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ひとりでカナダ大学生やりなおし~アラフォーの挑戦 Vol.14 「心療内科」で見つめ直し中の子供時代①

橘さざんか2023.11.14

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今まで勤めていたのは「精神科」、今国内留学をしているのは「心療内科」なのですが、私はついこの間まで違いを分かっていませんでした。しかし、実は全然違います。精神科は精神病圏~神経症圏の精神病名が付いた患者を主に扱い、脳内の神経物質を増やしたり減らしたりする薬剤治療がメインになります。(もちろん精神療法もしますが日本の精神科医療はいつも時間にひっ迫されているので十分に時間をさけていないのが現状です。)一方心療内科は「精神的な問題が身体の症状に出ている人」を扱っており、統合失調症・気分障害・強迫性障害といった精神病名が付いている人はほとんどおらず、一番多いのは神経性やせ症の方、次に疼痛性障害の方。もともとは正常な精神の人が過酷な状況やそれによる非適応的なサバイブ(その場は持ちこたえるけど長期的には自分を傷つけるようなサバイブ法、と言いましょうか)をしたことで、心理的な負荷がかかり続けた結果、健やかでない心理状況にあるため体の症状にまで発展してしまっている、というのが基本的な考え方です。
心療内科医は患者さんととにかく話し、会話は逐語的に記録してみんなでディスカッションします。私は今まで精神科に来る患者さん達しか診ていなかったので、今回心療内科に来る患者さんたちをみて、確かに病気の性質が異なっているので、このように精神科と心療内科に振り分けられるものなのだなと感心しているような状況です。もちろんそれは医者にとっても患者にとっても良いことなのですが、ズバリ心療内科の「患者さんと長ーーく話して薬をあまり使わない治療」というのは病院経営的には赤字なので、だからこそ全国には本物の心療内科がほとんどないのです。巷にあふれている「精神科だと聞こえが悪いからソフトに心療内科と名乗っている精神科」は偽物心療内科と言われています。

心療内科では患者さんの成育環境がとても重要視されるので、それについて他の医者と話しているとどうしても自分の成育歴と引き付けて考えてしまうことがあります。その中で、ある意味自分の両親のことを中立性をもって批判的にみるようになり、気づきがかなりあります。成育環境のこと以外でも、今まで口に出せなかったけれど私辛かったんだよなぁ、ヨシヨシと自分を慰めることもあります。

私の親は親ガチャというやつでいえばいい玉が当たったと言わないわけにはいかないくらい、子供の教育にお金をかけてまじめに育ててくれた親です。兄がいますが男の子は~、女の子は~というのを一切言わなかったと思うので(母親が兄を若干えこひいきしているところはありますがそれはまぁいいとして)もちろん感謝はしているのですけれど、診療を通して私の親の子育ては感情的なネグレクトがあったなと思うようになりました。
たとえば、何か私が悲しそうにしていたりしていた時に「さざんかはどう思うの?」と気持ちに焦点を当てて尋ねてくれたことがなかったな、と思います。それより、うちは「こういう成功者の道を歩んで安定して金を稼げるようになりましょう」というモデルに私をうまいこと乗せるので大忙しだったと思います。
一方、私の母親は好奇心が強く、とある大きな趣味があってほぼ毎日出かけているような状態だったので、それはある意味私にいい影響を与えました。この母のおかげで私も仕事だけが人生ではない、生きるのは楽しむためであるといった一貫した人生観を持てていると思います。私は(ずる休みも含め)よく学校を休む子供だったのですが、私が学校を休むと言っても母は「ふーん。よく熱出すねぇ」みたいなことを言いながら趣味に出かけて行っていて、それは結果的に双方にとってよかったなと思います。(父が出かけていいと言ったそうです笑)。ただそのときにも、どういう気持ちなの?と聞いてもらいたかったのかもしれないな、とも思います。

私は小学校低学年~大学生時代にかけて乗馬を習っており、2週間に1回ほど泊りがけで静岡の乗馬クラブに通っていました。(小学生が、大きな荷物をかついで、1人で!) 馬は大好きだったのですが、乗馬と言うのは多大な金がかかるスポーツであり、その乗馬クラブの常連の子供たちはスーパー金持の家の子ばかりでした。
私はわりとよく来て頑張っている方ではあるにもかかわらず、その中では底辺の貧乏っ子だったので、馬は買ってもらえない・鞍など高い道具も買ってもらえない悲しい状況でした。乗馬はどんなにがんばっても、ある程度のところにいくといい馬に乗らない限り次のステップには行けないスポーツなのです。
今思うとそのクラブの多くの人に可哀そうだと思われていて、なおかつ見てみないふりをされていたのではないかと思います。子供だから、お金がないために冷遇されていることに対して主張もできませんでしたし、とにかくおとなしい子として過ごしていました。
10年ほどのこの期間は、つらい試練で、結局大学生になってからその乗馬クラブは辞めてしまいました。親が私の家庭にとっては少なくない額のお金を払ってくれていることを知っていましたし、それで私が乗馬に出会って成長しているというストーリーを崩したくないというのが大きく、こういった苦しい状況にあることを親には言えませんでした。毎回行くとき、あまり楽しそうな顔していなかった私に「どんな気持ち?」と聞いてほしかったなと思います。そして恥ずかしがらずに困っていることを親に話せていたらと思うと少し泣けてくるくらいです。乗馬を習うなんて恵まれた状況であることはわかっていたのでこのことは友達にもあまり話せませんでしたが、コロナ渦で閉塞的な状況になったときに一番思い出されたのはこの頃のことでした。このコラムを持ってお炊き上げということにしたいと思います。



天神のどまんなかにこんなに素敵な場所がありました



一方カナダはもうこんなです。

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