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幸せな毒娘 Vol.11 被害者からサバイバーへと①

JayooByul2023.02.26

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(今回は性的虐待によるトリガー要素があります。閲覧にご注意ください)

1月1日。新年と言うと、世間の人々にとっては新たな目標や新しい人生を計画する希望で満ち溢れる時期なのですが、私にはつい数年前まで夢も希望もない絶望的な時期でありました。これから13年前―2010年の新年、私の妹は母の彼氏から性的虐待に遭いました。そしてそれは私にとって大きなフラッシュバックと同時に、妹を守れなかったという巨大な罪悪感を背負わせ、また10年以上のトラウマを生み出しました。

話は遡ります。私が初めて性的虐待に遭ったのは小学一年の頃でした。共働きで一切育児が出来なかった親は、私を祖母の所に預けていました。祖母と暮らしながら小学校と塾に通っていた私は、授業が終わり塾の建物から出てきたところである男に出会います。その男はスーツを着ていて、私が通っている小学校の先生だと言いました。そして私に道を教えてほしいと、だから自分に付いてきてほしいと道を渡っていきました。私は本能的に戸惑ったのですが、「私の学校の先生」なら言う事を聞かなきゃだと思い彼に付いていきました。彼は学校の裏門の文房具屋さんのある駐車場に止めた車へ入り、私に乗っていいよと、話したのです。そこで二度目の戸惑いがありましたが、「学校の先生」だという信用できる大人の言う事だったので、それ以上疑うことを止め助手席に乗りました。そこで私の20年の人生を奪う事件が起きたのです。

最初は私にいつシャワーをしたかという質問から始まりました。子供だったので何故そう言う質問をするかという疑問もなく、素直に答えた覚えがあります。するとその男は私の脚を舐め、服の上から下を触りつつキスをしてきました。当時の韓国はテレビやコンビニで肌色の女性たちを見ることもありませんでしたし、キスシーンすら放送されることがなかったため、私はその行為が何を意味するのか一切わからなかったのです。何が起きてるのか把握できず、目を開けたままじっとしている私に、その男は「俺の姪っ子に似ていてあなたが可愛いからこそこんなことをしているんだ」と言いました。可愛いからこんなことをする? 正直、こんなことが何なのかもさっぱり分からなかったため、その男が何故そんな言い訳をするのかも理解できませんでした。ただ一つ不思議だったのは、その男が車の中からもずっとキョロキョロと周りを見たり、上着で窓を隠したりと、不審な行動を取っていたことでした。しばらくするとその男は前を見てぼっとしている私の左手*に何かを握らせました。緊張でギュッと力が入った私の手の中には何か暖かくて柔らかいモノがありました。男がジャケットを被せていたためそれが何かは見えませんでしたが、その次の男の言葉に私は本能的に危機を感じたのです。(*韓国は運転席が逆)

「もっと強く握っても良いよ」

それまで男のモノは見たこともありませんでしたし、もちろん触ったことなんて尚更ありませんでしたが、それでもそれが何かに気付いたと言うことは、きっと女性の体に内在している生存本能ではなかったでしょうか。そしてそれに気づいた瞬間、私は体全体から血が抜けていくような感覚がしました。もちろん手からも力が抜け、体の動きがピタッと止まりました。その男が掛けてくる言葉にも何も答えなくなりました。すると、そんな鬼のような雄にも一抹の良心が残っていたのか、幸い(幸いと言って良いのでしょうか)レイプまでは至らず彼は私を放してくれました。今日のことは誰にも言っちゃだめだよ、と言う決め台詞と共に。

その日、私はお祖母ちゃんの家に帰り、何回も手を洗い、普段は嫌がっていたシャワーも自ら浴びました。そしてその記憶は私の頭から約10年間、封印されることになります。自分を守るため、私の心がその時の記憶をきれいに抹消していたのです。

しかし人生はそう上手くは行きません。一度あった事実を消すことは不可能だと言うのを知らせるかのように、その日は訪ねてきました。中学1年生になったある日、全ての記憶が戻ってしまったのです。正確にいつからその記憶が戻ったのかははっきりと覚えていません。スパムメールに紛れていたアダルトサイトの広告を見た日かも知れませんし、学校で性教育を受けていた時かも知れません。でも10年越しに戻ってきたその記憶はとても虫唾が走るようなものであり、左手の気持ち悪い感覚もそのままと残っていました。その日のことが正に現在進行形で起きているかのようでした。

勉強に集中できない日が増え、成績は落ち、雨が降ると傘も差さず泣きながら外をぶらぶらと歩く日が続きました。その日のことは誰にも言えませんでした。何故なら、親からは「知らない人に付いて言っちゃダメだ」と教わっていたので、全て私が悪いと思っていたからです。もちろんその背景には「大人の言うことは絶対」という韓国特有の教育が原因でありましたが、当時の私は自分を責めるしか出来ませんでした。今はより広い世界を接したことによって、日韓の教育がどれほど間違っているのか分かっているのですが、12歳の私はそうでありませんでした。

仕事ばかりで忙しかった親は私の情緒の変化に気を配ることはなく、ただ成績が落ちてしまったことに注目し、毎日のように私を責め、叱りました。成績が落ちたことで殴られる事も増え、それに比例し私が親に言い返したりする頻度も増えました。親に隠し事をしているという罪悪感と、成績ばかりで私をちゃんと見てくれない親へのやるせない気持ちが混ざっていたんだと思います。それでも私が変わってしまった本当の理由は言えないままでしたね。ですから、アジアの親からしたらただの「思春期」と思われていたでしょう。

ある日、一人では限界で耐えられなくなってしまった私は、当時の親友にその日の事を簡単に話しました。痴漢された経験があるけど、親に言うべきか、と言う相談でした。友達は「既に昔の事なんだから、わざわざ親に言う必要はない」と言いました。過ぎたことで親を傷つけるのは宜しくないと。「孝」を大事にする韓国の文化圏で育った子供ならではの答えでしたが、その一言で私は酷く傷つくことになり、より深い鬱へ陥りました。

「大人の言うことは絶対」
「知らない人について言ってはダメ」(因みに英語圏では「大人は困った時に決して子供に助けを求めたりしない」と教えています)
「大人を尊重し親孝行をするのは当たり前」
まだまだ幼い子供たちへ全ての理解と配慮、そして責任を押し付ける教育は、子供たちの人生にとってどれだけリスキーなんでしょう。

続きます。

※編集部からお詫び
2月25日公開のジャヨビルさんの原稿「幸せな毒娘 Vol.11 被害者からサバイバーへと⑤」は来月公開予定のものを編集部の間違いで掲載してしまいました。今後このようなことがないように注意して運営してまいります。申しわけありませんでした。

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JayooByul

JayooByul(じゃゆびょる)

JayooByul (ジャヨビョル)日本のお嫁さんとオーストラリアで仲良くコアラ暮らしをしています。堂々なるDV・性犯罪生存者。気づいたらフェミニストと呼ばれていました。毒娘で幸せです。

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