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医療の暴力とジェンダーVol.37 性暴力から自由に生きる

安積遊歩2025.09.24

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私たちは子どものときに受けた誤った取り扱われ方を忘れてしまう。

おしめをされる事は大人になればある種の性暴力とも言える。その不快感は、涙以外に主張する術のない赤ちゃんにとっては、大変な苦痛に違いない。

歳をとって、排泄が上手くいかないとオムツをされるのではないかという恐怖と、オムツをしたほうが楽かもしれないなど、様々な思いに追い詰められる。結局、オムツをしている老人は諦めと無力の中に止まらざるを得ない。

私にとってオムツは不快と、ある種の屈辱の象徴だ。にも関わらず、親たちは問答無用に赤ちゃんにはそれをし続けている。しかし、同じオムツを押し付けられて育ったとしても、この社会には男性と女性と言うジェンダーがある。そのことが性暴力の被害と加害を分けている事の遠因にあると思うのだ。

そして、もう一つ経済至上主義社会での中では、私は男性と女性の自分の身体に対する認識には決定的な隔たりがあると感じる。
男性たちは自分のペニスを女性によって大切に扱われる記憶から始まる。排泄の後に、他人にケアされる記憶しか持っていない男性たちは、次に夢精やマスターベーションによって、射精という不思議で心地よい感覚に至る。その始末もほとんどの場合女性たちに任せられている。
自分の身体にある様々な不快と向き合う事なく、男性は大人になっていく。それに対して女性には生理がくる。紙ナプキンは便利と手軽さで世界中の女性たちに広がっているが、実のところ紙ナプキンは私にとっては小さな暴力だとさえ思えている。

まず、使い捨てという点で圧倒的に自然破壊を促進している。その上私は紙ナプキンの安全性には大いに疑問を持っている。企業の利潤追求が第一の社会ではその安全性は真剣に考察されていないと思うのだ。生理痛は医療の領域でなんとかできると思われている社会。身体の繊細さを、医療の介入で常に脅かされてきた私としては医療によって身体が大切に扱われているとは思えないのだ。それどころか性暴力を容認する遠因となっている気さえする。

性暴力は至るところにある。例えば電車の吊り革広告にある美容整形や、結婚式場の宣伝など。私にとっては、ルッキズムや結婚制度の疑義を問わない広告やポスターは、全て性暴力と感じてしまう。そこにさらに、大切な女性たちがめちゃくちゃな暴力に曝されたというニュースは絶え間なくある。私自身もまたおしめをしている頃に、父親とマッサージ師から卑猥な言葉を投げかけられていた。もちろん一歳前後のことだから言葉としての記憶はないが、私の尊厳を踏み躙る暴力的なその場の雰囲気を身体が記憶している。
その後からは医療関係者からの視姦や言葉の暴力は絶え間なかった。私はそれらに傷つきながらも、自分でも自傷行為的なマスターベーションが多かった。だからこそさらに自分を責め続けた。

20代になってからは小さな身体でタバコやお酒を飲んで、自分への憎しみを表し続けた。
ただ同時に、20歳ぐらいの時から、自分の身体に対する愛情を取り戻そうと行動もした。玄米菜食でリュウマチの痛みから自由になった友人を見て、私も食事を玄米に切り替え、肉をやめたのだった。

性暴力からの回復は自分自身の身体を愛するということに始まる。私にとってそれは、まず無茶苦茶な整形外科医療から遠ざかるということだった。13歳で「次は君の脊椎側湾を治してあげたいのだ」と言ってきた医師たちの手を逃れ、その後、整形外科には行っていない。

娘が生まれた時、私は自分にされた治療が暴力であったと再確認しようと考えた。しかし、彼らには全くそういう認識がなかった。医療は私にとっては暴力であったにも関わらず、それを発展と公言し続けているのだから。
そこで私は自分のカルテとレントゲンの情報公開を求めた。カルテは今と違って、読みづらい手書きのドイツ語が多かったので、読める部分は少なかった。レントゲンに写った手の有り様は痛々しさと残酷さを同時に感じさせた。
それらを見た後、私は娘を医療者のもとに連れていくのを完全にやめた。先天的な障害という個性をもつ者にとっては、何度も繰り返すが、医療は非常に傲慢で暴力的なのだ。障害を治すということで医療者は障害を持つ幼児たちに時に性暴力まで振るってくる。

それらから自由になるためには、自分の身体に注目を払い、自分の身体を傷つけることなく愛するということをどのように実現できるのか。

最近、私の大事な友人が、10代の頃に受けた凄まじい性暴力から自由になろうと一歩も二歩も踏み出した。 
私のそばに来て、習慣化された飲酒や喫煙をすぐにやめようとする人はなかなかいない。そんな中、彼女はそのことにトライして頑張っている。なおかつ肉や魚の消費量も激減してきた。
また、あまり情報に巡り合えなかったのか、彼女は紙ナプキンを使用していた。自分の身体を愛するためには紙ナプキンの使用をやめるというのも重要なことである。それを伝えて、今は使い捨ての紙ナプキンの使用はほとんどしていない。

自分の身体と命を大切にするために、私は消費を美徳とする社会からさらに自由になっていきたい。それは性暴力に巻き込まれない、あるいは巻き込まれたとしてもそこからの回復を図るための大いなるステップになっていくだろう。

 

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安積遊歩

安積遊歩(あさか・ゆうほ)

1956年2月福島市生まれ
20代から障害者運動の最前線にいて、1996年、旧優生保護法から母体保護法への改訂に尽力。同年、骨の脆い体の遺伝的特徴を持つ娘を出産。
2011年の原発爆発により、娘・友人とともにニュージーランドに避難。
2014年から札幌市在住。現在、子供・障害・女性への様々な暴力の廃絶に取り組んでいる。

この連載では、女性が優生思想をどれほど内面化しているかを明らかにし、そこから自由になることの可能性を追求していきたい。 男と女の間には深くて暗い川があるという歌があった。しかし実のところ、女と女の間にも障害のある無しに始まり年齢、容姿、経済、結婚している・していない、子供を持っている・持っていないなど、悲しい分断が凄まじい。 それを様々な観点から見ていき、そこにある深い溝に、少しでも橋をかけていきたいと思う。

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