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棚卸日記 Vol.18 生きてほしい

爪半月2023.03.07

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◆発信リスクと逡巡◆

2023年に入って、一旦Twitterアカウントを復活させた。そこから集中的に5本の原稿を投げて、それからまた自分のプライバシーが荒らされるストレスに耐えかねて閉鎖した。1年前に連載を始めた当初は、もっとコンスタントに書く予定だったが、書き始めると想定外のバッシングに苛まれるようになった。発信する必要性を強く感じつつも、安全が保障されない世界でここまで当事者が犠牲を払う必要があるのか疑問になった。私の言葉は私の身体から離れた先で好き放題に踏みにじられる。書き溜めた原稿を手元から離す勇気が出ないまま時間が過ぎ、記事の内容と時差が出てしまった。それでも発信する必要性を感じることについて、出せる範囲で出していく。

◆精神は経年劣化で勝手に壊れたりしない◆

先月、大学の単位認定試験の合否が出た。2021年から大学生になって、合計で55単位取得の結果となった。2021年は33単位取得できたが、2022年はバッシングが苛烈化するにつれ鬱がひどくなり22単位が精一杯となった。卒業要件は124単位なので、2年目にして半分に満たない結果をみて敗北感に苛まれた。( 敗北感って誰に勝つつもりなんだよ。優勝劣敗の価値観から自由になりたいんじゃないのかよ ) そういうつっこみが自分の中に湧き上がって、うるせえなと涙目になった。( 風俗を辞めたくても辞められなかった頃に比べたら、今はもう服を脱がずに済む生活ができてるだけで御の字だよ )  そんなこと私が一番わかってる。風俗の世界で泥水をすするように生きてきた日々を忘れたことは一度もない。そういう問題じゃない。健康だったら達成できたことが、健康が損なわれたせいで叶わなかったことに悔しさを感じてる。私の健康は経年劣化で勝手に壊れたんじゃない。暴力があって壊された。精神的な安全が奪われた。だから怒ってる。ずっと怒ってる。

◆マジョリティ仕様の社会に抗議する◆

単位を落とした科目もあった。オンライン上のディスカッションルームに、実名で自分の仕事のキャリアを書くように指示された。Vol.1にも書いたが、私は過去のストーカー被害から未だに自由になれていない。オンライン上に実名を書くことに強い恐怖がある私は、そのままその講義には参加できなくなってしまい単位を落とした。仕事のキャリアって、私は人生の大部分を風俗嬢として生きてきた人間なんだけど。他の受講者の華やかなキャリアを眺めてたら、「社会的に無事な人たち」の姿が眩しくて死にそうになった。男性受講者の中に風俗通いをしてる人がいる可能性が脳裏を過って恐ろしくなった。この科目は、広く受講者を募りながら、私のような社会的に脆弱な人間が受講することは想定していないようだった。それっきり参加を辞めた。惨めさに殺されたくなかった。同性からは好奇の眼差しを、男性からは性的な眼差しを向けられるかもしれないことも耐えられそうになかった。授業料を無駄にしたことが悲しくて、こんなことになるなら、この授業料で我慢していた本を買えばよかったと後悔した。向き合う気力が回復してから大学に抗議した。私の次に続くかもしれない元風俗嬢に私と同じ恐怖や悔しさを味わってほしくなかったからだ。「この科目はマジョリティの参加しか想定してないのではないか」と怒った。謝罪はなかった。私の絶望を個人的なエピソードで終わらせたくなくて今回ここに書いた。子どもの頃は家庭環境がメチャクチャで、落ち着いた学習環境に恵まれなかった人でも、選択肢がなく不本意な生き方を強いられてきた人も、いくつになってからでも安心して学び直しができる社会にしたい。そういう人が排除されてほしくない。私が躓いた石は可能な限り撤去したかった。次の世代に残したくなかった。だけど大学から謝罪はなされなかった。だからせめてもの抵抗として、私を躓かせた石がそこにあったことを書き残しておこうと思った。

◆権利を知る◆

自力で水を探して、自分の足で歩いて水を汲みにいかないと喉の渇きを癒せなかった人間は、いま目の前に水が入ったコップがあっても自分にそれを飲む権利があるのかわからない。そこに資源があっても、自分に享受する権利があることを知らなければ手が伸びない。どれだけ喉が渇いていても「飲んでいいですか?」と聞けない。飲んでいいと判っても、「私よりも喉が渇いてる人がいるかもしれない」と遠慮する。周りを心配して自分を後回しにする。自分の喉が渇くのは自分がわがままだからかもしれないと反省し始めてしまう。もう少し我慢できるかもしれない、と我慢の限界を更新し続けてしまう。人に迷惑を掛けるくらいなら、いつ降るかわからない雨を待つ方が精神的に楽だ。

・・・抑圧の影響ってこういうことなんだけど。「あなたは助けてもらっていい人間だ」「あなたは助けてもらうに値する人間だ」「あなたにはそれを受け取る権利がある」こうしたメッセージを受け取る機会を得られないまま生き延びてきた人に届く言葉を探したくてこの原稿を書いている。こうした言葉は、今ここにいる自分自身を納得させるために必要な言葉でもあるからだ。「お前は価値がない」「産まなきゃよかった」幼少期から浴びせられてきた私を殺す言葉たちに死ぬまで胸を縛られながら生きていたくない。

