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むちゃセンセーのフェミニズム<今さら>再入門 第6回 どうしたら平等?—積極的差別是正策(ポジティブ・アクション)の意味

牟田和恵2014.08.29

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最近、なんだか-な発言や事件が続いています。
6月に発覚した東京都議会でのセクハラヤジ問題、その結末も中途半端なまま、7月にはろくでなし子さんの突然の不当な逮捕(前回これについて書きました)。それから「家事ハラ」問題も7月末のこと。竹信三恵子さんが、人の生を支える重要な労働である家事労働が蔑視・軽視されている状況を「家事労働ハラスメント」と名付けて問題提起をしたのに対し(『家事労働ハラスメント』岩波新書)、ある住宅メーカーが夫の「家事手伝い」に妻が「ケチをつける」のが「家事ハラ」だとまったく見当はずれの歪曲をして大々的にマスメディアで拡散しました。
そして、8月には三重県の地域経済団体代表者たちの会議(みえ女性活躍推進連携会議、8月4日)で漁連会長が「自分は古い人間なので「女は下」「女のくせに」という概念から逃れられない、課長を女性にした場合、果たして役に立つのか疑わしい」という発言(この問題に関するデバ子さんのエッセイはこちら)。女性の参画を進めるための公式の会議で何をしてるんだか、、、。
 どれもこれも、いったい今はいつの時代なのか、と脱力ものです。


 このコラムのテーマの一つは、「男女平等」のウソや錯覚をあばくことですが、錯覚の最たるものは、「日本では憲法で男女平等が定まっている」「国際的な条約でも男女平等の規定がある」という理由で、男女平等が実現されているかのように考えてしまうこと。女性差別について論じると、「でも日本は男女平等だと憲法にあります」と学生から反論されたことが何度あることやら、、、、。
 言うまでもなく、「人はみな平等」にしろ、「男女平等」にしろ、うたわれているのはあくまで理念。そこにどうすれば到達できるのか、阻害しているのはいったい何か、そもそも平等とは何なのか、フェミニズムの発祥以来、女性たちは考え、闘ってきました。とくに現代のフェミニズムは、「平等」を形式・タテマエだけに終わらせることなく、いかに実効性を持たせるかということに腐心してきました。その一つが「ポジティブ・アクション」です。


 上述の、「女は下」と発言した三重の会長は、 二日後に発言時間の制限のために真意が言えなかったと、「このように現在の社会環境は、女性が働きやすいように整備がされていないので、今後、女性がいきいきと活躍できる様、環境を整備するために協議を続けていきたいと考えております」と釈明しました。時間が無いなら真意から言えよ、とツッコミを入れたいところですが、それにしても、「今後、環境を整備するために協議を続けていきたい」くらいの発言なら当たり前すぎて、発言してもムダもいいところ。それよりも、会議当日の「女性を課長にして果たして使い物になるだろうか」という発言こそ、会長の重責を担うこの発言者が体験的に感じているからこその言葉に違いなく、ぜひここから、それを克服する行動をどう進めていくかについて言葉がほしかったところです。
 

おそらくこの会長、自分の組織でこれまで女性が責任ある立場、決定権をもつ立場にいた事がないばかりか、それ以外の場や組織でも、女性が男性と同等に重要な場で力を発揮する場面を見たことがないのでしょう。だからこんなふうに、「女にできるはずがない」「女には無理だろう」と考えてしまう。そしてそれはこの発言者の団体に限らず、会議に参加していた他の多くの団体でもあまり違いはないでしょう。「女のくせに」「女は下」という表現は、さすがに不適切と感じたとしても、「女にできるはずがない」というところには、内心うなずいた参加者も少なくなかったのではないでしょうか。


