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幸せな毒娘 Vol.7 愛ではありませんでした ②

JayooByul2023.01.27

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それから一年後、私はより良い大学に合格することが出来ました。またそこまで必死に勉強が出来たのは、その日から父に会うことがなくまだ安心して暮らせたのと、良い大学に受かり進学を諦めることが父への一番の復讐だと思ったからです。当時の私にはもっと叶えたい夢があったため、正直大学に進学することはそこまで大事ではありませんでした。

しかし大学に受かった後、それを知った父が涙を流して喜んだと母から聞き心が弱くなりました。もちろんそれくらいですぐ父と会う気にはなりませんでしたが、母の強要でもう一度父に会うことになったのです。父に久しぶりに会い私が最初に聞いた言葉は「私が良い大学に受かってなければ、私と連絡もしなかったでしょう?」という少し幼稚な質問でした。そこで父は1秒も迷わず「当たり前だろ」と答えたのです。私の心の底に残っていたちっぽけな未練もなくなってしまった瞬間でした。

だが、人生は残酷なものです。まさに悪者の計画通りにしか動かないように設計されているかのように、また新たな悲劇が起きてしまったのです。当時私の親は何故か沢山の借金をしていて、経済的な理由で法律的には離婚をしていたのですが、どうやら事実婚事情もうまくは行かなかったらしく、父が先に浮気をし、私と妹には内緒で完全に離婚をしていたようでした。そこで母にも新しい彼氏が出来ていたのですが、その彼氏が妹を性的に虐待していた事実がちょうどそのタイミングで発覚しました。それを母は分かっていながらも、男との付き合いを続け、何もなかったかのように男を家に呼び、普段と違わない生活をしながら私に徹底的に隠していたのです。この話はまたかなり長くなるので、今度私が経験した性的虐待について話す時に改めてお伝えしたいと思います。

父は激怒し、実家の物を全てぶっ壊し、私たちを連れてホテル生活を始めました。私が日本の留学を始めると、妹は父が引き取るとの話でした。母は私が泣いても、叫んでも、説得しても、その男と別れるという選択肢はないみたいでした。それによって母と過ごしていた私たちにも選択肢がなくなり、また父との縁を続ける毎日に戻ってしまいました。その時はそれでもやはり父は父なんだなーと、私たちを守ってくれる存在であると思っていました。なので自然と名門大学への進学放棄もなかったことになりました。

母の彼氏を訴えるために何回か警察署に行ってる間、父は気が変わり告訴を取り下げ慰謝料を貰うことにしました。 オーストラリアは人に害を与えた場合、こういった「お金だけで解決すること」が出来ず、必ず重い刑が下されますが、当時の韓国は被害者が未成年の場合、親がお金のために加害者と賠償金を貰う代わりに告訴を取り下げるなどの合意をすることが多かったです。すぐ翌年、未成年を対象とした性犯罪の場合は合意の有無にかかわらず処罰されるように法律が改訂されましたが、私の妹の事件があった年は、悲しいことに親にもっと強い権限がありました。一応本人の意思が大事ではあったため、刑事は私の妹に本当に取り下げても良いのかと再度質問しましたが、高圧的で暴力的な父の前でそうして欲しくないとは言えませんでした。妹はすぐには頷けずに私に視線を向けましたが、私もそういう父に逆らうことは出来なかったため、「韓国は訴えた所で刑も軽いわけだし、ちゃんと処罰されないのなら沢山のお金を貰って貴方の学費にでも当てた方が良いかも知れない」と妹を説得しました。父がずっと私にそう説明していたからです。痴漢程度じゃ韓国ではほぼないのに等しい軽い刑が下されるのも事実でしたし、私もせめて私たち姉妹の学費が浮くのであれば、父からもすぐ離れられることが出来ると、そう信じていたのです。妹はやむを得ずいやいやと刑事の質問に答え、告訴のことは一段落しました。ですから、私も加害者です。

