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『Black Box』を読んで改めて思うこと

牧野雅子2017.10.26

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伊藤詩織著『Black Box』(文藝春秋)を読んだ。元TBS記者による性暴力事件は、検察審査会で不起訴相当と判断された。被害当時者自らが会見で発言し、そこで指摘された問題は国会でも取り上げられた。
本書に書かれている加害者のあくどさや、司法の問題、性暴力被害者支援の問題や社会の被害者に対するスティグマ……あげれば切りがないけれど、読了して、やるせない気持ちでいっぱいになった。
警察の事件の扱いに問題があるというだけでなく、制度の形骸化や、当事者を丸め込んでいく手練手管、自己保身や自身の暴力性に無自覚といった、警察官の、あるいは警察組織のダメダメなところが見えて、読んでいて苦しい。そして、著者が、担当のA氏をはじめとして、捜査員の組織人としての立場を理解しようと、好意的に書いているところが、余計に苦しい。

著者は、加害者が逮捕されず、結果不起訴になった原因として、警察組織の「一部の上層部」に問題があったと書いている。
おそらく、「一部の上層部」の判断がなければ、加害者に対して出ていた逮捕状は執行され、彼は身柄を拘束され、取調が行われただろう。証拠品も差し押さえられ、被害事実が客観的証拠によって裏付けられた可能性も大きいだろう。
けれど、たとえ逮捕状が執行されて、加害者が適切に処罰されたとしても、捜査員たちの問題は帳消しにならないものだ。

わたしはこれまで、性暴力加害者だけでなく、被害者の方からもお話を伺っている。先日、聞き取ってきた記録を整理していて、100人を越えるその数に、改めて思うことがあった。わたしが伺った方の特徴は、被害後警察に行き、そこで二次被害に遭ったというケースが多いことだ。そこに行けば自分を守ってくれるはず、と、意を決して行った先で振るわれる暴力。

性暴力事件には暗数が多く、警察に届け出るのは数パーセント程度だとも言われている。これは、厳密な意味での「被害届」だけでなく、相談も含めての数字だ。わたしが話を伺った中では、警察に行った方の割合は2割を優に超える。わたしの経歴を知って来られる方が多いからだ。そのうち、警視庁に被害を届け出たという4つのケースは、いずれも男性警察官が対応し、特段の説明もなく係をたらい回しにされたり、被害届を受理してもらえなかったり、被害後の対応を叱責されたり(その人は、男性警察官に「怒られた」と、泣きながら言った)と、ひどい対応をされたというものだった。ちなみに、捜査が進展したのは1件のみ。そして、2件は被害者が加害者に対して民事訴訟を起こして勝訴している。

もっとも、それが警視庁の「平均」的な対応だとは思わない。それでも、話を伺う中で、これはたまたま担当者が悪かったというのではない、と思うに至っている。係としての対応のまずさ、性暴力に対する基本的な認識の誤り、そもそも来署者に対してこの対応はないだろうという扱い……。

本書に書かれている、性暴力被害者に対する、あるいは、性犯罪事件に関する警察の対応は、最初の受付のところからしてダメダメだ。
著者の担当捜査員A氏をはじめとして、対応した警察官たちの言動は、まぎれもない二次加害だ。初っ端から「よくある話だし、事件として捜査するのは難しいですよ」と被害当事者に言うなんて。事件の再現見分が男ばかりの中で行われ、しかも、あれほどの被害にあった当事者が「被害者役」をやらされるなんて。被害者の配慮を謳った制度が、すっかり形骸化してしまっている。

最初に事情聴取にあたったという「女性警察官」は、概要を聞いて事件性の有無を判断し専務員に引き継ぐ役割でしかなかった。性犯罪捜査に女性警察官が参加するようになって久しいが、彼女たちはこんなスクリーニングのために存在しているのではない。
警視庁は、戦後まもなく「婦人警察官」を採用し、警察官条例定員(この、「条例」というところがまた問題なんだが…)に占める女性割合は他県より高い。女性が捜査実務に関わってきた歴史もある。それでもこの程度ということか。それとも、だから、と言うべきか。

A氏の対応のまずさの一端は、検察官の口を借りても語られる。それでも、著者はA氏を信頼しようとするのだ。当然だとは思う。自分の担当者なのだから。何より、立件に消極的なA氏の態度を変えさせたのは著者自身なのだから。著者が自らの力で事実を突きつけて、捜査員を動かすところまでいったのだ。A氏の働きは著者の努力の賜といってもいい。A氏を批判することは、著者を批判することにも近い。

でも、誰もが分かるように、そんなこと、被害者がする必要は全然ない。それは、いうまでもなく捜査員の仕事なのだから。そうしなければ事件として扱って貰えなかった現実があるにせよ、そのことこそがおかしなことなのだから。

いろんなところで読み聞いた話を思い出してしまう。
プライバシーを共有したことで、親近感が後付けのように生まれることもあること。大きな困難を前にして、同じ困難に巻き込まれた者同士が、あたかも仲間であるかのように錯覚してしまうこと。そこで、個別の加害性が見えなくなってしまうこと。見えなくさせられてしまうこと。
それは、加害者だけでなく、被害者にも起こり得ることなのだ。

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牧野雅子(まきの・まさこ)

龍谷大学犯罪学研究センター
『刑事司法とジェンダー』の著者。若い頃に警察官だったという消せない過去もある。
週に1度は粉もんデー、醤油は薄口、うどんをおかずにご飯食べるって普通やん、という食に関していえば絵に描いたような関西人。でも、エスカレーターは左に立ちます。 

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