 この、「実績が無い」「だから無理のはず」という思考と判断のパターンは、この会議に限らず、あちこちで見られます。女性が首長になれるはずがない、女性が社長や重役になれるはずがない、だってこれまで誰ひとりとして女性が務めた事はないから。
 この思考パターンはわかりやすく、「だから仕方が無い」「いくら男女共同参画と言っても実力が証明されていないのに女性を責任ある地位につけるのは危険な悪平等」と追随する人も多く出てきます。しかし、すぐわかる通り、そんなことを言っていると、世の中何も変わりません。こういう思考をしている限り、女性やマイノリティの意思決定への参入は、いつまで経っても進みません。
 その悪循環を断ち切るために考えだされたのが、ポジティブ・アクション(アファーマティブ・アクション)、つまり積極的差別是正策の考え方です。
 その始まりは北欧です。ノルウェーやスウェーデンの北欧諸国では、20世紀の初めに女性にも選挙権が付与され、政治的男女平等が実現しました。しかしそれにもかかわらず、数十年が経過しても女性の政治家はなかなか増えず、政治の上での男女平等は実質的に進みませんでした。もちろん、女性の政治家を増やすべく、さまざまな取り組みがなされたのですが、ほとんど効果はあがらなかったのです。そこで、北欧の人々は、現実を変えるには、これまでのやり方では不十分で、事態を確実に動かせる何らかの具体的な手を打つ必要があると考えたのです。これがポジティブ・アクションの考え方で、その後、他の国々にも、そして経済や教育の分野においても、広がっていき、クオータ制(割当制)のようなさらに強力な制度もできていきます。
 具体的には、次のような手法が取られます。たとえば、政党に比例代表制の候補者数を男女同数で立てるよう求め(しかも、当選する可能性の高い、候補の順位の高いところには男ばかり、とならないように男女が交互に並ぶようにする)、守らなければ政党交付金がいかないよう定める。女性が少なくとも30%-40%を占めるよう議員定数を決める、究極的には男女半々にすると決めてしまう(フランスの「パリテ」)、などです。
 経済面でのポジティブ・アクションでは、自治体や国から仕事を受注する企業は(つまりは国民・市民の税金で商売をしているのなら)、管理職の女性割合を一定以上増やさないと受注ができなくなる、などのやり方があります。
 こうした手法をとることで、否が応でも、女性の比率が高くなっていくのです。


 ここまで読んだところで、それでは数は増えても、本当は議員や管理職になる資格の無い、能力の低い女性が増えるだけではないか。それでは問題がある、悪平等に陥るのでは、と考えた人もいるかも。これはポジティブ・アクションに対する典型的な批判です。
 でも、こうした批判は現実を知らない形式論です。実際のところは、ポジティブ・アクションを制度化することによって、潜在していた女性の能力の発掘、開発が進んでいくのです。それまで、「女性を排除しているのではないが、適当な候補者がいない」「女性を管理職にしたいのは山々だが、それだけの能力とやる気がある女性がいない」と言って済ませていた政党や企業も、もうそれでは通用しませんから、女性の発掘に務めるようになります。そして、女性がその実力を発揮できるよう、サポートしていくのです。
 たとえば、市民活動や子どもの教育に関わる活動で活躍しリーダーシップと実力を発揮している女性でも、選挙に出るとなると、「政治家になるなんて考えたこともない」と後ろ向きなことがありがち。そこで政党はその女性に、政治の世界にはあなたのような力が大いに必要であると説得し、家族が反対しているとしたら家族をも説得するわけです。また、管理職になる能力はあっても家族のために転勤ができないとすれば、企業が、管理職になるのに本当に転勤の経験が必要なのかを吟味し、その条件を外せる管理職を増やしていくことで、女性が管理職になりやすくするのです。
 こうして能力を発掘し、かつ、力を発揮しやすい環境を整えることで、女性は議員や管理職として活躍しやすくなり、そしてその女性たちの活躍自体が、議員として管理職として必要な資質は何なのかについての人々の考え方を変えていきます。たとえば、小さい子どもがいることは、議員の仕事をする上での足かせなのではなく、有権者の要望をよりよく取りこむことのできる、むしろ議員の資質としてふさわしいことだとわかったり、中高年男性には無かった発想で会社のビジネスの幅を広げていくことができると証明されるなど、です。そしてその彼女たちをロールモデルとして、より多くの女性たちが後に続いていく好循環が起こるのです。そうして、本当に性別に関わらず、資質と能力によって女性も男性も同様に活躍できるのが当たり前の社会となったとき、ポジティブ・アクションは不要になるのです。それがポジティブ・アクションの究極の目的です。ですから、ポジティブ・アクションは、「暫定的差別是正策」と呼ばれることもあります。
 

