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さようなら、ギド

中沢あき2016.04.08

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 私がドイツに来て数年後に発足した第二次メルケル内閣は面子は痛快だった。以前も書いたが再び挑発的にこう書くと、内閣を率いる女性の首相の元に車椅子の障がい者である財務相、ベトナムからの養子という出自を持つアジア顔の保健相、そしてゲイの外務相。それはオープンな社会を目指すドイツを象徴しているようで、(日本じゃ有り得ない顔ぶれだよなあ)と、外国人のマイノリティの身としても勇気づけられるような出来事だった。そのゲイの外務相で副首相も務めたギド•ヴェスターヴェレ氏が3月18日に亡くなった。
 2年前に発症した白血病で併発した肺炎が直接の死因となったそうだ。骨髄移植を受けて昨年には人前に復帰したものの、年末には再び闘病に入ってしまった後のニュース。まだ54歳という若さだった。

 4月2日にケルンの教会で執り行われた葬儀は全国テレビで生中継され、メルケル首相やガウク大統領を含む閣僚や政界人も参加、聖歌の代わりに彼が生前好きだったオペラの一節がケルンのオペラ座によって捧げられるという独創的な葬儀だった。メルケル首相のスピーチは、かつての同僚を失くした哀しみ、残された家族への慰みに溢れていて、隣に座っていた故人の夫と共に、彼女も始終肩を落とし、目を潤ませていた。

 39歳という若さでFDP(自由民主)党の党首に選出された彼はその後、2009年の連邦議会選挙で議席を勝ち取ったFDP党がメルケル首相率いるCDU(キリスト教民主同盟)党と連立を組むと、第二次メルケル内閣で外務相(2011年までは副首相)を2013年まで務めた。当時、ドイツ生活数年でドイツ語がそれほど理解できなかった私でも、テレビに出てくる彼の顔や態度には(傲慢そうな奴だなー)との印象を持ったし、FDPというのは企業家などに支持層が厚い党で、ざっくり言ってみれば金持ち寄りの政策提案が多いので、尚更我が家では評判が悪かった。加えてヴェスターヴェレと同じくボン出身である夫の幼馴染が彼と中学で同期、曰く「嫌な奴だった」という話を聞いていたからということもある…。
 弁護士の父の元、父子家庭で男兄弟という環境で育った彼は、大学進学コースの中学を中退、実技学校へと転入(言ってみれば落ちこぼれ)、その後また大学入学許可を得るために別の進学コースの学校へ転入と、なかなか波乱の十代を過ごしたようで、その後大学に進んで弁護士資格まで取るのだが、一方で二十代にしてFDPに入党、政治運動へ参加するようになるとリーダーとしての頭角を現し始める。葬儀でのメルケル首相のスピーチでも言われた通り「好戦的な」キャラクターでもあった。
 その挑発的な態度と持ち合わせたユーモアによる選挙キャンペーンでは、自らスーパーマンの恰好をしてみせたり、ドイツ版「ビッグ•ブラザー」に出演してみたりと注目を集める一方で、そんな姿勢が叩かれることも多い政治家だった。

 というわけで入閣した後も我が家では評判の悪かった彼だったが、いつからだろうか、聞き取れるようになってきたラジオやテレビのニュースで外務相としての彼の話を耳にするたび、あれ、正論を落ち着いて話していて、思ったよりも随分とまともな人なのかな、と感じることが多くなった。同時にうちの夫も、彼の顔つきが柔らかになってきたような、と言うようになり、2013年の総選挙でFDPが敗退した結果に外務相どころか議席も失うことになったときには、残念がる声を周りでも聞いた。決してFDPの支持者ではないけれども、彼がいなくなるのは惜しいね、と。