父の言い分としては、「賠償金を貰って私と妹の大学までの学費にあてる。そうすると私たちは社会人として自立するまで何の心配もなく生活することが出来る」とのことでしたが、私たちをそう自由にさせてくれるはずがありませんよね。先ずその賠償金すら経済力のない加害者の代わりに母から払われましたし(私は正確な金額は知りませんが)、そのかなりの金額すら父が勝手に使い切ってしまったのです。父は贅沢な生活をしながら「どうせ汚いお金だったんだから、早く使い切らないと運気が悪い」と、訳のわからない言い訳をしました。

父にされたことが普通の家庭では起きないことだと気づいたのは、日本の大学に進学してからでした。頭皮が腫れ、鼻血を流し、あっちこっちあざが出来るほど殴られたとしても、全て自分が悪いせいだと思っていました。きっと親だから出来る体罰の範囲なんだと勘違いしていたのです。今になって振り返ると、どんだけ子供が過ちを犯したとしても、そこまでの暴力に値することがあるのかなと思います。私が殴られていた理由は大体、父との外出の誘いを断る、成績が落ちる、(父に言うのが怖くて嘘をついて)授業をさぼったかネカフェに行くくらいの、今思うと極普通の子供らしい日常を過ごしていただけでした。そんな父の元で育ったお陰で、私は最初日本に来て、下心ありの優しいおじさんたちに純粋な感謝と感動の気持ちを抱いたりもしました。不幸な家庭環境で育った女性たちが年の離れた負け組の男に騙され早いうちに結婚してしまったり、犯罪に露出されやすい生活習慣を持つようになるのはきっとこういう理由でしょう。

大学に進学し1年のうちは父と頻繁に連絡を取り合いましたが、虐待者との関係は私が何をどう頑張ろうと上手く行くはずがありません。父の機嫌を取るために愛嬌のある娘を演じると「お金のために連絡したんだろう」とキレられ、連絡の間が空くと「娘のくせに可愛らしくもない」と怒られました。経済的な理由だった親の離婚も私のせいにされました。長女として重い責任を全て背負わせられながらも、悪いことは全て自分のせいにされ、私は生まれたこと自体が罪なんじゃないかと思い続ける人生でした。そんな不幸な思いをしながらも「血縁は天からの縁」という社会からの洗脳に騙され続け、私はどっちの縁もすぐ切ることが出来ませんでした。どっちの親とも一年ほど縁を切り、また戻ることを何回も繰り返したのです。

大学生活が2年ほど経った頃、母がこっそりと呼んだ場で最後に出会った父は、本当に少しも変わっていませんでした。一瞬気持ちがぶれ謝罪の言葉に騙されそうになっても、落ち着いてから考えるとその謝罪の言葉にはまた私を責め、私に何かを求めている家父長的な思考が入っているのです。「貴方が子供(目下の人)なんだから、当たり前に先に頭を下げて来ると思ったのに父を先に謝らせた」と。その意味がはっきりと分かった瞬間、私はもう一度恐怖に包まれました。「それでもお父さんだから」と父の立場を庇う母を見ると、「だから離婚した今もクソみたいな男を選んだんだよ。実は類友なんじゃないの?」と強い怒りが湧きました。

昔はとても仲が良かった私たち姉妹ですが、色んなことがあってからは二人の関係性も変わり、今は互いのトラウマを刺激する毒みたいな存在になってしまいました。一度は母に妹のことで何年も怒りをぶつける私に「どうせお姉さんのことでもないんだから、大げさにするのやめなよ」と、妹本人に言われたことがあって、かなり傷ついた覚えがあります。妹は私も同じ性暴力の被害者であることを知っていたので、そのショックは余計大きかったのです。そうやって私たちは被害者なのにもかかわらず、互いに加害者にさせらました。

中二病みたいに聞こえるかも知れませんが、私はこの世を回しているのは神様ではなく、残酷な悪魔なんだと、本気で思っていました。そんな30年でしたが、家族と縁を切ることによって私の人生にも少しずつ光が差してきたのです。

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JayooByul

JayooByul(じゃゆびょる)

JayooByul (ジャヨビョル)日本のお嫁さんとオーストラリアで仲良くコアラ暮らしをしています。堂々なるDV・性犯罪生存者。気づいたらフェミニストと呼ばれていました。毒娘で幸せです。

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