生きていい。生きてほしい。生きるべきだ。こういった、当たり前に生きられる人は必要としない言葉を、私はいちいち言葉にする。わざわざ声に出す。そうやって、グラウンディングして、ここにいていいことを何度も再確認する。そうしなければ自分が何者なのかわからなくなってしまうくらい現実感の薄い世界を生きているからだ。強い言葉がなくても難なく生きられる人には大袈裟に聞こえることもあるだろう。否定されない世界で生きてきた人は、殊更に肯定する言葉を必要としない。私は、深く深く潜って、私を牽引できるだけの強い言葉を地獄の底から掴み取ってきて、どうにか自分を回復の軌道に乗せる。自分で頑張らないと誰も助けてくれない世界で生きてきて、今だって、私を助けられるのは結局私しかいないという事実のゆるぎなさに圧倒されながら生きている。もう自己責任論から降りたい、援助希求を出せる社会を目指したい、そう願う気持ちを伝えても、頑なに応答を拒む社会に怒りを覚えて書いている。

◆自分と和解する◆

「自分と和解したい」日記にこうはっきりと書いたのが2019年だったと思う。虐待した親を許すことより、私を傷付け搾取した人を裁くより、何よりもまず、自分と和解したかった。だけどそれは簡単な作業ではなかった。

私の胸には「内なる批判者」がインストールされていた。これを安全にアンインストールすることが自己受容の達成に必要なのだと安易に考えていたけど、強引に追い出そうとして追い出せるものではなかった。それはすでに自分の一部だった。今回、最初はこの記事のタイトルを『私は私と和解する』にしたが、書きながら、回復を急かされるようなプレッシャーを感じて苦しくなった。私は私との和解を急がなくていい。だけど、どれだけ意識的に急がないように心掛けても、勝手に走り出してしまう自分がいる。焦燥感のコントロールにまた疲労する。

◆「なにもできない時間」を許容する◆

葛藤を抱えた状態が長期化すると生活の燃費が悪くなる。不定期に襲われる希死念慮に足止めを食らい、なにもできなくなる。私のように社会との接続を奪われた人間にとって、「なにもできない時間」は、ただ「なにもできない時間」として過ぎていくような無害なものではない。こうした空白の時間は、自分を無価値化させ、自責感情を増幅させる性質を持ち「お前は何もできない人間だ」と内側から尊厳を壊し始める。休んでいても罪悪感がある。休み方がわからない。私の焦燥感の根っこには、「ただ生きている」という状態に対する罪悪感がある。努力をし続けないと存在することを許されないような、苛烈な虐待環境を生き抜いてきた後遺症だろう。例えば私は風邪を引いても迷子になる。風邪を引いたとき、布団に入ってると自分が何者だかわからなくなる。社会から必要とされているという実感は0になり、精神的にとても不安定になって「休むことに専念」することが難しくなる。これをいちいち書くのは、同じように着地できない苦しさを抱えながら「休むことに専念」できない人がきっといると思うからだ。だから私は言う。私は休んでいい。あなたは休んでいい。安心して休んでほしい。今休むのはとても意味のあることだ。

◆医療アクセスの改善を◆

「あなたのような複雑性PTSDの人には認知行動療法がおすすめですよ」などというありがたい助言を受けることもある。ここで杉山登志郎氏の言葉を引用したい。

"圧倒的な対人不信のさなかにあるクライエントに、2週間に1回、8回とか16回とかきちんと外来に来てもらうことが如何に困難なことか、トラウマ臨床を経験している治療者なら了解できるのではないだろうか。言い換えると、それが可能だったクライエントの治療結果を集めれば素晴らしい成果になることも当然である。"(『テキストブックTSプロトコール』16頁)

ここに書かれているように、通院そのものが困難な当事者も大勢いるのが現状だ。

そして医療につながれない人のほとんどが、何かしらの依存症に苛まれながら不安定で孤立無援な生活に耐えている。他の複雑性PTSD関連の書籍を読んでいると、「助かろうとした人」の架空症例ばかりでげんなりする。医療や福祉に関する情報格差が放置された社会で、通院の動機づけの機会も得られないまま、診療に辿り着けずに自死する人がどのくらいいるのだろう、と考えてしまう。

だから私は改めて言いたい。あなたに生きてほしい。あなたには安心して生きる権利がある。あなたは助けてもらうに値する。あなたは悪くない。

最後に。私はこの言葉を、この言葉が必要な人に向けて書いている。関係ない人に私生活を詮索されたり、人格をジャッジされることは望まないし、それは私に対する暴力だとここに明記しておく。

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爪半月

爪半月(そうはんげつ)

元『風俗嬢』
田舎で育児しながら通信制大学で社会保障を勉強中。

好きな言葉『人権』
嫌いな言葉『自己責任』
twitter @lunuladiary

 

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