 その後は自らの名前をつけた基金を発足させ、アフリカの若者への支援プログラムなどの運営などを手がけていたが、彼の人間性への共感を大きく呼ぶことになったのは、2014年初夏に偶然見つかった白血病との闘病だった。数ヶ月後に骨髄移植を受け、療養をしていた中、彼はその体験の手記をまとめて出版した。出版に際して出演したテレビのトークショーの直後、骨髄バンクへの登録が三千件も増えたという。

 残念ながら病に勝てずにこの世を去った彼だったが、その葬儀を見てふと思った。
 彼はゲイというマイノリティを公表した政治家だった。カミングアウト以前「決まった相手は居るが、公表はしたくない」としてきたのは、所属する党や自らの政治活動への影響を考えてのことだったそうだが、同性愛者への偏見を破る為と決意して公表したのは、2004年のメルケル首相の50歳の誕生日パーティーへ同性のパートナーを同伴したときのことだった。
 報道陣のカメラの前に堂々と姿を見せた二人はその後、2010年に同性婚法に基づいて正式に入籍している。伴侶との参加も公式行事の一部だから、彼は当然のように外国への公式訪問にも夫を同伴した。2010年には二人で来日もしている(その時の日本の外務省の予定表に「同伴夫人へのプログラム」と書いてあったというダサい裏話にはガックリするが…)。
 トルコ他アラブ諸国など同性愛を認めないイスラム国家に対しても、同性愛者という立場を隠さないまま、歯に衣着せぬしかしユーモアのある物言いで交渉にあたるという、型破りの外交スタイルを貫いた。ドイツの移民社会にも存在するイスラム社会への呼びかけにも積極的という、彼なりの自由主義と寛容な社会を目指していた一方、ドイツ社会においてもまだ存在する同性愛者への偏見を彼も受けたという。
 ドイツのキリスト教徒の約半数を占めるカトリック教派は正式には同性愛を認めていない。福音主義教徒であった彼の葬儀は「全ての教派を含むキリスト教の葬儀」として行われ、司祭は福音主義派の牧師だったが、幼年時代からの付き合いというカトリックの牧師が捧げた哀悼のスピーチでは、彼の「伴侶」への悔やみも述べられた。メルケル首相に至ってはスピーチの中で、彼の「夫」と同性婚の相手の立場を明確に言葉にした。
 カトリックの牧師は立場上、「夫」と言う事はできなかったのだろう。それでも「伴侶」として、同性愛の存在について公に発言したことには意味がある。カミングアウトからずっと一貫してヴェスターヴェレは自らを表に出して同性愛への理解を広めようとしてきた。最後ですら彼自身の葬儀で、同性愛を普通の事として受け入れていこうとするドイツ社会の努力と進歩を示す機会を与えたともいえる。

 遺体が埋葬された後、墓地を立ち去ろうとする彼の夫、ムロンツ氏に一人の老年の女性が白いバラを手渡していた。愛する夫を失った人への気遣いだ。

 とある新聞記事は彼のことを「真のモダニストだった」と評している。彼の提案した政策は決して全面的に受け入れられたわけではなく、その性格ゆえに批判も多かった人だが振り返れば、自らの体験に基づいた社会への困難への闘志に溢れた人だったのかもしれない。この半年程、難民問題やテロに揺れる欧州やドイツにおいて極右や差別主義者が台頭してきている中、彼のような政治家にもっと活躍してほしかったと本当に残念に思う。合掌。

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© Aki Nakazawa

埋葬された直後から日々、彼のお墓の前は弔問の人だかりが絶えません。

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© Aki Nakazawa

墓地で配布されていた葬儀案内。裏面は、1年前のニューイヤーカードに使った夫との写真だそう。愛は変わらぬ、と書き添えられています。心からお悔やみ申し上げます。

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中沢あき(なかざわ・あき)

映像作家、キュレーターとして様々な映像関連の施設やイベントに携わる。2005年より在独。以降、ドイツ及び欧州の映画祭のアドバイザーやコーディネートなどを担当。また自らの作品制作や展示も行っている。その他、ドイツの日常生活や文化の紹介や執筆、翻訳なども手がけている。 

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