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モテ実践録(29)レディガガ様ですべてがどうでもよくなった

黒川 アンネ2022.10.05

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毎月毎月この書き出しで繰り返しているけれども、「本も出たしすべてが順調じゃん!」と言われることもあるものの、現実は全然順調でなく、一時は眠りにつくことが難しいように思ったが、メルカリで購入した3000円のプロジェクターで『ザ・シンプソンズ』を何話も観て、まだ自分は楽しいと思えるものがある、よかったよかったと思ってはスヤスヤと眠る日々を過ごしている。

とはいえ、定期的に会っている友人に「なんか最近急に元気になった!!!」と言われたので、その理由をここではっきりさせておこうと思う。つまり、レディガガの来日コンサートに2日連続で行って、ガガ様を見ているうちに、何があっても大丈夫と思えるようになったというのが理由だ。

レディガガに説明はいらないと思うけれど、春頃、職場にかかっているラジオでその来日について最初に聞いたときに、しばらく海外へも行けないので、スーパースターと言われる人を国内で見られるのなら見たいと思った。留学していたころ、南米出身のアレハンドロという友人がおり、その頃流行していたガガの曲で「アレアレハンドロ」とよくからかわれていた。その後もドラマ「glee」などでカバーをたくさん聴いて……というぐらいのエピソードしかなく、ガガの特別なファンではないのだけれども、生で見られるなら見ておきたい。

ラジオで来日の報を耳にした頃、近所に住んでいる年上の友人と食事をするうちに酔っぱらい、日付が変わってからカラオケへと繰り出し、同じく近所に住んでいる20代のアーティストの友人=Aちゃんを呼び出すとすぐに駆けつけてくれた。AちゃんはNワードを巧妙に避けながらカニエ・ウェストを流暢に歌ってくれ、さらに、先行でレディガガの5万円のGOLDチケットを買った話をしてくれた。「5万円でガガを近くに見られるんだったら、安いものですよ」と言っていた気がする(何しろ酔っぱらっていたので)。さらに後日、別の友人が、以前はガガを見にアメリカまで行ったと話していて、すでにGOLDやVIPは売り切れだったのでS席を買ったと話していた。

そうなのだ、今回のレディガガ公演には10万円のVIPチケット、5万円のGOLDチケット、大部分を占める1万7000円のS席があり、さらに、一番後方で立ち見のA席というのが別にあった(その後、ステージが見られない席種が追加)。「5万円で安いのなら、S席を買ってもよいかもしれない」と思い、複数の友人に「ガガ、絶対行きたいよね」と話して、二人の友人と別々の日にそれぞれ抽選に申し込むことになった。S席は1万7000円と言っても、手数料を入れると2万円近くになる。どちらも当選したため、どちらかの日程を同行する友人の知り合いに譲ろうと思っていたが、譲り先が見つからず結局土日の2公演ともライブに行くことになった。

所沢の西武球場(ベルーナドーム)、外野方面をステージとして、土曜日は3塁側、日曜日はアリーナの席である。そんなにステージまでは近い席ではなかったものの、土曜日の夕方、最初に映像がかかりカウントダウンが映り、一度暗転し、ガガの声が響いてきたときに、気がつけば私は叫んでいた(マスク着用)。ビートルズのコンサートで失神する女の子たちの話はずっと前に聞いていたが、ちょっと馬鹿にした感じで考えていたし、どうしてそんなことになるのかわからなかったので、まさか自分が、米粒みたいにしか見えない現物のレディガガを見て失神せんばかりに叫んでいるのかよくわからなかった。でも、神様を目撃したかのような絶対的な衝撃を受け、ガガが視界に入ると「本当に、いる!!!」とその存在を強く感じた。

ガガは私よりも年上だが、2時間ぐらいのライブ中、ノンストップで着替え、踊り、歌い、叫び、自分に自信を持てというメッセージを繰り返していた。大写しになるモニターの中でも、彼女は他のダンサーよりは一回り小柄だったけれど、ひときわ輝いて見えた。

ライブが終わってからGOLD席にいたAちゃんと待ち合わせたが、興奮がさめず、ずっと身体の中に熱がこもったような状態で、それでもものすごい爽快感があった。生きていればこのような完璧なショーが見られることもあるし、資本主義的だとはわかっていても正当な対価を払ったと感じることもできるのだ。

ちなみにガガ様は後半、会場後方にある別のステージでピアノの弾き語りをしており、つまり前方にある10万円のVIP席とはずっと離れたところなのだが、Aちゃんに言わせれば「そんな小さいことを気にしてみんなお金を払っているわけじゃない」ということなので、文句を言うものではないのかもしれない。ともかくガガの全身全霊のパフォーマンスを見ているうちに、自分が悩んでいるすべてが細かいことに思えて、すべてがどうでもよくなった。そして、またこんなパフォーマンスを見られるように、一生懸命に生きようと思えたのだ。

自分が何かをハンドリングしている、何かをしているという実感を得たいときに、疲れているとなおさら、短い動画を見たり、食べたり、消費をすることで簡単に小さな達成感を得て済ませてしまう。もちろんそれだけではいけない、何か自分のやりたいことはないの? と言われたら私なんかは答えに窮してしまう側の人間であるが、それでもやっぱり個々の細かい消費も選択なので、自分が支出について納得して、楽しいと思えることは認めていきたいとも思った。

友達と食事に行ったときの数千円、ほっと息をつきたいときに立ち寄ったカフェのコーヒー代数百円、部屋の混沌を少しでも収めようと購入したカゴの数百円、演劇を見に行った数千円、積み重なれば多くの支出になり、使いすぎたと悔やむこともあれば、亡くなった祖父母の家の整理ですべてがゴミとなり処分しなければいけない瞬間も目にしているけれど、やはり自分を作る要素として支出を諦めたくない。円安で、自分が自由に使えるお金の範囲が目減りしたように感じても、使える範囲のお金で楽しんでいきたい、そのためにがんばって働こうと思うのだ。

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