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モテ実践録(28)目的地にはちっとも行きつかない私

黒川 アンネ2022.08.04

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本の刊行から1カ月が経ち、あまりドカンと売れている兆しはないものの、『週刊文春』に紹介記事が載ったし、感想が寄せられると素直に嬉しい。どうもありがとうございます!

その中でも、本の感想として「頭がいい」「高尚だ」「友達が多い」等々の身に余るプラス表現が多く見られ、やっぱり私は人にこう見られたいという欲求を知らず知らずに文章の中に折り込んでいたのだと思い知った。親バレを防ぐためのペンネームだったが、自分の身から出た過大評価が外を経由して内面化してしまうことを防ぐためにもよかったと思う。

「友達が多い」という感想については、たしかに私はほぼ毎日友達と遊んでいて、宅配便の人にはあまりに不在で不審がられるし、地震対策で湯船の水を次に溜めるときまで流さないようにしていたところついに藻が生えたぐらいに家に寄り付かないのだけれど、一方で、私はすごく短気で、先日も婚活を勧めてきた友人に怒って「ビッチ黙れ」と言ったぐらいであるし、LINEの返信も1カ月近く放ってしまうこともあるので、そんな私と何年も仲良くしてくれているのは、つまるところ友人たちの方が高尚なのだ。

そんな感じで過去から現在にかけてあらゆる方面に迷惑をかけているので、本が出たときに数十部を買い取り、これまでに本を送ってくれたり、つらいときに手を差し伸べてくれた人たちに本を送った。そのあとに友人を中心に刊行記念パーティーも開催できたのだが、これらの一連の出来事を私は「結婚式みたいだな」と考えながら準備をしていた。これまで毎日が〈起床・通勤・仕事・友人と遊ぶ・就寝〉のルーティンに陥っていたので、何の節目もなく、これまで受け続けた恩を(あまりに受けすぎて返せないのだけれど、見かけだけでも)返す機会がなかったなと思うのだ。本に同封した手紙を通して面と向かって「ありがとう」と伝える機会は、なかなかに貴重なものだと感じた。

久しぶりに会ったお友達からは「本も出たし、転職もしたし、順風満帆だね!」とまで言われたものの、実際の私はさまざまなトラブルに見舞われ、「この先30年も働き続けなきゃいけないなんて、もう死にたくなる」と言って仲の良い先輩を困らせている始末である。あまりにストレスがたまって顔面が痙攣するようになってしまい、上記の先輩に「もう疲れたので1カ月ぐらいニューヨークに行きたい」と相談したところ、先輩は冷静に費用を計算してくれて、円安とインフレと燃油代の値上げで予算がまったく足りそうになかった。全然順風満帆なんかじゃないし、いつになったら自分が落ち着くのか全くわからない。

数年前に大使館系の仕事で知り合ったM子さん(私の周りはMと付く素敵な人が多すぎる)は、業界誌にインタビューが掲載されるほどにバリバリと仕事をこなしている。近所に住む彼女からの「遊びに来て」という誘いを鵜呑みにして、たまに自転車で馳せ参じては、おいしい手作りの料理やワインをごちそうになっている。

M子さんにも本を差し上げたところ、「1ページ目から大爆笑した」と言っていた(そんなに面白い記述あったっけ?)。そして、人はどこかゴールにたどり着いたことにして、少し高みから教示的にものを書きがちであるけれど、実はどこかに行き着くことはできないので、その、途中の状態を素直に書いているのがよいところだよと褒めてくれた(こんな素敵な感想を寄せてくれる人が近所にいるって、どんな幸運ですか?)。

編集業務から遠ざかっているので、自分が編集者かもうわからなくなっているのだけれども(同じくもはや自分が翻訳者かどうかもわからない)、前に勤務していた出版社で編集を担当した中でも大好きな本に、バーバラ・カッサンが書いた『ノスタルジー』という哲学エッセイがある。日本語版の刊行前にアカデミー・フランセーズ(フランス学術の最高機関で、過去の会員にはヴォルテールやヴィクトル・ユーゴーもいる)にも選出された著名な女性文献学者は、死別した配偶者をコルシカ島に葬って以来、そこを我が家と感じるようになる。では、ひとはいつどうやって我が家にいると感じるものなのか……というのを、『オデュッセイア 』や『アエネアス』、そしてハンナ・アーレントの著作から分析するという内容だ。先輩の馬場智一さんが素晴らしい翻訳をしてくれて、この本に関われたことをずっと嬉しく思っている。

大学生になったとき、1年生の第二外国語の授業には冬学期3回しか行かず、ギリシャ古典の博士号をドイツで取ったという魔女みたいな先生が何回も何回も100個の単語テストの追試を受けさせてくれて、なんとか単位を取ることができた。そこから先生と仲良くなってゼミにも出席し、修士課程のときには論文を書き溜めて送っては、先生は細かいメモを入れてすぐに返送してくれた。そんな先生の退官記念講義のとき、遅れて集会所(絨毯の敷いてあって、サロンのような雰囲気だった)に行くと、先生はずっとオデュッセイアのあらすじを読み上げていた。正直(なんだろう?)と当惑したのが伝わったのか、先生は突然「あらすじを読んでいるだけだと思われているかもしれませんが、これは、私がこれまでの研究で文献を読み解いた上での解釈なんです」というようなことを言った。先生は、私が院を出てからまもなく体調を崩され、長らく誰も連絡が取れなかったのちに亡くなられていたことを知ったのだが、先生から受け取ったものはあまりに大きすぎて、きっとこれから何十年もかけてその意味を思い知るのだと予感している。

バーバラ・カッサンの本の話に戻ると、カッサンは、オデュッセイアは目的地に行きつかない、旅の中にいるからこそ彼なのだという。私も、たぶんどこかのゴールにたどり着くことはないだろう。でも、それが私を作っているのかなと考えてもいる。

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