリアリティがないとでも思っている描き方に違和感があるのである。

また、私が知る限りではあるが、赤木さんはメディアで話すときに「夫」と言う言い方を選んでこられた。手記でも「主人」とは言わずに「夫」、または「トっちゃん」と記している。それは二人の関係や、二人の生活を象徴する言葉だと私は思う。でもドラマでは、当然のように「主人」「主人」を寺島しのぶは連発し、「主人の思いを受け取ってほしい」というような語り口になってしまっている。手記や赤木さんのインタビューを丁寧に読み込んだだろう脚本家が、なぜ「主人」を乱発するような設定にしたのだろう。こういう女の描き方の陳腐さが、日本のドラマからリアリティを奪い、昭和感を増し、ある意味、日本の弱点(性差別が平常運転)を浮かび上がらせてしまうことになっているのではないか。

なにより! 米倉涼子が暗すぎる!!!
主人公のはずなのに、その存在はあまりに薄く、暗く、重い。しかも米倉涼子が重いのは、兄が政権の暴力やパワハラで人生を奪われた・・・という設定にあり、兄の人生の重さをひきずることで、米倉涼子は新聞記者として強く、正義感に満ちている・・・という背景になっている。

韓流好きの友人と、ああ「新聞記者」が韓国で作られたら!! と妄想を膨らませてしまう。そうしたら米倉涼子はもっと魅力的に描かれただろうに。正義を貫いたばかりに人生を壊された兄、という存在がなくたって、女は正義を明るく語り、軽々とボーダーを破り、勇気を持って前進し、恐怖を味わいながらも拳をあげている。韓国ドラマだったら米倉涼子の存在と寺島しのぶの存在が際立つ物語になったはずだろうと夢想する。兄がいなくても、正義感の強い甥(自死した赤木さんの甥役=横浜流星)がいなくても、女たちは理不尽と戦う理由があるのだし。実際、組織にがんじがらめの男たちにはできない戦い方を女たちはしてきた。だからこそ、組織は女をやっかいに思い、排除し、口を塞ごうと必死になる。そういうリアルが見えていない、見えていたとしてもリアリティをもって描くことができない制作チームによる「新聞記者」は、だから昭和的であり、だから国際感薄い。これほどの現実をベースにしているのに物語としてのリアリティがなく、エンタメとしても小さいのはジェンダー観の鈍さにつきるとも思えてくる。

と、、、非情に辛辣な感想ではありますが、望月衣塑子さんのファンの一人として、望月さんが戦った世界がドラマ化されたことを応援したい。というか、国際レベルなジェンダー観で「新聞記者」が描かれていれば、世界的なドラマになることも可能だったんじゃないかと思ったりするから。
なぜなら赤木さんの闘いを終わらせるわけにはいかないと、ドラマを通して改めて強く強く思えたから。真実究明を私たちは諦めてはいけないのだ。そして、日本の性差別平常運転も、もっともっと変えなくてはいけない。このつまらない現実から逃れるためにも。

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北原みのり

北原みのり

ラブピースクラブ代表
1996年、日本で初めてフェミニストが経営する女性向けのプレジャートイショップ「ラブピースクラブ」を始める。2021年シスターフッド出版社アジュマブックス設立。
著書に「はちみつバイブレーション」(河出書房新社1998年)・「男はときどきいればいい」(祥伝社1999年)・「フェミの嫌われ方」(新水社)・「メロスのようには走らない」(KKベストセラーズ)・「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)・「毒婦」(朝日新聞出版)・佐藤優氏との対談「性と国家」(河出書房新社)・香山リカ氏との対談「フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか」(イーストプレス社)など。

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