 みえ会議での問題発言に戻るなら、発言者の「今後、女性がいきいきと活躍できる様、環境を整備するために協議を続けていきたい」との釈明が真意であるのならば、単にこれまでずっと行なわれてきたような意識啓発などにとどまるのではなく、具体的・実際的に変化を起こしていく、ポジティブ・アクションをぜひ実行してほしいもの。業界組織の幹部の何割かは女性が占めるようにする、かりに現在は候補者が皆無で即時行なうのは無理だとすれば(その可能性は大きそう)、5年後10年後を見通した具体的な計画を立て幹部女性候補を積極的に養成していくことを明確なタスクとするのです。そうすれば、労働時間をフレキシブルに見直すであるとか、酒席で大事な事柄が決まっていく慣習を排するなど、タスクを実現できるためのさまざまな策を考え速やかに実行していかねばならないことになります。みえ会議での発言者の方には、ぜひ、そうした積極的な取り組みによって釈明の発言が真意であったことを証明し、他団体や業界にも波及させていっていただきたいものです。


 残念ながら日本では、まだごく限られた分野(自治体の審議会委員など)を除いてはポジティブ・アクションは制度化されていません。世界では選挙でポジティブ・アクションを含む、何らかのかたちでのクオータ制をとっているところはすでに100ヵ国を超えているというのに(詳しくはこちらをご覧ください)、日本ではまだその予定も具体的な議論もなし。情けない限りではありますが、ちょっと励みになるのは、冒頭に書いた、なんだかーなことがらは皆、大きな批判や反対の声を呼んだこと。多くの人たちが、それってちょっとおかしくない!?と感じた証拠です。そう考えると、ポジティブ・アクションの実現化もそれほど遠くはないかも。皆さんもぜひ実現の支援者・目撃者になってください。

 


本の紹介

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 岡野八代 『法の政治学』 2002年青土社


 法では「男女平等」と定められている---この、当たり前のことが女性にもたらしている意味はなんだろう?定まっていない以前、つまり女性に男性と同等の法的権利が認められていなかった時代に比べれば、女性にとって喜ばしい進歩のように思えるはず。でも果たしてそうだろうか?
 著者岡野氏は、ジュディス・バトラーやドゥルシラ・コーネルといった、法の脱構築の可能性を探求してきたフェミニスト理論家たちに学びつつ、法が「中立性」や「客観性」を持つ規範として通用することによって女性がその規範外にある者として構築されてきた、法の効果・法の力に着目する。法によって保障される男女の平等とは、女性/男性、公的領域/私的領域といった、法が前提としている二分法に組み込まれることではないか。その批判と脱構築こそを、フェミニズムは目指しているはずなのに、、、。
 形式的ではない実質的な「男女平等」に向けて努力する一方、そこで足をすくわれることなくめざしていくべき地平を私たちに示唆してくれる本。

 

 

 

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牟田和恵(むた・かずえ)

本業は大阪大学人間科学研究科教員、専門は社会学・ジェンダー論です。
女性と女性の活動をつなぐ情報サイトWAN(ウィメンズ・アクション・ネットワーク http://wan.or.jp/)の運営にもかかわっています。おもな著書に、『部長、その恋愛は、セクハラです!』集英社新書、『ジェンダー家族を超えて』新曜社、『実践するフェミニズム』岩波書店など。
ゼミや議論の際に学生に質問やコメントをうながすとき、「無茶振り」をするらしく(自分ではそう思ってないんですけど、、、)むちゃセンセーとあだ名がつきました。

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